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第22話 セレンとマルク、北方の街のアトリエにて


  荒野のさらに北方、切り立った岩山の影に、ひとつの石造りのアトリエがあった。

この一帯はかつて、毛織物工業と交易によって栄えた町々を擁し、絵画においては写実主義が深く根を下ろしていた。

絵筆は技術とともに磨かれ、描くことは信仰や記録であると同時に、職人たちの誇りでもあった。


風と光を測り、色と時間を封じるように描かれた数多の作品たち。

このアトリエもまた、そうした写実の精神を宿す場所として長く存在してきたのだろう。

まるで時代の風雪に試されながら、静かに“在り続けてきた”ような重厚な佇まいだった。


ユンたちはそこに辿り着くと、目を奪われる光景に出くわした・・・・・・


「これは……」


広い壁にかかっていたのは、一組の男女を描いた重厚な肖像画だった。二人は向かい合うように立ち、目を逸らさずに見つめている。

緻密な衣装、手のしぐさ、背景の一つひとつまで、まるで静かに物語っているかのようだった。


「……祝福の場面、なのかしら?」

ユンが呟く。


「結婚式なのかもしれない。」

ナイルが頷く。


「絵の奥に“見えない言葉”が詰まってる」


ヴァロワは壁の反対側に目を移した。そこにはさらに巨大な祭壇画が飾られていた。

幾層にも分かれた構図。

中央には、王座に座す神聖なる存在が描かれ、その周囲には預言者、天からの使者、そして民衆が円を成していた。緻密な細部、群像劇のような構成。

それは神話でもなく宗教でもない、“真理の象徴”としての人間の姿だった。


「これは……かの有名な、セレンとマルクの……」


ヴァロワは呆然と立ち尽くす。「間違いない。彼らの“仕事”だ」


その瞬間、風が途絶えたように思えた。砂塵はおさまり、アトリエの空気に静寂が訪れる。


「……次は、私たちが描く番。風にさらわれても、ここに何かを残すために」

ユンがそう言いかけたとき、誰かの足音が、背後から聞こえてきた。


ヴァロワが振り返る。


その入り口に立っていたのは——


「……セレン、マルク……」


二人は、まるで絵から抜け出したようにそこにいた。だがその姿は、かつてユンたちが知っていたものとは少し異なっていた。


時間に洗われ、何かを乗り越えた人間だけが持つ、静かで澄んだ眼差しをたたえていた。


「……あなたたち、ここで……」


ナイルが驚きを隠せず言う。


「僕らは逃げたんじゃない。ただ、描くべき“最後”を探してここへ来た」

マルクが言った。


「そして見つけたの。何もない場所に、すべてがあることを」

セレンはユンに目を向ける。その手には、完成された最後のスケッチブックがあった。


「これは、まだ未完成」

そう言って、スケッチブックを差し出す。


ユンはそれを受け取る。中には、野原に咲く一輪の花と、それに手を伸ばす人影が描かれていた。


——それは、どこか彼女自身の姿にも重なって見えた。


「君たちのことは知っている。僕たちは、写実画家の代表と謳われた。でも、最近それだけで良いのか疑問を持ち始めた。だから、描いてみて。そうしたら、僕たちも、また新しい何かを描けるかもしれない。」

セレンが囁く。


マルクは、アトリエの祭壇画を見上げる。

「あれは僕らの“最高傑作”だった。でも君たちには、“君たちの最高傑作”を描いてほしい。」


ヴァロワが、そっと目を閉じた。

「……わかった。必ず」


風が再び吹いた。


ユンたちは、それをまっすぐに見つめていた。


アトリエの奥、古びたキャンバスが静かに待っている。


次に描かれるのは、誰の祈りか。


誰の革命か。


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