静かな湖畔の村。並木道の向こうに、絵筆を構えた一人の男がいた。
キャンバスの上には、驚くほど細かい無数の点。それらが秩序をもって連なり、草原も、人影も、そして光までも形づくっていた。
「これは……全部、点で……?」
ユンが声を漏らすと、男は帽子を軽く持ち上げた。
「おや、若い画家さんたちかい。興味があるのかい?」
「ええ、こんな描き方……初めて見ました」
「点描法さ。色と時間を、バラバラにして描いてるんだ」
彼の名は、ティボー・ルニエ。科学と感性を融合させた独特の画風の持ち主だった。
「筆で点を打つなんて、普通は効率悪すぎるって笑われるけどね。でも、俺たちは……時間を描こうとしてるんだ。ひと筆で風景を決めるよりも、光がどう“変わるか”の方に魅せられてる」
ナイルが興味深そうにキャンバスに近づいた。
「つまり……この点のひとつひとつが、光の“瞬間”ってことか」
「その通り。午前と午後で影は違う。人の心も違う。だから、正確に“今ここ”を写すことより、色の重なりで“全体”を感じさせたい」
ヴァロワが肩を組むようにユンに言う。
「ユン、お前は“叫び”を描ける。でも今、この男は……囁きにも価値があるって示してる」
「……うん」
ユンはじっと、ルニエの筆先を見つめていた。
「でも、こんなにも細かく打ち続けるの、正直つらくありませんか?」
「もちろん、指も肩も悲鳴をあげるよ。だが……」
ルニエは、点描の中に描かれた子供たちの輪に目をやった。
「それでも、ひとつの色が、別の色と“響き合って”いくんだ。赤の隣に青を置けば紫に見える。色は、孤独じゃ生きられない。まるで、人間みたいだろ?」
「……!」
ユンは言葉を失った。
かつて学院で学んでいた頃、彼女は“正しさ”ばかりを追い、どこかで自分だけの色を失いかけていた。けれど、目の前の点描には、無数の“違い”が共存し、響き合い、ひとつの光景を作っていた。
「点は小さい。けれど、積み重ねれば、大地にも空にもなる。希望にもね」
ルニエは穏やかに微笑んだ。
「さあ、君も打ってごらん。線でも面でもない、時間の粒を——君の色で」
ユンはそっと、筆を受け取った。
白い余白に、ためらいながら打った最初の点。それは、彼女にとって“叫び”ではなく、“ささやき”だった。
だが、その小さな声が、どこかで誰かの色と響き合うかもしれない。
その可能性に、ユンの胸は温かく震えていた。