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第47話 批評家への挑発


 夏の湿気がまとわりつく午後、ヴァロワのアトリエは鮮烈な色彩で満たされていた。

 燃えるような赤、刺すような黒、ねじれた人体が暴力的に絡み合うその絵は、これまでの彼の作品とは一線を画していた。

 画面からは怒りや激情がほとばしり、見る者の心を揺さぶる。

 色彩は激しく奔放でありながら、どこか計算されたバランスを保っていて、見る者の視線を一瞬たりとも逃さなかった。


「これならカロンは黙っていられまい」

ヴァロワはキャンバスの前に立ち、指先で線をなぞるようにして確かめる。

 目の奥には燃えるような決意が宿り、拳をぎゅっと握りしめた。

「……これは俺の、反抗の叫びだ」


その時、アトリエの重いドアが静かに開き、ミレイユが入ってきた。

 彼女は腕を組み、ヴァロワの作品をじっと見つめてから、静かにため息をついた。

 薄暗いアトリエの中で、彼女の瞳は不安と心配が交錯しているようだった。


「また挑発的ね。まるで敵に宣戦布告でもしているみたい」

ミレイユは冷静な口調で言うが、その声には心配の色がにじんでいた。

 彼女の眼差しはヴァロワの激しい絵を追いながらも、内側で揺れる何かを必死に抑えようとしている。


「カロンは、このくらい派手な絵じゃないと響かないと思ったんだ。前回のあの冷酷な批評を忘れさせるような、強烈なインパクトが必要だろう?」

ヴァロワは肩をすくめ、少しだけ皮肉な笑みを浮かべる。

「彼に言わせれば、俺の絵はいつも安全地帯にいる、ってことだったからな」


「でも、ただ激しく描けばいいってもんじゃないわ。感情の暴発は自己陶酔に過ぎなくなる。あなたの内面の繊細さが隠れてしまう」

ミレイユは目を細めて続けた。

「私はあなたの絵の言葉にもなりたい。だから、その叫びの奥にある、本当のあなたを見せてほしいの」


ヴァロワは少し黙り込み、やがてうなずいた。

「わかっている。だが、今はこの戦いが必要なんだ。カロンに俺たちの存在を思い知らせるために」

彼は深く息を吸い、力強く言い切る。

「逃げたくはない」


ミレイユは静かにヴァロワの肩に手を置いた。

「無理はしないで。私はあなたの後ろ盾になるから」


数日後、ヴァロワの新作は個展で披露された。

 会場は熱狂と困惑の入り混じった空気に包まれていた。

 観客は激しい色彩と形態の奔流に圧倒され、一部は賛美し、他の者は拒絶の目を向けた。

 子どもが怖がり、大人が眉をひそめる。

 けれど、その絵が放つ熱量に誰も無関心ではいられなかった。


翌朝、街の主要な新聞にカロンの批評が大々的に掲載された。


「自己陶酔の極み」——見出しは冷たく鋭い。記事はさらにこう続く。


「ヴァロワの新作は挑戦を超え、観る者を置き去りにした自己満足の表現でしかない。技巧は確かだが、情熱は暴走し、混沌に堕している。絵画としての完成度は二の次だ」


ユンは記事を読みながら、胸の奥が締めつけられるような痛みを感じていた。

 ナイルは険しい表情でページを見つめる。


「カロンの言葉はいつも厳しい。だが、それだけ彼が注目している証拠でもある」

彼は鋭いまなざしをユンに向ける。

「注目されているなら、逆にチャンスだと思え」


ユンはヴァロワを見た。彼は無言で記事を読み終え、ゆっくりと顔を上げた。

 その目には静かな決意が灯っている。


「俺は自分の思いを描いた。誰かに受け入れられるためじゃない」

ヴァロワの声は硬く揺るがない。

「カロンの評価に惑わされるつもりはない」


ユンはその言葉をかみしめた。彼の覚悟が伝わってきた。


「でも、ミレイユはあなたがただ逆張りしているだけに見えるって心配してたわ」

その時、ミレイユが部屋に入り、静かに口を開いた。


「ヴァロワの絵は確かに激しい。だが、その激しさは単なる騒音じゃない。彼の絵は多くの人の心を震わせている。辛辣な批評に負けず、表現を貫く姿勢は尊いわ」

彼女の瞳には温かさが宿り、ヴァロワを見つめていた。


ヴァロワはわずかに微笑み、そして言った。


「カロンが見逃せなかったのは、俺の絵の熱だろう。その熱を持って戦う」

彼の言葉には揺るぎない決意がこもっていた。


ユンはうなずき、静かに答えた。

「私も、自分の祈りを描く。でもヴァロワの叫びも大切。表現は多様であるべきよ」


ミレイユは微笑みながら続ける。


「だからこそ、あなたたちは互いの違いを認め合いながら強くなっているのよ」


その夜、三人のアトリエには静かな闘志が満ちていた。蝋燭の炎が揺れ、夏の夜風が窓の外からそっと部屋を撫でる。


「批評は厳しいけれど、前に進むしかない」ユンが言う。


「そうだな。俺たちの戦いはこれからも続く」ヴァロワが応えた。


未来はまだ見えない。しかし、彼らは確かにその一歩を踏み出したのだった。


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