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第四話 調合のための、第一歩

 その日の広場の喧騒は、以前にも増して異常な熱気に包まれていた。

 露天には、ありふれた薬草の束を並べる店が、まるでキノコのようにずらりと増え、銅貨や銀貨が忙しなく飛び交っている。ダンジョンから戻ったばかりの戦闘職たちが、疲労した顔で露店の前に群がり、奪い取るように薬草を抱え込み去っていく。

 秋月悠真もまた、いつもの場所に露天を広げ、黙々と薬草を並べていた。

 売れ行きは決して悪くない。小皿の上には、瞬く間に銀貨が積まれていく。

 だが、彼の心の奥に広がるのは、満ち足りた思いではなく、かすかな、しかし確かな焦りだった。

(……このままじゃ、すぐに埋もれる)

 薬草売りは増え続け、価格は少しずつ、しかし確実に下がってきている。

 上薬草や毒消し草を単独で並べられるのは、今のところ自分だけだ。だが、それも時間の問題だろう。いずれ後発組もスキルを上げ、彼の優位は失われてしまう。

 昨夜、森の奥で感じたあの感覚――薬草同士が呼応して青白い光を放ち、新しい可能性を示した奇跡――あれを、決して無駄にするわけにはいかなかった。

 悠真は、完売した空のカゴを抱え、迷うことなく喧騒の人混みからそっと抜け出した。


◇ ◇ ◇


 宿に戻る道すがら、悠真は広場の片隅にひっそりと佇む、古びた店の看板にふと目を留めた。

《調剤屋》

 木の看板は長い年月を経て薄くひび割れ、表面の魔法の紋様もすっかり掠れている。だが、錆びた鉄扉の奥の窓には、棚いっぱいに様々な瓶や器具が整然と並べられていた。店の中から漏れ出るのは、どこか懐かしい、ほのかな薬草の香り。

 カラン、と古びた扉の鈴が、控えめに澄んだ音を立てる。


「……いらっしゃい」


 カウンターの奥から、NPCの店主が姿を現した。年齢不詳の、無愛想だが落ち着いた物腰。だが、そのたたずまいからは、長年培われた職人の揺るぎない空気が確かに感じられた。


「調合の道具が欲しいんですが」


 悠真がそう告げると、店主は多くを語らず薄く頷き、店の奥へと消えた。やがて、いくつかの品を手に戻ってくる。

 それは、ごつごつとした石製の薬研と乳棒、そして小ぶりな空き瓶がいくつか束ねられたものだった。

 瓶には淡く魔力封じの紋様が繊細に刻まれ、中に詰めたものが漏れ出ないよう、細やかな工夫が凝らされているのがわかる。


「これでいい。全部で銀貨三枚だ」


 値札も貼らず、当然のように告げられたその口調に、悠真は少し驚いたが、ためらうことなく銀貨を差し出し、道具を受け取った。

 ずしりとした石の重みと、瓶のひんやりと冷たい感触が、手のひらに確かな手応えとして伝わってくる。


「……ありがとう」


 悠真が感謝の言葉を返しても、店主はただ小さく頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。だが、その背中からは、彼が悠真の未来の可能性を静かに見守っているかのような、不思議な感覚が伝わってきた。


◇ ◇ ◇


 宿の木製の階段を上り、自分の部屋に戻ると、窓から夕暮れの柔らかな光が差し込んでいた。

 いつもはただ寝るためだけの殺風景な部屋。だが、今日は違う。机の上には、森で採取した薬草たちが、色とりどりに並べられている。

 赤みを帯びた上薬草、灰緑色の毒消し草、そして見慣れた通常の薬草。それらが、悠真の新たな一歩を静かに見守っているかのようだった。

 新品の薬研を机に置き、乳棒を握る。悠真は深く息を吸い込んだ。

 上薬草の葉をひとひら、毒消し草の根をひと欠けら、慎重に薬研に乗せる。

 静寂に包まれた部屋に、石がこすれ合う乾いた音が響き渡る。

 ――ざりっ、ざりっ。

 葉脈が押し潰され、根が粉砕されるたび、甘く青い薬草の香りと、微かに鼻を刺すような鋭い匂いが複雑に混ざり合う。

 やがて、細かく粉になったそれが薬研の底で絡み合うように、淡い青白い光を帯び始めた。

 その瞬間、視界に、待っていたかのように青白い文字が浮かび上がる。


《調合準備完了》


 悠真は、乳棒を置き、しばらくの間、薬研の底で脈打つように光る薬草の粉を見つめた。

 これは、ただの薬草ではない。これなら、並の薬草とは桁違いの、戦闘職の中級者や上級者が喉から手が出るほど求めるレベルの品になるだろう。


「……やれる。これなら、間違いなく勝てる」


 彼の顔に、確かな手応えと、静かな自信が浮かぶ。

 調合済みの液体を空き瓶に詰め、その小瓶を大切にカゴに入れる。

 準備が整うと、悠真は迷うことなくその足で再び広場へと向かった。


◇ ◇ ◇


 夕闇が迫る広場は、ダンジョンでの激戦を終え、疲労困憊で帰還した戦闘職たちが集まる時間帯だった。

 彼らの顔には汗が滲み、毒や出血の治療に追われる焦りが色濃く浮かんでいる。その視線は、無意識のうちに露店の薬草へと向けられていた。

 悠真は、いつもの露天の台に、透明なガラス瓶に入った、青白く光る薬液を丁寧に並べ、札を掲げた。


《高効率回復薬液 一瓶 2銀貨》


 戦闘職たちは最初、見慣れない瓶と、これまでの薬草とは一線を画す値段に、怪訝そうな顔をした。

 だが、好奇心から最初に一本を手にした重装の戦士が、試しに一息に薬液を飲み込んだ。その瞬間、彼の疲労がみるみるうちに回復していくのを目の当たりにし、周囲の空気は一変した。


「……っ、これ……! 普通の薬草とは段違いだ……!」

「マジかよ! 銀貨2枚でも安い! 俺が全部買う!」

「待て! 俺もだ! 俺に譲れ! 金を出す!」


 驚愕と興奮の声が広場に響き渡り、中級者、上級者の戦闘職が次々に悠真の露天へと殺到する。彼らは我先にと銀貨を叩きつけ、悠真の前に、みるみるうちに銀貨の山が築かれていく。

 ダンジョンでの厳しい戦闘を重ねる彼らにとって、悠真の調合品はまさに命を救う、かけがえのない一瓶だったのだ。

 薬草とは比べ物にならない莫大な金額が、あっという間に彼の手元に集まる。

 宿代や食費を気にする必要など、もはやどこにもない。むしろ、今後の活動に潤沢に使える、余裕のある額だった。

 悠真は、すっかり空になったカゴを抱えながら、小さく、安堵の息をついた。

 初めての調合で、ここまで売れるとは正直思っていなかった。

 そして、この成功はまだ始まりに過ぎない――その確かな手応えと、さらなる可能性が、彼の胸を熱くする。

(これが……俺の、本当の道だ)

 彼は、露天の台の上に、まるで記念品のように残った最後の一本、青白い光を放つ薬液の瓶をじっと見つめ、ほんのわずかに満ち足りた笑みを浮かべた。

 夕暮れの風が、その薬液の瓶の中で、静かに青白い光を揺らしていた。


「……ここからだ」


 宿の部屋の中に、夜の澄んだ風が心地よく吹き込む。

 その風は、どこか祝福のように優しく悠真の髪を撫で、彼の新たな旅立ちを静かに見守っているかのようだった。

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