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008:これ休暇じゃなくて地雷原

 スマホが震えた。

 今度は警報じゃない。

 着信。

 画面に浮かんだ名――ΩRM ヴィンセント・モロー(社長)。


「遅いな」


 ジョージは静かに応答した。

 扉を閉め、外に留まる。

 気安さの裏に、薄い緊張を仕込む。


『すまん。野暮用が立て込んでた。ようやく片付いた』


「で?」


『先に言う。……ストーカーじゃなかった。

 アイツのカン、当たってる。

 いや、想像以上だった』


 言葉の温度が少し下がった。

 ジョージはジッポライターを親指で弾きながら、視線を閉じる。


『ナンシー・グレナンが証言した裁判。

 事件番号は追えた。だが……』


「ロックがかかってるか」


『ああ。中身が見えねぇ。

 証言、証拠、関係者、すべてブラックアウト。

 要保護案件か、進行中の捜査か……

 いずれにせよ、開示不能だ』


「カテゴリーは?」


『Drug Trafficking。麻薬取引だ。

 証人保護プログラムに絡んでる可能性もある』


 ジョージは短く鼻から息を吐いた。

 空気の密度が変わる。


「誰が捕まった」


『出てきたのは末端ばかり。

 前科ありの小物数名。ボス格は1人も名前なし』


「つまり、ナンシーは組織の“中身”を偶然見た」


『そうなるな。で、今になって火が回ってきたってわけだ』


 ジョージはライターの蓋を閉じた。

 刃物のような金属音が静かに響く。


「事件が表に出たのはいつだ」


『1ヶ月と数日。裁判も異常に早い。

 すでに有罪確定。だが、本丸は――まだ動いてる』


「関係組織の名前は?」


『見えねぇ。アクセス権が足りない』


「……厄介だな」


『お前の案件、もう“休暇ついでの軽作業”じゃねぇぞ。

 敵の輪郭が見えない。

 最悪、地下でつながってる可能性もある』


 ジョージは目を伏せた。

 静かに呟く。


「……なんだよ。のんびりした依頼のはずだった」


『誰が信じるか。どうせ休まねぇ癖に』


 鼻で笑いながら、ジョージは煙草を探しかけ――止めた。

 ポケットに指が触れたまま、手を引く。


「さっき、1匹排除した。

 薬漬けの目をしてた。ドフという名を出した」


『ドフ?……聞いたことねぇ。

 たぶん偽名。末端が適当に使ってるコードネームだろう』


「ああ。ナンシーに確認を取る。接点があるかもしれん」


『だが慎重にな。深く入りすぎると、向こうも動く』


「分かってる。そっちも気をつけろ」


『言われたくねぇな。まずはお前だ、無理するな』


 ヴィンセントの声は軽かった。

 だが、言葉の奥に警戒が滲んでいた。

 ジョージはジッポライターを再びパチンと閉じる。


『なあ、今、ジッポの音がしたぞ?

 ……まさか、吸ってんじゃないだろうな』


「なぜ」


『いや……音で分かった。

 吸ったら殴るからな、リモートで』


「吸ってない。今回は吸わないと決めてる」


『なら、この機会にやめろよ』


 ジョージは何も返さなかった。

 鼻を鳴らすだけで済ませた。


『じゃあな』


 通信が切れる。


 ジョージは数秒、スマホを見つめたまま動かなかった。

 それから、静かにポケットへ戻す。


 “のんびりした依頼”だったはずの仕事が、いつの間にか深い沼に変わっていた。

 まあ――予想はついてた。

 ジョージはスマホで頭を2回、軽く叩いた。


 ふ、と息を吐く。


 これはストーカーじゃない。

 ナンシーが踏み込んだのは、もっと根が深い領域だった。


 ドアを開ける。

 音は立てない。

 リビングには、先ほどの静けさがそのまま残っていた。


 ジョージはソファに腰を下ろす。

 重心を沈め、右手でハンドガンを握る。

 そのまま、ゆっくりと瞼を閉じた。


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