店内は騒がしかった。
子どもの笑い声。食器が擦れる音。
ファミレス特有の柔らかい照明が、料理を照らしていた。
ナンシーの前にはグリルサーモンとマッシュポテト。
ジェシカはチーズバーガーに山盛りのフライ。
リリーは、マカロニ&チーズをフォークでかき回している。
ジョージの皿には、チキンサラダとスープだけ。
その向かい。
ワラビーのテーブルには、ダブルチーズバーガーとベビーバックリブ。
そして山盛りのポテトフライ。
明らかにオーバーだった。
最初は値段を気にしていた。
だがジョージが一言、口にした。
「お前のは俺が奢る。好きなものを、腹一杯食え」
それでこの量だった。
「ワラビー、なんでいるの?」
ジェシカの声に呆れが混じる。
「いや~、なんか流れでついてきちゃった〜」
頬をかきながら、ポテトを一本くわえる。
緊張感という概念が欠落している。
ナンシーがふと思い出したように言った。
「そういえば、日本ってご飯を食べる前に言う言葉があるわよね?」
ジェシカが顔を上げた。
「え? 何それ?」
「いた……なんだっけ?」
視線が、自然とジョージに向かう。
「ジョージ、日本語でなんて言うの?」
リリーも、スプーンを握ったまま見上げてくる。
「しってる? しってる?」
ワラビーも無邪気に口を挟む。
「へぇ、日本語ってそんなルールあるんすね。ジョージさん、教えてくださいよ」
ジョージはフォークを手にしたまま、視線を落とした。
一瞬、時が止まる。
──いただきます。
それだけのことだった。
だが、喉が詰まる。
声が、出なかった。
違和感。
言葉が、口の奥にひっかかっていた。
舌に、妙な苦味が滲んでいく。
◇
ステンレスのトレイ。
冷えたパンとスープ。
殺風景な食堂。無言の列。
8歳の自分。
椅子に座り、小さな手を合わせた。
ただの癖だった。無意識だった。
「いただきます」
スプーンがテーブルに当たる。
他の音は、すべて消えた。
──空気が変わった。
目線が突き刺さる。
喋ってはいけない何かを口にした感覚。
向かいの少年が、目を伏せてスプーンを置いた。
隣の少女は、音もなく席を立ち、背を向けた。
足音が背後から迫る。
反射で背筋が伸びる。
次の瞬間――
机が叩かれた。
乾いた音が、身体を揺らす。
スープが波打ち、パンが転がる。
「何を言った?」
静かな声だった。
だが、胸を押し潰すほど重い。
口が勝手に動いた。
「
かすれた声。
喉が絞まる感覚。
拳が震えた。
誰も何も言わなかった。
だが、空気が言っていた。
──日本語を話すな。
──命を失うぞ。
足元が、音もなく沈む。
ぬかるみのように。終わりのように。
「お前はもう日本人じゃない」
静寂が、耳を締め付ける。
「お前はアメリカ人だ」
否定も拒否も許されなかった。
スプーンを握り直す。
言葉を飲み込み、沈黙を選んだ。
スープをすくい、喉に流す。
それだけ。
会話は、なかった。
◇
「ジョージ?」
ナンシーの声。
遠くで誰かが名前を呼ぶ。
気づくと、全員の視線がこちらを向いていた。
ジェシカ、リリー、ワラビー。
誰もが何かを察したような目をしていた。
ジョージは視線を落とす。
フォークを持った指が、わずかに動いた。
目の前には、ただのサラダ。
温かい料理の匂い。
人の笑い声。柔らかな照明。
あの食堂ではない。
これは、ファミレスだ。
息を吐く。浅く、静かに。
数秒の沈黙。
喉の奥の詰まりを断ち切るように、声を出した。
「……イタダキマスだ」
思った以上に、低い声だった。
だがそれでも、誰も言葉を返さなかった。
リリーが満足げに笑い、ジェシカが小さく頷く。
ナンシーは何かを飲み込むように、穏やかに微笑んだ。
ワラビーだけが、無邪気に肉を頬張りながら言った。
「へぇ、やっぱかっこいいっすね、日本語」
ジョージは何も言わなかった。
ただ、無言のまま、フォークを刺した。