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第5話 祈りの価値、魂の値段

  春の終わり、学院中庭。

 掲示板の前には、学生たちがひしめいていた。


 審査結果——それは、学院内の序列を決める“明文化された美の判断”。


 ──金賞:リアン=セドル・ヴァロワ

 ──銀賞:エミリー・ブランシュ(ユン)


また、“違和感”の中に立っている。だが、今回は孤独じゃなかった。


 静まり返る中、一瞬だけ風が吹き抜けた。

 誰かがつぶやく。「あの絵が……受賞したのか」


 ユンの絵に対して、称賛と非難が入り混じった。


 「あの絵は確かに、何かを訴えかけてきた」

 「技術だけじゃない、心に響くものがあった」と、

 ユンの絵に理解を示す学生たちの姿も散見された。

 学院は、静かに、そして確実に揺れ始めていた。


 ある教授は言った。


 「“技術”より“衝動”が勝った瞬間だ」

 「これは写実ではない。“写心”とでも呼ぶべきだろう」


 一方で反発も強かった。


 「こんな絵が評価されたら、我々の積み重ねは何になる」

 「情動に頼るだけの絵が“美”だと? 冗談じゃない」


 ——学院は、静かに揺れ始めていた。


 自室のアトリエ。

 ヴァロワは自分の国王像を見つめていた。


 構図は完璧、遠近法も完璧、陰影も理想的。

 なのに、何かが“足りない”。


 「……何故、あんな絵に心が動いた?……僕の筆は、ずっと“完璧な世界”を描いてきた。だけど、あの絵には“壊れた現実”があった。

 僕が目を背けてきた、弱さや悲しみ、あるいは諦めといった「壊れた現実」があった。僕は、それを描いたことがない」


 ユンの作品は未完成にすら見える。

 だが、絵の前に立った時、自分の中に湧き上がった、“怒りでも嫌悪でもない何か”を、彼は否定できなかった。


「僕の絵筆は、ずっと“祈り”のつもりだった。世界を、正しく、美しく写すことで、人を救えると思ってた。でも……違ったのかもしれない。僕は、ただの記録者だった」


 それは、彼の中の“信念”が揺らいだ証だった。


 数日後、学院内の画廊で行われた小規模な販売展。

 学生たちの作品が価格付きで展示される、貴族や評論家も訪れる公式行事だった。


 ヴァロワの作品には高値が付き、貴族たちは満足げに「完璧な技術だ」と口をそろえた。


 だが、ユンの絵の前に立った老婦人がこう言った。


「これは……昔、亡くなった娘が祈っていた姿に似ていてね……値段なんてつけられないわ。涙が出るもの」


 彼女は財布を出し、「この子の次の絵が見たい」とだけ言って金貨を置いた。


 それは、“市場の価値”ではなく、“心の価値”による対価だった。


 夜、ユンの自宅のアトリエの扉がノックされる。


 「……やっぱり、君の絵は間違ってないかもしれない」


 ヴァロワが現れた。表情は険しい。


 「ただの感情表現だと思ってた。でも違った。君の絵は、“僕の知らない場所”から描かれてる。僕はずっと、外の世界を写してただけだ」


 ユンは少し驚いたように彼を見つめた。


 「……じゃあ、どうするの?」


 ヴァロワは静かに答えた。


 「壊すよ。“正しさ”ってやつを」


 ——そして、彼はユンに手を差し出す。


 「次の展覧会。“共作”しないか?」


 「共作?」


 「じゃあ、例えば……君が“中”から描いて、僕が“外”を塗る。

君の衝動を、僕の構図で包むんだ」


 「……そうね、あるいは、逆もいいかも。“正しさ”を内側から壊すの、楽しそうでしょ?」


  数日後、登校日。

 ユンは学院の庭で、ヴァロワと共作の構想を語り合っていた。

 「いっそ、正確な写実の上に、感情を重ねてみたい」

 「境界を壊すのか……面白い」

 そんな会話をしながら門へ向かう途中、ふとユンが足を止めた。


 「そういえば……ナイルって覚えてる? あの画商」

 「ああ、赤髪の軽薄そうな男だろう?」

 「それって、失礼じゃない?でも、有益な出会いだったよ!」


 その日の夕方、ユンはナイルの画廊を訪ねた。

 所狭しと絵が並ぶ部屋。壁には若手画家たちの習作がかけられていた。


 「最近の流行はなんですか?どんな絵が売れますか?」

 ユンの問いに、ナイルは紅茶を注ぎながら答えた。


 「そうだね〜、やっぱり写実画かな。構図も色も、“正しい”ものが好まれる」


 ユンは静かに言った。「 ……同じような絵ばかりで、飽きません?……感情を描く絵は、売れないんですね」


 ナイルは肩をすくめた。「売れないわけじゃない。でも、“時々しか”売れない。でもね、それが……本物の絵だったりする」


 「本物?」


 「“自分”を代償に描いた絵のことさ。君のは、そんな匂いがした」


「……」


 ナイルは笑ってカップを傾けた。


 「だからこそ、“君みたいなの”が現れると、退屈が破られるんだよ。」



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