その朝、広場に重い足音が響いた。
文化省直属の取締官——グレイシュ少佐が率いる数名の部隊が、村に到着したのだった。
制服の青と黒が、やけに壁の花々と対照的だった。
「この絵は、違法表現の可能性がある。王国美術法第二七条に基づき、撤去・封印の処分を行う」
グレイシュの声は、機械のように感情のない声だった。
村人たちは壁の前に立ちはだかる。
誰一人として武器は持っていなかった。
だが、その沈黙は、あらゆる叫びよりも強かった。
ユンもまた、壁の前に出た。
彼女の足元には、筆が一本、落ちていた。
それを拾って、静かに空中をなぞる。
「ここに描かれているのは、“禁止された思想”じゃない。
私たちが見た景色、感じたもの、生きてきた証です」
だが、グレイシュは顔色一つ変えず、取り巻きに指示を出した。
「全域を撮影せよ。記録は上層部へ提出する。必要なら消去を強制執行する」
撮影機器が並べられ、シャッター音が響く。
壁に描かれた絵のすべてが、無言で記録されていった。
その時だった。
壁の端で遊んでいた小さな子どもが、ふいに絵の花に手を添えた。
「これ、ぼくが描いたやつだよ」
その声に、グレイシュの部下が動きを止める。
「こっちはね、ばあちゃんが色を足したの」
「ねえ、おじさん。絵って、消されるものなの?」
その幼い問いかけに、村中が静まり返った。
グレイシュはしばらく何も言わなかった。
彼は絵に目を向け、そして一歩、近づく。
「——名は?」
「ユンです」
「出身は?」
「どこにも属していません。絵を描いているだけです」
グレイシュは、壁の一部——ヴァロワが描いた連帯の人物群像を指差した。
「この構図は地下展示で禁止されたものに類似している。
かつて反乱の火種となった絵。また、建立記念美術展に出展され、学園追放となった原因の『無名の光』を意識しているのか?」
ユンは、まっすぐにその視線を受け止めた。
「似ているかもしれません。でも、これは“誰かの命令”で描いたものじゃない。
私たちが“共に生きている証”です」
取締官の手が、一瞬だけ震えた。
沈黙のあと、グレイシュは振り返った。
「・・・・・・今回は、上層部へ報告のみとする。だが次はない」
そう言い残し、彼と部隊は広場を去っていった。
彼もまた、かつて筆を握っていたのだろうか——そんな気がした
静寂の中、誰かが、そっとため息をついた。
子どもが小さな拍手を打った。
そして、村中がそれに続いた。
ユンは言った。
「描くことで、守れるとは思っていなかった。
でも、描くことで“問う”ことは、できたかもしれない」
壁は無言のままだった。だが、その絵は確かに語っていた。
次回予告
絵を描くことは、抗うこと。
それが静かな“革命”になる時、何が生まれ、何が失われるのか——
そしてユンが次に描くのは、“希望”か、“別れ”か?
第十六話
「炎の肖像、あるいは革命未満の夜」
ユンのもとを訪れた一人の若者。
彼は、かつて“火を放った者”だった。
そして語られる——“もう一つの革命”の記憶。