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001:休暇がてらの依頼

 1ヶ月前。ΩRM。


 午後の光が、レンガ壁のオフィスに射していた。

 かつて倉庫だった建物を改装した本部。

 天井は高い。

 壁にはホワイトボード。

 色分けされたスケジュールマグネットが整然と並ぶ。


 副社長のチャールズ・フィンリー、通称“チャット”が電話を掛けている。

 丁寧な調子で「Yes, ma'am」と締めくくる。

 声の端には、どこか演技じみた礼儀があった。


 カチ、と受話器を戻す音が響く。

 ホワイトボードを一瞥したあと、チャットは身体をくるりと回した。


 視線の先――

 ソファ席。ジョージ・ウガジンが、ヨーグルトを淡々と口に運んでいた。

 スプーンの動きに無駄はない。音すら立てない。

 妙に機械的だったが、それがいつもの彼だった。


 チャットは片口を上げて笑い、メモ用紙を一枚もぎ取る。

 ボールペンが走り、数行を書きつける。

 それを折ってジョージに投げた。


「明日の仕事、決まったぞ。

 おめでとう、ミスター・休暇中」


 ジョージは顔を上げない。

 咀嚼を終え、喉を鳴らしてようやく一言。


「……休暇のはずだが」


 チャットは指をくるくる回しながら、芝居がかった動作で続けた。


「“だった”。過去形な、ミスター・休暇中。

 つーか、そもそもなんでオフなのに会社に来てんだよ――まあいい。

 今回のは“休暇っぽい任務”ってことで、法的にも精神衛生的にもギリギリセーフ。

 ていうかさ――もう俺ら、学んだじゃん?」


 視線だけで、ヴィンセントを指し示す。

 チャットの語りが続く。


「ジョージにガチの休暇くれてやると、だいたい数日後には“退屈”って理由でチンピラ狩り始めて、

 警察に“今後この地区には近づかないでください”って書類叩きつけられるんだよ」


 ヴィンセントが無言で頭を抱えた。

 そのリアクションに、チャットは勢いを増す。


「で、迎えに行ったヴィンちゃんが“うちの子がすみませんでした”って深夜の警察署で謝罪。

 しかも本人は“あれは正当防衛セルフディフェンス”って言いながら、しれっと地下ファイト出てる。

 警報器よりヴィンちゃんの怒声がデカいとか、もう社内で予測済みだからな。

 未来視かよ」


 チャットの両手が宙を泳ぐ。

 ヴィンセントは腕を組んだまま、わずかに肩をすくめて返す。


「チャットの言い方はアレだが、内容には一理ある。

 生活リズムの調整も兼ねて、少し“普通の空気”に触れてこい。

 ……戦場じゃなく、生活の中に身を置く任務ってのも、たまには必要だ。

 まあ、バカンスとは言えねぇが……久々に穏やかな案件だ。たぶん」


 “たぶん”の一言に、ジョージの眉がわずかに動いた。

 手元のスプーンを咥えたまま、膝の上のメモを開く。


 民間女性からの個人依頼。

 娘ふたりと同居。

 セキュリティ診断&常駐警護。

 初回面談含む。


「……場所は?」


 くぐもった声で聞いた。


「ジャージー近郊。郊外の一軒家。

 依頼者は……グレナンさん、だったかな。

 シングルマザー。強引な客じゃない。フィーリングは悪くなかった。

 むしろ、お前と同じで警戒心の塊だったよ」


 チャットはメモを指差して続ける。


「だから今回は、“やや働きながら休める”っていう新しいジョージ対策。

 地雷も銃弾も飛ばねぇ、家庭のぬくもりで包まれた警護案件。

 毎日2食、野菜と愛情入りの手料理つきだぞ?

 偏食系プロフェッショナルに優しい設計。神かよ」


 ジョージはスプーンを置いた。

 空になったヨーグルトのカップを、無造作にゴミ箱へ投げる。

 再びメモに目を落とす。


「……常駐か?」


「ああ。まずは1週間の仮契約。延長の可能性あり。

 要件はセキュリティ強化と“存在による抑止”。つまり――」


「俺が、家にいること自体が任務ってわけか」


「その通り!

 服はカジュアルで。殺し屋感NG。

 “近所の犬を撫でてそうな男”って雰囲気で頼む。犬耳は要らんけどな」


「犬は吠えるが、俺は黙ってる」


「それで十分さ――

 ただし、“ジョン・ウィック”にならないでくれよ?

 あれ、犬撫でてたけど最終的に世界中に指名手配されたからな」


 ジョージが微かに首を傾げた。


「……あいつ、銃とスーツしか着てないだろ」


「だからだよ!

 今回は“ジャージ姿で鉢植えに水やってる近所のお兄さん”で頼むわ。

 せめて、人間と挨拶できる雰囲気を出してくれ。

 “ジョン・”で頼む」


 チャットがウィンクしてみせる。

 ジョージはちらりとだけ視線を向け、反応は返さなかった。


「明日朝出発。

 プロフィール、今夜中にインストールしとけ。

 クライアント、たぶん“あらやだ、この子、小さくてかわいいわ。未成年かしら?”って顔するから」


 チャットは一人芝居を始めた。

 声を高く、胸に手を当てながら、上品ぶって口調を真似る。


「“あらやだ、この子が元・軍人?

 え、そういう訓練も受けてたって……本当?”

 で、次の瞬間、

 “ちょっと待ってこの人、ガチでプロ中のプロじゃない……?”

 ってなる。可愛いのに怖い。最高でしょ?」


 ヴィンセントが喉の奥で笑いながら口を挟む。


「悪い意味じゃない。むしろそっちのが信頼される。

 時間をかけて、少しずつ馴染めばいい。……お前は、そういうタイプだろ」


 ジョージは小さく頷いた。

 手帳を開きながら、ぽつりと呟く。


「……家庭料理か」


 チャットが即座に反応する。


「そこ!?

 いやでも、正直そこが一番効くんだろ、お前には」

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