目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第15話 検閲の刻、壁は語る

 その朝、広場に重い足音が響いた。


文化省直属の取締官——グレイシュ少佐が率いる数名の部隊が、村に到着したのだった。

制服の青と黒が、やけに壁の花々と対照的だった。


「この絵は、違法表現の可能性がある。王国美術法第二七条に基づき、撤去・封印の処分を行う」

グレイシュの声は、機械のように感情のない声だった。


村人たちは壁の前に立ちはだかる。

誰一人として武器は持っていなかった。

だが、その沈黙は、あらゆる叫びよりも強かった。


ユンもまた、壁の前に出た。

彼女の足元には、筆が一本、落ちていた。

それを拾って、静かに空中をなぞる。


「ここに描かれているのは、“禁止された思想”じゃない。

私たちが見た景色、感じたもの、生きてきた証です」


だが、グレイシュは顔色一つ変えず、取り巻きに指示を出した。

「全域を撮影せよ。記録は上層部へ提出する。必要なら消去を強制執行する」


撮影機器が並べられ、シャッター音が響く。

壁に描かれた絵のすべてが、無言で記録されていった。


その時だった。

壁の端で遊んでいた小さな子どもが、ふいに絵の花に手を添えた。


「これ、ぼくが描いたやつだよ」

その声に、グレイシュの部下が動きを止める。


「こっちはね、ばあちゃんが色を足したの」

「ねえ、おじさん。絵って、消されるものなの?」


その幼い問いかけに、村中が静まり返った。


グレイシュはしばらく何も言わなかった。


彼は絵に目を向け、そして一歩、近づく。


「——名は?」

「ユンです」

「出身は?」

「どこにも属していません。絵を描いているだけです」


グレイシュは、壁の一部——ヴァロワが描いた連帯の人物群像を指差した。


「この構図は地下展示で禁止されたものに類似している。

かつて反乱の火種となった絵。また、建立記念美術展に出展され、学園追放となった原因の『無名の光』を意識しているのか?」


ユンは、まっすぐにその視線を受け止めた。


「似ているかもしれません。でも、これは“誰かの命令”で描いたものじゃない。

私たちが“共に生きている証”です」


取締官の手が、一瞬だけ震えた。


沈黙のあと、グレイシュは振り返った。


「・・・・・・今回は、上層部へ報告のみとする。だが次はない」


そう言い残し、彼と部隊は広場を去っていった。


 彼もまた、かつて筆を握っていたのだろうか——そんな気がした


静寂の中、誰かが、そっとため息をついた。

子どもが小さな拍手を打った。

そして、村中がそれに続いた。


ユンは言った。

「描くことで、守れるとは思っていなかった。

でも、描くことで“問う”ことは、できたかもしれない」


壁は無言のままだった。だが、その絵は確かに語っていた。


次回予告

絵を描くことは、抗うこと。

それが静かな“革命”になる時、何が生まれ、何が失われるのか——

そしてユンが次に描くのは、“希望”か、“別れ”か?


 第十六話

「炎の肖像、あるいは革命未満の夜」

ユンのもとを訪れた一人の若者。

彼は、かつて“火を放った者”だった。

そして語られる——“もう一つの革命”の記憶。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?