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062:注意事項② 個室に入れ。だが地下室には連れて行かれるな

 数曲が終わり、熱の余韻がフロアに沈む。

 照明が緩く落ち、観客たちがグラスを傾けた刹那――

 チャットの背後に、3人の男が音もなく現れた。


 スキンヘッド。

 刺青の首筋。

 そして、やたら主張の強い鼻面。


 チャットは笑みを崩さず、頭の中でフダを振る。


(スキン、刺青、鼻。

 安っぽい脚本家が書きそうなギャングトリオだな)


 無言のまま肩を叩かれる。

 チャットは一拍置き、ウィンクで返すとステージを離れた。


 ドアが閉まる。

 空気が変わった。


 VIP専用のラウンジ個室。

 革張りのソファ、沈んだ照明、ウイスキーの残り香。

 ここは客が座る場所じゃない。

 掃除人も入らない。

 入るのは、選ばれた者か――処分される側だけだ。


 刺青が口を開く。

 その声は乾いていた。


「……てめぇ、誰の許可でマイク握ってやがった」


 チャットはソファに座らない。

 背もたれに浅く腰かけ、視線だけで部屋を掃く。

 床に、黒ずんだ染み。

 乾いた血の色。


「君たち、このクラブの幹部かい?

 だったらもう少し、歓迎の台詞があってもいいんじゃないか?」


「ふざけんな」


 スキンヘッドが一歩前に出る。

 鼻がインカムに手を伸ばす。


 チャットはポケットから万年筆を取り出す。

 軽く指の間で転がしながら、その芯がただのペンでないことを確認する。

 タクティカルペン。近接用の小道具だ。


「MCがいない。客が冷める。

 冷えた空間じゃ、酒も踊りも売れない。

 だから俺が喋った。それだけの話さ」


「許可は?」


「君たちは“命令”を重んじてる。

 でも俺は“結果”で動く。

 今夜のフロア――客は笑ってた。

 盛り上がってた。……違うか?」


 鼻が言い返せず、沈黙する。

 その隙に、チャットは言葉を重ねた。


「命令を守って店を潰すか。

 無許可でも客を繋ぐか。

 外の人間だからこそ、言えることがある。

 ……君らの“損失”、今すぐ計算できる?」


 刺青の呼吸が荒くなる。

 スキンヘッドが顔をしかめる。

 小さく軋む空気の歪み――揺れた。


 だが。


「……うるせぇ。口が回るだけじゃ意味ねぇ。

 地下で冷やしてやろうぜ」


 鼻が言った。

 スキンと刺青が距離を詰める。


(来るか)


 チャットの指が、タクティカルペンを握り込んだ瞬間――

 扉が開いた。


 ジョニー・ウー。

 否、ジョージ・ウガジン。

 金に物を言わせた成金の歩き方で、個室に踏み込んでくる。


 背後にはディーラー。

 カードキーを手に、小さく頭を垂れている。

 怯えたような――だが、こちらの側に立った目。


 ジョージはゆっくりと腕を上げた。

 ロレックスが光る。


「おい……何の集会だ、ここは」


 スキンヘッドが一瞬、固まる。


「……ジョニー様?」


「“ジョニー様”って呼ばれるのは慣れてんだけどよ。

 俺の“使い”に牙向ける奴とは、初対面だな」


 さらに畳みかける。


「MCがいねぇクラブなんて、蒸しすぎた肉まんだ。

 皮は膨らんでても、中身が腐ってる。

 だから俺が“レオン”を使った。それだけの話だ。

 俺は客だ。金を落としてる。

 ……その程度も、わかんねえのか?」


 声は淡々としていた。

 だが、言葉のひとつひとつが場を支配していた。

 ポケットに入れた手の角度ですら、武器のように見えた。


「で、何だ。勝手に動いたのは、どっちだ?」


 部屋の温度が一段、下がる。

 男たちが互いに顔を見合わせた。


 その隙を縫って、チャットの指先がソファの背に触れた。

 仕込んでいた盗聴器が、音もなく滑り込む。


(ひとつ、完了)


 チャットは片方の口角を吊り上げた。


「な? 俺を使うの、案外悪くないだろ」


 硬直したままの空気。

 だが、ジョージは揺るがない。


「いいか、お前ら。

 俺がいくら落としてるか、知らねぇとは言わせねぇぞ。

 スタッフの顔ぶれぐらい、気分で替えたって問題ねぇ。……違うか?」


 刺青と鼻が視線を交わす。

 スキンヘッドが、わずかに肩をすくめる。


「……承知しました、ジョニー様。

 今後は気をつけます」


 押し切ったわけではない。

 “触れない方が安全”という判断が、場を飲んだだけだった。


 3人の背が扉の向こうへ消える。


 その一瞬。

 チャットは、ドア枠の上――塗装の剥がれた金具の陰に指を伸ばし、

 2つ目の盗聴器を、正確に押し込んだ。


 扉が閉まる。

 わずかに眉を上げ、チャットが呟く。


(いい子でいろよ、“鼻”)

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