数曲が終わり、熱の余韻がフロアに沈む。
照明が緩く落ち、観客たちがグラスを傾けた刹那――
チャットの背後に、3人の男が音もなく現れた。
スキンヘッド。
刺青の首筋。
そして、やたら主張の強い鼻面。
チャットは笑みを崩さず、頭の中でフダを振る。
(スキン、刺青、鼻。
安っぽい脚本家が書きそうなギャングトリオだな)
無言のまま肩を叩かれる。
チャットは一拍置き、ウィンクで返すとステージを離れた。
ドアが閉まる。
空気が変わった。
VIP専用のラウンジ個室。
革張りのソファ、沈んだ照明、ウイスキーの残り香。
ここは客が座る場所じゃない。
掃除人も入らない。
入るのは、選ばれた者か――処分される側だけだ。
刺青が口を開く。
その声は乾いていた。
「……てめぇ、誰の許可でマイク握ってやがった」
チャットはソファに座らない。
背もたれに浅く腰かけ、視線だけで部屋を掃く。
床に、黒ずんだ染み。
乾いた血の色。
「君たち、このクラブの幹部かい?
だったらもう少し、歓迎の台詞があってもいいんじゃないか?」
「ふざけんな」
スキンヘッドが一歩前に出る。
鼻がインカムに手を伸ばす。
チャットはポケットから万年筆を取り出す。
軽く指の間で転がしながら、その芯がただのペンでないことを確認する。
タクティカルペン。近接用の小道具だ。
「MCがいない。客が冷める。
冷えた空間じゃ、酒も踊りも売れない。
だから俺が喋った。それだけの話さ」
「許可は?」
「君たちは“命令”を重んじてる。
でも俺は“結果”で動く。
今夜のフロア――客は笑ってた。
盛り上がってた。……違うか?」
鼻が言い返せず、沈黙する。
その隙に、チャットは言葉を重ねた。
「命令を守って店を潰すか。
無許可でも客を繋ぐか。
外の人間だからこそ、言えることがある。
……君らの“損失”、今すぐ計算できる?」
刺青の呼吸が荒くなる。
スキンヘッドが顔をしかめる。
小さく軋む空気の歪み――揺れた。
だが。
「……うるせぇ。口が回るだけじゃ意味ねぇ。
地下で冷やしてやろうぜ」
鼻が言った。
スキンと刺青が距離を詰める。
(来るか)
チャットの指が、タクティカルペンを握り込んだ瞬間――
扉が開いた。
ジョニー・ウー。
否、ジョージ・ウガジン。
金に物を言わせた成金の歩き方で、個室に踏み込んでくる。
背後にはディーラー。
カードキーを手に、小さく頭を垂れている。
怯えたような――だが、こちらの側に立った目。
ジョージはゆっくりと腕を上げた。
ロレックスが光る。
「おい……何の集会だ、ここは」
スキンヘッドが一瞬、固まる。
「……ジョニー様?」
「“ジョニー様”って呼ばれるのは慣れてんだけどよ。
俺の“使い”に牙向ける奴とは、初対面だな」
さらに畳みかける。
「MCがいねぇクラブなんて、蒸しすぎた肉まんだ。
皮は膨らんでても、中身が腐ってる。
だから俺が“レオン”を使った。それだけの話だ。
俺は客だ。金を落としてる。
……その程度も、わかんねえのか?」
声は淡々としていた。
だが、言葉のひとつひとつが場を支配していた。
ポケットに入れた手の角度ですら、武器のように見えた。
「で、何だ。勝手に動いたのは、どっちだ?」
部屋の温度が一段、下がる。
男たちが互いに顔を見合わせた。
その隙を縫って、チャットの指先がソファの背に触れた。
仕込んでいた盗聴器が、音もなく滑り込む。
(ひとつ、完了)
チャットは片方の口角を吊り上げた。
「な? 俺を使うの、案外悪くないだろ」
硬直したままの空気。
だが、ジョージは揺るがない。
「いいか、お前ら。
俺がいくら落としてるか、知らねぇとは言わせねぇぞ。
スタッフの顔ぶれぐらい、気分で替えたって問題ねぇ。……違うか?」
刺青と鼻が視線を交わす。
スキンヘッドが、わずかに肩をすくめる。
「……承知しました、ジョニー様。
今後は気をつけます」
押し切ったわけではない。
“触れない方が安全”という判断が、場を飲んだだけだった。
3人の背が扉の向こうへ消える。
その一瞬。
チャットは、ドア枠の上――塗装の剥がれた金具の陰に指を伸ばし、
2つ目の盗聴器を、正確に押し込んだ。
扉が閉まる。
わずかに眉を上げ、チャットが呟く。
(いい子でいろよ、“鼻”)