クラブミュージックが鳴り響く。
ジョージとチャットは席に戻り、“成金モード”を続行していた。
チャットは芝居半分、素半分でラムを煽る。
演技の手綱を握りつつ、ジョージの成り上がり芝居に呼吸を合わせていた。
「ジョニー様、あまり飛ばしすぎると店の酒が足りませんよ?」
「足りねぇなら輸入させりゃいいんだろ、レオン」
グラスが鳴る。金の匂いが漂う笑い。
見事な芝居だった――その時までは。
ジョージがふいに天井を睨みつけた。
眉間が寄り、顔がわずかに歪む。
「チャット。受け止めろ」
「……は?」
声の調子が違った。素のジョージに近い。
チャットの眉がわずかに動く。
「……なあ、おい。なんでこんなに暑いんだよ?」
荒くグラスを置く音。テーブルがわずかに揺れる。
「この空調、全っ然気が利かねぇじゃねぇか!
なあ!? VIP席だぞ、ここ!」
その瞬間、場の空気が凍った。
ホステスが肩をすくめ、グラスを取り落としかける。
ざわつきが広がる。
「ジョニー様、もし暑ければお冷やを──」
「違ぇよ!! 問題は風向きだ!」
ジョージは指を差す。
「そこの吹き出し口、レオン、見えるか?
真下に風が来てねぇんだよ!
だから俺は負けたんじゃねぇか?!」
言いながら、テーブルに片足をかけた。
チャットの心臓が跳ねた。
(ちょっ、マジか!?
何する気だ?! 話に聞いてねぇぞ)
「風向きを……変えてやるッ!」
酔っ払ったフリでふらつきながら、ジョージはテーブルの上に登る。
エアコンの真下、天井を睨むその目は、明らかに別のものを捉えていた。
「だーめだこりゃ……どこ製だ?
いや違うな、設置が悪い。
角度が狂ってんだよォ……!」
ホステスたちが慌てて後退する。
スタッフがインカムに手をかけ、店内が騒然とし始める。
「VIPが……」「止めて!」「セキュリティ!」
止めようとした男を、チャットの視線が制止する。
その目は冗談半分、だが本気で通す鋭さだった。
(……これは仕込みだ。ジョージ、何か仕掛ける気だな)
チャットはあえて大声を張った。
「ウー様!! お願いですから落ち着いて!!
危ないですから!!!
エアコンはわたしが調整しますから、今すぐ!
すぐ直しますんで!」
──右手でエアコンの吹き出し口をなぞる。
「風向きが悪い」と怒鳴りながら、上半身を仰け反らせる。
その動きに紛れ、左手が梁に触れる。
手のひらに隠していた小型カメラを、滑らせるように押し当てた。
ふざけた酔態を演じながら、指先だけは別人のものだった。
ぶれない。迷わない。
ノイズの中に沈んだ静寂のように、寸分の狂いもなく、設置を完了させる。
誰にも気づかれない。
女たちは胸元を気にし、スタッフは動揺と困惑に追われている。
ジョージは視線を動かさず、横目の端でレンズの向きを確認した。
目的の角度。予定通り。
次の瞬間、あっけらかんと叫ぶ。
「……おっと。バランスが……うおっ」
千鳥足のまま、ジョージはテーブルから落下した。
グラスが飛ぶ。液体が散る。
「ウー様ぁあああ!」
チャットが即座に抱きとめる。
その体は、ふにゃりと力が抜けていた。
完璧な受け身。
倒れ方まで計算されている。
チャットは苦笑を押し殺しながら支える。
スタッフやホステスの声がざわめきとして広がる。
「最悪……でも触れたら怒られる」
「うわ、またあの人……」
「カネあるからって、やりたい放題……」
誰も本当の意図には気づかない。
チャットは一瞬だけ、天井に目をやった。
梁の影、小さなカメラのレンズが、こちらを見下ろしていた。
テーブルを、席を、すべて記録する角度で。
(……やりやがったな、ジョージ)
チャットは口元で笑った。
グラスを拾い上げ、何事もなかったように立ち上がった。