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046:支配できないものに、俺は耐えられない

 キングスリーは、目を開けた瞬間、頭の芯に鈍い痛みを感じた。

 鼓膜の奥で、まだ酔いが残っているような重さ。

 だが、それは酒のせいではなかった。

 もっと厄介な、胸の底でくすぶる熱――苛立ちだった。


 ナンシーの顔が、脳裏にこびりついている。


 舌打ち。

 寝返りを打つと、シーツが汗ばんだ肌にまとわりついた。

 甘ったるい香水と性の名残が、部屋の空気に滲んでいる。


 横には女が2人。

 どちらも派手な口紅が剥がれかけ、虚ろな表情で眠っていた。

 昨夜、酔った勢いで連れ帰った女たちだった。

 名前も顔も、どうでもいい。


(お前じゃない)


 キングスリーの思考が、瞬時にそこへ跳んだ。


 彼が欲しているのは、目の前の女ではなかった。

 あの女――ナンシー。

 唯一、自分の支配が通じなかった女。


「……もう、金はいらない」


 あのときの声。あの目。

 挑むような、見下すような、あの視線。

 背筋に冷水をかけられたような感覚が蘇る。


 ――殴った。

 反射だった。

 だが、それでもナンシーは崩れなかった。

 頬を押さえて立ち尽くしながら、ただ睨み返してきた。


(お前に、私の人生は渡さない)


 あの目が、キングスリーの中の何かを裂いた。

 女は従うもの。

 金と保護、少しの優しさを与えれば、膝をつくもの。

 それが世界の秩序だった。


 それを拒絶された――それが、許せなかった。


「ふざけんなよ……」


 呟いた声に、隣の女がぴくりと反応する。


「……ん……ビル……?」


 苛立ちが、込み上げた。

 その名を呼ぶ声が、ナンシーの声を汚すように思えた。

 キングスリーは女の腕を乱暴に払った。


「……ッ!」


 女がベッドに倒れ込む音が、乾いた空気に響く。


「寝ぼけてんじゃねぇ。出て行け」


 冷えた声。

 意図的に、感情を抜いた音域。

 それは相手の存在を否定するための、無機質なナイフだった。


 女の表情が一瞬凍り、もう1人の女も身を縮める。

 それを見て、キングスリーはわずかに口元を歪めた。


 恐怖。

 これが正しい反応だ。

 従属こそが、美徳。


「……ビル……昨日は……」


「昨日は終わった。

 もうお前たちは、ただの残り香だ」


 キングスリーはシーツを足で蹴飛ばし、裸のままベッドを降りた。

 テーブルの上、倒れかけたバーボンのボトル。

 グラスには、昨夜の余りがまだ少し残っていた。


 指先でグラスをつまみ、ゆっくりと口に運ぶ。

 アルコールが喉を焼く。

 だが、それ以上に焼けているのは、心の奥だ。


 ナンシー。

 あの女だけは、思い通りにならなかった。

 それがキングスリーの中で、苛立ちを超えた“使命”に変わりつつあった。


「お前ら、着ろ。今すぐ出て行け」


 背を向けたまま、淡々と命じる。

 女たちは顔を見合わせ、慌てて服を拾い始めた。

 キングスリーは一瞥もくれなかった。


 もう、頭の中にはナンシーしかいない。


 あの女を落とせなければ、

 これまでの人生――築いてきた“支配の王国”のすべてが、嘘になる。


 グラスの酒を飲み干し、テーブルに置く。

 音は静かだったが、その内側では地鳴りのような衝動が渦を巻いていた。


“どう料理してやるか”


 感情ではない。戦術だ。

 キングスリーは、そう自分に言い聞かせた。


 これは恋じゃない。

 復讐でもない。

 秩序の回復。

 狂った世界を、元に戻すだけの話だった。

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