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005:女子3人の家に、知らない男が泊まるってどうなの


 ナンシーは眠れずにいた。

 ――自分の判断は果たして正しかったのかどうか?

 ΩRMのチャールズ・フィンリーという男の言葉を思い出していた。


「ミセス・グレナン。これは私の勘ですが――」


 フィンリーの声は穏やかだった。

 だが、その下に研がれた刃のような静けさがある。


「この“勘”ってやつ、昔はポーカーと逃げ道のない交渉でしか使わなかったんですが……今は、人の命に使うようになりましてね」


 わずかに皮肉が滲む。

 それでも声色は崩れず、プロの顔を保っていた。


「今回のケース。女性エージェントをご希望とのことでしたが……

 私の率直な意見としては、男性の方が適任です。

 もちろん、ご不安は理解しています。


 自宅に男を入れるのは、なにより警戒すべきことです。

 でも――この状況で安心と対処力を両立できる人間は、数が限られている」


 ナンシーが黙っていると、フィンリーはふっと笑いを混ぜた声で言った。


「無理にお選びいただくつもりはありません。

 うちは強引に押すのが商売じゃない。

 ただ……そうですね。


 他社が百貨店なら、うちは“裏路地にある本物の店”みたいなものでして。

 看板は小さいが、ナイフは研いである」


 一呼吸置き、トーンをさらに低くする。


「もし私の提案を受けていただけるなら――

 基本料金は誠実に調整します。

 追加料金も、極力抑える方向で動きます。


 そして。私が最も信頼している、我々のエースを派遣いたします。


 彼は、言葉よりも先に動く男です。

 ご家族を守るという一点において、ブレることはありません」


 まるで劇中の一幕のような、静かで張り詰めた間。

 それすら計算に入れているような、説得のトーンだった。


 そして今日、ナンシーは扉の向こうに立つ男を見て、一瞬、言葉を失った。

 思っていたより、小柄で若かった。


 それが率直な感想だった。

 もっと大柄で、威圧感のある男を想像していた。

 いかにも“ボディーガード”らしい、壁のような体格の持ち主を。


 だが、現れた男は違った。


 背は低く、体格も控えめ。

 鍛えられた体は服越しにも分かるが、強さを見せびらかす雰囲気はない。

 通りすぎてしまいそうな、静かな存在感。


 ほんの少し、落胆が胸をよぎる。

(この人に、家族を任せていいのだろうか……)


 黒髪はわずかに癖があり、額に影を落としている。

 目鼻立ちは整っている。

 輪郭も骨格も、端正な顔立ちの部類に入る。


 けれど、何かが違った。

 図面通りに完成したはずのその顔には、どうしても“にじみ”がある。

 まるで、精密に引かれた設計図に、あとからインクをこぼしたような――そんな違和感。


 失った何か。背負った何か。

 本人すらもう形を忘れかけたそれらが、表情の奥で干からび、貼りついている。


 壊されて、貼り合わせて、また裂けて――

 そうしてようやく今、かろうじて“ひとりの人間”として立っている。そんな顔だった。


 そして、その男がこちらを向いた。


 無表情で、まばたきの少ない目。

 若く見えたはずなのに、年齢が読めない。

 体は未完成に見えるのに、目だけがやけに冷たくて、よく訓練された獣のようだった。 


 黒い瞳だった。

 吸い込まれるような深さはない。

 ただ、何も映さず、何も拒まない。


 感情の揺らぎは見えないのに、不思議と目を逸らしたくなる。

 見透かされたような気がして、けれど、それが何を意味しているのか分からない。

 一言でいえば――得体が知れなかった。


 そもそも、男性でよかったのだろうか?

 母親と娘2人の家に、見ず知らずの男を入れて、本当に大丈夫なのか。

 料金の安さにつられて決めたけれど、それが娘たちを危険に晒すことにならないか――

 矛盾した感情がぶつかり合う。


 その時、廊下の向こうからジェシカの足音が聞こえた。

 ナンシーは思わず身を起こし、ドアを少しだけ開けて、リビングの様子をうかがう。


 ジェシカは相変わらず生意気な口をきいていた。

 それに対し、ジョージは、いちいちムキになることなく、軽くいなすように応じている。

 流すのではなく、軽やかに受け止め、適度なユーモアを交えながら。


 ナンシーはそっと息を吐いた。

 ジェシカにはまだ説明しそびれていた、家のセキュリティのこと。

 そして、SNSの管理についても。


 ジョージはすでにナンシーとアカウントを相互フォローしているが、彼女の投稿のほとんどはジム関連のものばかりだ。


 耳を澄ませると、リビングの空気がわずかに張り詰めるのがわかった。

 ジェシカが何か反発したのだろう。

 次の瞬間、ジョージの静かな声が響いた。


「ボディーガードの使命は、生命だけじゃない。生活も守る」


 その言葉を聞いた瞬間、ナンシーの中で、張り詰めていたものがふっと緩んだ。


 ――この人なら、大丈夫かもしれない。


 確信とまではいかない。

 だが、漠然とした不安の隙間に、小さな安心感がそっと入り込んでくるのを感じた。


 ジェシカが不機嫌そうに部屋へ戻っていく。

 謝らなきゃ。そう思いながらも、ナンシーは一瞬ためらった。

 そして、そっとドアを開ける。


 ダイニングを覗くと、ジョージが背を向け、椅子から立ち上がろうとしていた。


 その背中は、夜の闇のように静かで冷たい影を落としていた。


 暗さのせいかもしれない。

 でも、どこか近寄りがたかった。


 まるで日本のサムライのようだった。

 背筋がまっすぐに伸び、どこか張り詰めた空気を纏っている。

 戦場に立つ者の、静かで揺るがぬ覚悟がそこにあった。


 ナンシーは迷った。

 声をかけようとして。

 だが、喉が詰まるような感覚に襲われた。


 結局、言葉にならないまま、そっとドアを閉じた。



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