春の初め、ユンのもとに一通の招待状が届いた。
差出人は、隣国ルネーヴの首都で開催される国際アートフェアの運営委員会。
そこには、出展作家としての参加要請とともに、現地の美術館での特別展示枠まで用意されていると記されていた。
ルネーヴ――国境を越えて列車で半日もあれば行ける距離だが、文化も言葉も異なる、いわば「異国」。
ユンは以前から、その国の繊細な色彩感覚や装飾美術に惹かれていた。
招待は光栄であり、同時に緊張も伴った。
異なる言語で作品意図を説明しなければならず、観客の価値観もまた母国とは違うだろう。
だが準備を進めて数日後、思いがけない情報が耳に入った。
「聞いたか?」と、ヴァロワが新聞を掲げてアトリエに現れた。
「カロンが同じフェアに来るらしいぞ。基調講演のスピーカーとして」
ユンの手が止まった。
カロン――数々の辛辣な言葉で彼女の作品を切り捨てた批評家。
その名をフェアの公式プログラムに見つけた瞬間、胸の奥に微かなざわめきが広がる。
渡航当日、列車は国境を越え、車窓に広がる景色が徐々に異国の色合いに変わっていく。
屋根の形、看板の書体、街路樹の剪定までが母国とは異なり、その変化が心を少し浮き立たせた。
宿に着くと、招待作家用の名札と通訳が用意され、翌日の設営準備が始まった。
展示会場は大理石の床と高い天井を持つ近代的な建物で、国内外から集まった作品が所狭しと並んでいた。
ユンは「朝の祈り」に続く新作を含め、五点を展示ブースに配置し、照明を何度も調整した。
作品はルネーヴ特有の柔らかい光を受け、色彩がわずかに違って見えた。
開幕初日、観客の反応は上々だった。
通訳を介して寄せられる質問は、母国とは切り口が異なり、より感覚的で詩的だった。
「この青は、あなたの夢の色ですか?」と問う若い女性や、「人物の手の形に祈りを感じる」と語る老紳士――その言葉に、ユンは胸の奥が温まるのを感じた。
しかし、その夜、現地の美術雑誌が発行した速報版を見て、空気が一変する。
見開きの一角にカロンの署名記事があり、そこにはこうあった。
「展示会場において、一部の作家は技術的達成を装いながら、実際には空虚な装飾性に留まっている。その典型が、某国の若手画家ユン氏である」
記事はさらに、彼女の筆致を「感情の深さを持たぬ水彩的表面」と形容し、観客の共感を得ていることすら「旅先での土産物が一時的に愛されるのと同じ現象」と切り捨てた。
言葉は冷ややかで、母国紙で読んだ酷評よりも、むしろ洗練されていた。
異国の読者向けに、毒を砂糖で包んだような文章だった。
翌朝、その記事は会場内でも話題になっていた。
通訳が気を利かせて内容を隠そうとしたが、ユンは静かに紙面を受け取り、黙って読んだ。
背後で数人の記者が、彼女の表情を盗み見ている気配がした。
昼過ぎ、カロンの講演が始まった。
舞台上の彼は、端正なスーツ姿で、流暢にルネーヴ語を操りながら、美術の潮流や市場性について語った。
直接ユンの名を出すことはなかったが、「技巧に寄りかかる若い作家」「旅情に頼る表現」といったフレーズが、まるで矢のように彼女の耳に突き刺さった。
だが不思議なことに、その午後からユンのブースを訪れる来場者はむしろ増えた。
記事を読んで興味を持った人々が、実物を確かめに来ていたのだ。
ある老婦人は作品の前で長く立ち止まり、「批評はともかく、私にはこの色が必要なのです」と呟き、その場で購入を決めた。
フェア最終日、撤収作業を終えたユンは、夜の駅前広場を歩いていた。
噴水の水音と異国の言葉が交じり合い、冷たい風が頬を撫でる。
批判は消えない。しかし、その批判すら、作品を見てもらうきっかけになっている――そう思うと、皮肉な笑みがこぼれた。
帰国列車の窓から見える国境の灯りが遠ざかる頃、ユンは心の中で静かに呟いた。
――異国の空気も、批評の棘も、すべてが絵の糧になる。
そして彼女は、次のキャンバスに描く色を思い描き始めていた。