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⑤俺たちの会社を作る。ボディガード会社だ

 昼下がりのカフェ。


 コーヒーの匂い。

 人々の話し声。

 道路を走る車の微かなエンジン音。


 外は穏やかな陽射し。

 だが、テーブルを挟んだ2人の空気は、それとは対照的だった。


 ジョージは軍の医療施設を出て数日後、ヴィンセントと向かい合って座っていた。

 テーブルには、ヴィンセントのブラックコーヒーと、ジョージの前にはリンゴジュース。


 腹部を負傷してから、なぜか体がやたら酸味を欲求するようになった。


「で、話ってのは?」


 ジョージは窓の外をぼんやりと眺めながら言った。

 ヴィンセントは腕を組み、テーブルに肘をつく。


「俺たちの会社を作る。ボディガード会社だ」


 ジョージはそれを一口飲んだ。

 興味がないわけではない。

 が、それはジョージらしい反応だった。


「お前も知ってるだろ、戦場を離れても、戦いは終わらねぇってな」


 ヴィンセントは意気込むように言った。


「軍を辞めた兵士の大半は、行き場をなくす。

 傭兵になるか、用心棒になるか、もしくは犯罪に手を染めるか

 ……まともな道はほとんどねぇ」


 ジョージは黙って話を聞いていた。


「でも、俺たちは違う。

 正規の軍や警察が手を出せねぇ領域で、人を“護る”会社を作るんだ」


 ヴィンセントは胸を叩き、ニヤリと笑った。

 そして懐のポケットから、文字が書かれた1枚の紙を出した。


ΩRMオルム

  ……それが俺たちの会社の名前だ」


「意味は?」


「Omega Risk Management(オメガ・リスク・マネジメント)」


「……最終防衛リスク管理?」


「そういうことだ。

 ただのセキュリティ会社じゃねぇ。

 俺たちがやるのは、本物の護衛だ。

 要人警護、企業の危機管理、政府機関に頼れない依頼人の保護――

 危機が起こる前に食い止める。

 それが俺たちの仕事だ」


 ジョージは少し考えるように目を細めた。


「……それをお前が仕切るのか?」


「当然。だが、お前も経営に関わったほうがいい」


「俺が?」


「お前、軍時代も状況判断や戦術分析はずば抜けてたろ?

  経営もそれと似たようなもんだ。

 戦略を立て、リスクを計算し、最適な手を打つ。

 お前なら、優秀な経営者になれる」


 ジョージは短く息をつき、コップの縁を指でなぞった。


「……悪いが、それは無理だ」


「なぜだ?」


「俺には向かない」


 ジョージははっきりとした口調で言った。


「組織を動かすことに興味はない。

 俺は経営者じゃない。

 指示を出す側じゃなく、現場で動く側だ」


 ヴィンセントは少し考えた後、頷いた。


「……まあ、お前ならそう言うか」


 ジョージはヴィンセントを見つめ、静かに言う。


「現場なら手を貸す」


 ヴィンセントはニヤリと笑った。


「よし、それで十分だ」


 ヴィンセントがコーヒーを一口飲み、ふと表情を引き締める。


「問題は資金だ。

 俺たちが動くには、装備や人員、拠点の確保が必要になる。

 最初のスタートアップ資金として、最低でも30万ドルは欲しい」


 ジョージは、ほんの一拍だけ沈黙し——


「……なら、俺が50万ドル出す」

「は?」


 ヴィンセントの笑みが固まった。


「軍を辞めた時の金がある。

 一括でもらった障害退役一時金とか手当とか、貯金も。

 合わせて50万だ」


 ジョージは淡々とした口調で言いながら、テーブルを指で軽く叩いた。


「全部出す」


 ヴィンセントは椅子からずり落ちそうになった。


「……おい待て、全部か?」


「そうだが?」


「いや、お前……ちょっと待て」


 ヴィンセントは眉をひそめ、首を振りながら座りなおした。


「貯金全額だと?

 お前、マジで言ってんのか?」


 ジョージは無表情のまま頷く。


「問題があるのか?」


「いや、問題しかねぇ!!」


 ヴィンセントは頭を抱えた。


「お前……何考えてんだ!?

 全額だぞ?

 そりゃ会社を作るにはデカい資金になるが……

 お前の貯金、全部なくなるんだぞ?

 酒も女も遊びもしないで必死に貯めたお金じゃねぇのか?」


「“貯めた”覚えはない。

 気づいたら“溜まってた”だけだ」


 ジョージは淡々とした口調で言った。


「……は?」


 ヴィンセントの目がゆっくりと見開いた。


「ちょっと待て、おい……」


 ジョージはリンゴジュースをひとくち啜った。

 ヴィンセントは一拍おいて、バンとテーブルを叩いた。


「テメェふざけんじゃねぇぞ!!

 これ、あの時のお金も含まれてんじゃねぇか!!」


「うん」


「“うん”じゃねぇよ!!

 お前、敵に捕まってギリ生還(※)して、それで報奨金やら手当やらで得た金まで全部ブチ込むって正気か!?」


 ジョージは肩をすくめた。


「別に欲しかったわけじゃない。

 でも断る理由もなかった。

 それだけだ」

「お前な……マジで、そういうとこ……」


 ヴィンセントは額を押さえて天を仰いだ。


「必要な時に使うべきだろ。今がその時だ。

 どうせ死んでいたらなかった金だ」


 ヴィンセントはしばらくジョージの顔を見つめ——ため息をついた。

 そして、無意識のように手を動かした。

 軽く曲げた指先を顎に当て、次いでその手を握りこぶしに変え、胸を軽く叩く。


 ジョージは無言だった。

 だが、その仕草には、何か――“重さ”のようなものがあった。


「……ダメだ。全部は受け取れねぇ」


 ジョージは一口飲み、肩をすくめた。


「なんだお前、50万ドル持ち逃げするのか?」


「しねぇよ!!」


 ヴィンセントは即答し、ムキになってテーブルを叩いた。

 ジョージは微かに目を細める。


「だよな。知ってた」


 ヴィンセントは苦々しく鼻を鳴らした。


「くそ……そういう言い方するな、マジで心証悪ぃ」


 ジョージは鼻で笑って、ジュースを飲み干した。


「お前は?」


「ん?」


「お前は資金を出さないのか?」


 ヴィンセントは眉を上にあげながら言った。


「もちろん出すさ。俺も軍を辞めた時に受け取った金がある。

 額はお前ほどじゃねぇがな」


 ジョージは黙って聞く。


「俺の貯金と合わせて、最初の出資額として15万ドル用意できる」


 ジョージは静かに頷いた。


「それで65万」


「でもお前、50万は……」


「うるさい。何度も言わせるな」


 ヴィンセントは一瞬、口を開きかけて、閉じた。

 額を押さえ、短くため息をつく。

 それからジョージをじっと見つめ——やがて、肩をすくめて笑った。


「……お前、相変わらず本当にぶっ飛んでるな」


 ヴィンセントは、テーブルをバンッと叩く。

 その勢いのまま、両掌で胸を撫で、軽くジョージの方へと押し出した。

―― Appreciate you.


「ΩRMは、今ここから始まる!」


 ジョージは相変わらず淡々としていたが、その口元がほんのわずか、緩んだように見えた。



※【番外編】ヴィンセント・モロー①〜⑤



BGM:


ONE OK LOCK “Change”

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