――夢を見ていた。
息の詰まるような、あの夜の続き。
空気は乾いていた。
砂と血の匂いが入り混じる。
喉を裂かれた兵士が、音もなく崩れる。
声も、叫びも、祈りもない。
ジョージは、ただ刃を差し込み、止めを刺していった。
機械のように。
任務のために。
冷え切った心で。
その最中、遠くから声が響いた。
「おまえは何も感じないのか?」
ヴィンセントの声だった。
夢か記憶か……もはや区別もつかない。
「なあジョージ、あんとき、おまえ……何も感じなかったのかよ」
返事はなかった。
いや、できなかった。
感じなかったんじゃない。
感じることを――やめたんだ。
仲間を守りたくて。
何も失いたくなくて。
◇
目を開けると、部屋は闇の中に沈んでいた。
時計の針は、深夜の2時を少し過ぎた頃を示していた。
冷たい汗が、首筋に張りついている。
右脇腹の古傷に、無意識に指が触れた。
少し、震えていた。
静まり返った家の中で、ただ冷蔵庫の音だけが耳に残る。
ジョージはゆっくりと身を起こし、薄暗いリビングを見渡した。
毛布が足元に落ちている。
ソファの脇に転がったぬいぐるみが、
ここが戦場ではなく“日常”だと教えてくれていた。
( ……それでも、俺は、まだここにいる)
拾い上げた毛布を手繰り寄せ、ソファにもたれた。
もう一度目を閉じたが、眠気は戻ってこなかった。
◇
ふと、小さな声がした。
「……ジョージィー?」
目を開けると、廊下にリリーが立っていた。
毛布とユニコーンのぬいぐるみを引きずり、裸足のまま、目をこすっている。
「どうした?」
低く、静かに訊ねた。
「ねむれないの……こわいゆめ、みた……」
その一言に、ジョージのまぶたがわずかに動いた。
「……だっこ、して?」
ジョージは手を差し出した。
「ああ」
リリーは笑って、ジョージの腕にすっぽりと収まった。
そのままソファにもたれかかる。
小さな体が、ひどくあたたかい。
胸の奥に火種が灯るような感覚があった。
そのときだった。
リリーの小さな指が、シャツの隙間から脇腹に滑り込んだ。
古い傷に触れ、彼女の指が止まる。
ジョージの肩がわずかに揺れた。無意識の反応だった。
肋骨の裏側を、誰かがそっと突いたような鈍い痛み。
リリーは、指先の違和感に小さく首をかしげると、シャツの裾をめくった。
「……ここ、いたいの?」
その言葉に、ジョージの喉が鳴る。
言葉が出ない。
タトゥーの一部が、傷跡に沿って浮かび上がっていた。
黒いインクの線が、古い痕と交差しながら、静かに皮膚の上を走っている。
ジョージはとっさに、リリーの視線を遮るようにシャツを戻した。
だが、彼女はすでに見ていた。
「……やじるし、かいてあるの?」
子どもらしい直感と観察眼。
彼女は何の偏見も持たず、ただ目にしたものを、言葉にしただけだった。
ジョージは、わずかに目を伏せる。
拒むような強さではないが、それ以上、何も言いたくないという沈黙。
リリーは一瞬きょとんとしたが、すぐに表情を変えることもなく、そっと手のひらをジョージの脇腹に当てた。
「いたいのいたいの、とんでいけー……」
その声は、まるで呪文だった。
静寂の中で、それだけがやけに優しく響いた。
そしてリリーは、ジョージの肩に頬を預ける。
何の警戒も、何の恐れもない。
まるで、最初から彼が“ここにいるべき人間”であるかのように。
ジョージは、そっと彼女を抱きしめた。
心臓の鼓動が、いつの間にか静かに整っていた。
ナイフでも、銃でも、どんな武器でさえ、あの言葉には敵わない。
そんなふうに思ったのは、おそらく、生まれて初めてだった。
◇
リリーは、すぐに寝息を立てはじめた。
ジョージは彼女をやさしく抱きながら、ゆっくりとリビングを出た。
(……守りたい、と思った)
それが、どれほど愚かな願いかはわかっている。
戦場から戻った手は、洗っても洗っても落ちやしない。
それでも、今だけは。
このぬくもりだけは、たとえ次に戻る場所がどれだけ冷たくても、忘れずにいたいと思った。
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