よちよちと足を運ぶたび、床板がきしむ音がした。
ついこの前まで揺りかごの中にいた私が、今では自分の足で屋敷を歩き回っているのだから不思議なものだ。
視界の高さがほんの少しだけ上がっただけで、世界がこんなにも広く見えるなんて。
「ネセレ、危ないよ!こっちおいで!」
「だいじょうぶ、俺が捕まえるから!」
ひとりが手を差し伸べ、もうひとりが後ろから見守る。その声の主は、私の兄たちだ。
二人ともまだ幼く、背丈も私とさほど変わらない。
けれど彼らにとって私はどうやら「末っ子の可愛い妹」らしい。
トテトテと進めばすぐに両脇から抱き上げられ、私の顔を覗き込みながら「やっぱりかわいいなぁ」と笑いあう。
「わたし、あるけるのよ?」
「おお、すごいな!でも歩けても、俺の腕の中のほうが安全だ!」
「ネセレ、こっち向いて。にこってして!」
頼まれるままに笑ってみせれば、二人の笑顔がぱっと花開く。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
前世では味わえなかった、兄に甘やかされるという体験。
私がこんなに愛されていいのだろうかと、つい照れ笑いがこぼれる。
そこへ、父が執務室から顔を出した。
筋骨逞しいが、目元は驚くほど優しい。
彼は私を見るなり大きな手を広げて迎えてくれる。
「おお、ネセレ!今日も元気だなぁ、かわいいなぁ!」
胸に飛び込めば、父の腕の中は安心感に満ちている。
そのぬくもりに包まれながら、ふと彼が少しだけ遠い目をしたのに気づいた。
「……お前が男の子だったら、後を継がせられたのにな。きっと頼もしい辺境伯になれただろうに……。いや、いずれはお嫁に行ってしまうのだろうな……。」
ぼそりと漏らされた言葉に、胸がきゅっとした。
前世の私なら「跡を継ぐ責任」など考えもしなかっただろう。
でも今は、この優しい家を離れる未来を想像してほんの少し寂しさを覚える。
「パパ……。」
「おっと、いけないな。そんな顔させてどうする。よしよし、可愛いネセレ、どこにもやらんぞ!」
父は冗談めかしながらも、ぎゅっと抱きしめてくれる。その腕の中で、私は小さな声で笑った。
◇◇◇
母は相変わらず、私に様々なものを持ってきては「これ、どうかしら?」と目を輝かせている。
錆びついた釘、欠けた花瓶、拾ってきた石ころ。
前世ならば「ゴミ」と一蹴されるものばかりだが、私にとっては宝物だ。
「ネセレ、これ、なんとかなる?」
「……うん、なるよ!」
小さな両手をかざし、心の中で等価交換を発動する。
瞬く間にひび割れた皿は艶やかな新しいお皿に変わり、母の瞳が喜びに揺れる。
「まあ、また素敵なお皿になったわ!今日の夕食はこれにしましょうね。」
台所へ運ばれていく新しいお皿を、私は兄たちと並んで見送った。
その夜の食卓には、私が作り出した皿が並び、スープの湯気が立ち上る。
兄たちはその皿を見て「ネセレの魔法皿だ!」と声を上げ、母は満足そうに微笑む。
父は「うちの宝物だな」と、そっと私の頭を撫でた。
そうして私は、笑顔に囲まれ、温もりに包まれて生きている。
辺境の風はまだ冷たく、夜は深く暗い。
けれど、この家の中はいつだって暖かい。
ネセレ、1歳。家族に愛されながら、等価交換の夢を大きくする冬の出来事である。