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012: アプリコットのあとに血の匂い

 外に出ると、陽光が皮膚を焼いた。

 空は眩しいほど青く、首元には汗が垂れていた。

 ジョージは袖で拭い、深く呼吸を整える。


 駐車場の隣、フェンスに囲まれた一角。

 そこに、使われなくなった倉庫があった。


 ドライアプリコットをひとつ、口に放る。

 甘さはなく、歯ごたえだけが残る。

 舌の上で転がしながら、足を踏み出した。


 人の気配はなかった。

 だが、空気が死んではいない。


 倉庫の鉄製シャッターは赤茶けた錆に覆われ、

 入口には積み重ねられた木箱と廃材。

 壁面には古びた落書き。

 管理の手はとうに離れていた。


 ナンシーが「見た」と言った現場。

 麻薬の取引、あるいはそのもっと深い闇。

 ジョージは歩を止め、息を殺した。


 目に見える情報を拾う。順に処理する。


 防犯カメラ → なし。監視はゼロ。

 地面のタイヤ痕 → 繰り返し出入りした形跡。複数台。

 割れた酒瓶の破片 → 隅に散乱。喧騒の痕跡。


 だが、なにかが違う。


 ジョージは小型のLEDライトを取り出し、地面をなぞる。

 シャッター脇――そこに、黒ずんだ染み。

 乾いて固まり、土に沈んでいた。


 時間が経っている。

 だが完全には消えていない。


 しゃがみ込み、指先でふれる。

 感触と色。血液で間違いない。

 しかも、これは人のものだ。


「……数週間前か」


 ナンシーの証言時期と一致する。

 誰かが、ここで血を流した。

 争いか、処刑か――その境界は紙一重だった。


 ジョージは立ち上がり、アプリコットを飲み込む。

 もうひとつ口に入れながら、シャッターに目を向けた。


 わずかな隙間。

 体を屈め、そこから中を覗く。


 目に飛び込んできたのは――


 開けられた木箱 → 中身は空。何かが運び出された痕跡。

 使用済みの注射器 → 壁際に放置。型はヘロイン用に近い。

 こぼれた白い粉 → コカインか、あるいはフィンタニル。


 ここは、確実に“使われていた”場所だった。


 今は空。

 しかし、撤収の跡が雑すぎる。

 血が残っているのが、その証拠だ。


(処理班が来ていないか、もしくは……

 ……誰かの死体だけが、持ち去られた)


 ジョージは再びしゃがみ、血痕の軌道をなぞる。

 シャッターの隙間へ向かう、断続的な点々。

 誰かが引きずられた痕跡。


 口の中のナッツを砕きながら、ジョージはスマホを取り出す。

 ヴィンセントに短くメッセージを送った。


 [ナンシーが目撃した現場、確認]

 [血痕あり。争いか、処刑の可能性]

 [現場は空。だが痕跡が残っている]


 十数秒で返信が来る。


 [そっちの写真、送ってくれ]


 ジョージは血痕の写真を何枚か添付し、送信。


 数分後、再び通知。


 [……マズいな。もし"アレ"なら……]

 [深入りはするな。証言が原因なら、ナンシーが標的になる]


 スマホの角を、額に当てた。

 トントン、と2回。

 考えるための音。いや、覚悟を固める儀式。


 ナンシーが“見た”もの。

 それは偶然じゃない。

 すでに彼女は――引き返せない場所にいる。


 ジョージは立ち上がる。

 視線の先には、ただ錆びたシャッター。

 だが彼の眼差しには、もはや“調査”の色はなかった。


 これは、戦いだ。


 スマホをポケットにしまい、最後に倉庫を一瞥する。

 その向こうにいる敵の輪郭を、静かに探る。


「……始まってる。

 だが、“警告”にしては、妙に遠回しだ……なぜだ?」


 誰に向けた脅しなのか。

 ナンシーか、それとも――証言そのものか。


 答えは、まだ出ない。

 だが、次の一手は確実に来る。


 ジョージは背を向け、歩き出した。

 陽射しが背中を焼いても、振り返ることはなかった。

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