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第16話 炎の肖像、あるいは革命未満の夜

 月が高く昇ったころ、一人の男が村のアトリエ跡を訪ねてきた。

革のコートに煤の匂い。片目には古い傷跡。手には、焦げたスケッチブックを抱えていた。


「ユン……だな」

低い声がアトリエの扉を震わせた。


ユンとヴァロワは身構えたが、ナイルが一歩前に出る。

「誰だ、お前は」


男は名乗った。「・・・・・・ザン・レヴィク。かつて地下美術館で、火を放った者だ」


その名に、ヴァロワの表情が一変する。

「……お前、絵画破壊犯じゃないか。美術館の作品を焼いた」


ザンは黙って、スケッチブックをユンに差し出した。

「あれは破壊じゃなかった。……葬送だった」


ユンは受け取ったスケッチブックをめくる。煤けたページのあちこちに、かつて展示されていた美術品の断片——目元だけの肖像、ねじれた光の陰影、焼け残ったキャンバスの端が描き込まれていた。


「美術館は、死者の牢屋だった。描いた者も、観る者も、過去に縛られていた。……俺は、解放したかった」


ナイルが呆れたように口を挟む。

「それが“火を放つ”ことかよ。解放じゃなくて破壊って言うんだ、それは」


ザンは否定しなかった。ただ、ゆっくりと煙草に火をつけた。


「今さら弁解するつもりはない。だが、あのとき燃え残った一枚があった。名前もない、少女の肖像。……おそらく、お前の描いたものだ」


ユンの手が止まる。


「——“目を閉じて笑う少女”?」


ザンは頷いた。


「あれだけは燃えなかった。燃やせなかった。今も、俺の記憶の中で笑っている」


アトリエに沈黙が落ちる。焚き火の明かりが、三人と一人の顔を揺らめかせた。


「……何が欲しくて、ここに来た」

ヴァロワが問いかけた。


ザンは、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。

「革命は、起こらなかった。焼け跡には、何も残らなかった。でも、お前たちはまだ“描いてる”んだろう?」


ユンは静かに頷いた。


「だったら、俺の記憶を——描き直してくれ。燃やすしかなかった“何か”を、お前の手で残してくれ」


ナイルが小さくため息をつく。

「……また、面倒な奴が増えたな、絵を描く旅のはずが、罪人の更生所になってきた」


だが、ヴァロワは真顔で言った。

「俺たちは“語る”手段として描いている。だから、その過去も、向き合うべきだ」


ユンは焚き火に向かってスケッチブックを開く。

煤けたページに、新しい線を刻む。

かつて炎に包まれた少女が、今、静かに目を開けた。


「……描くよ。これは、あなたの罪の絵じゃない。——“まだ終わっていない革命”の肖像」


火の明かりが、夜を切り裂いた。

その絵は、燃え残る記憶とともに、新たな命を宿し始めていた。


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