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第6話 リアルの牢獄

 ユンとヴァロワは、次の展覧会の為の画材を探しに、町を訪れたが、スラム街の様なところに迷い込んでしまった。


 都市に足を踏み入れると、空気の匂いが変わった。

泥と汗と、焦げたパンのにおい。


 市場の影では、骨の浮いた老人たちが、ひしゃげた秤で野菜を量っていた。干からびた大根ひとつに課せられる税は、彼らの収入を優に超える。


「また税が上がったってさ。納められないやつは、畑も家も取られる」


 ひそひそと交わされる声は、まるで息を潜めるようだった。


 ユンの視線の先には、地面にチョークで何かを描いている子どもたちがいた。だが、ボロボロの服に、裸足。肩には縄の跡が生々しく残る。


 「学校……? あるにはあるけど、お金のある子だけさ」


 ヴァロワがぽつりと呟いた。言葉の奥に、苛立ちと諦めが滲んでいた。


 誰も夢を語らない。未来の話をしない。


民衆は、生き延びるのに精一杯だった。


そして、ユンの目の前の先に広がっていたのは、巨大な壁画。だが、描かれていたのは絶望だった。


 掲示板には、国王の肖像画が貼られていた。鋼の王冠、無表情の顔。誰もがその目を直視しようとせず、通りすがりに深く頭を下げる。


 「栄光なる王に、栄光を」


そう唱える声が、まるで朝の礼拝で機械的に繰り返される祈りのように、 録音されたように均一で、感情のない機械のように響いていた。幼い頃から、この言葉と姿勢を強制され、感情を乗せないことが「正しい振る舞い」として染み付いているかのようだった。


 建物の壁には「幸福は統制の中にある」「絵は模倣に限る」といった標語が刻まれている。


 ——絵?


 ユンは思わず立ち止まる。路地の先、小さな建物の中に、少年が描いたらしき壁の落書きがあった。だが、そこには兵士が立っていた。少年の腕を押さえつけ、絵の上に灰色のペンキを塗り込んでいる。


 「勝手に感情を描くな。お前の“心”は許可されていない」


 少年は震えながら、小さく呟いた。「だって、母さんの顔、忘れたくなかったから……」


 その言葉に、ユンの胸が締めつけられた。


 自分も、忘れたくなかった。壊れそうな誰かの表情も、自分がいた世界も——


 だから、描く。私は、忘れないために。


 だが、その声は誰にも届かない。

 兵士の背後に掲げられたのは、「創作は王の許可制」と書かれた赤い旗だった。


 ヴァロワは、赤い旗を見つめていた。


 「……ここは、“僕”が生きていた場所なんだ」


 だが、その呟きは、誰にも届かないほど小さかった。


 それに、農民は重税に苦しみ、

貧しい子どもたちは学校にも行けない。

そんな現実を見てしまった。


 ユンは、目の前の世界に言葉を失った。


 この国では、“感じること”すら、罪だった。


 手の中に、何もない。筆も、キャンバスも、名前すら——だが、胸の奥だけが熱い。燃えるように、何かが訴えていた。


 ——描かなきゃ。

 この牢獄を、この沈黙を、壊すために、一滴の色を。



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