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063:フェーズ・? おい、その話聞いてねぇぞ

 クラブミュージックが鳴り響く。

 ジョージとチャットは席に戻り、“成金モード”を続行していた。

 チャットは芝居半分、素半分でラムを煽る。

 演技の手綱を握りつつ、ジョージの成り上がり芝居に呼吸を合わせていた。


「ジョニー様、あまり飛ばしすぎると店の酒が足りませんよ?」

「足りねぇなら輸入させりゃいいんだろ、レオン」


 グラスが鳴る。金の匂いが漂う笑い。

 見事な芝居だった――その時までは。


 ジョージがふいに天井を睨みつけた。

 眉間が寄り、顔がわずかに歪む。


「チャット。受け止めろ」

「……は?」


 声の調子が違った。素のジョージに近い。

 チャットの眉がわずかに動く。


「……なあ、おい。なんでこんなに暑いんだよ?」


 荒くグラスを置く音。テーブルがわずかに揺れる。


「この空調、全っ然気が利かねぇじゃねぇか!

 なあ!? VIP席だぞ、ここ!」


 その瞬間、場の空気が凍った。

 ホステスが肩をすくめ、グラスを取り落としかける。

 ざわつきが広がる。


「ジョニー様、もし暑ければお冷やを──」

「違ぇよ!! 問題は風向きだ!」


ジョージは指を差す。

「そこの吹き出し口、レオン、見えるか?

 真下に風が来てねぇんだよ!

 だから俺は負けたんじゃねぇか?!」


 言いながら、テーブルに片足をかけた。

 チャットの心臓が跳ねた。


(ちょっ、マジか!?

 何する気だ?! 話に聞いてねぇぞ)


「風向きを……変えてやるッ!」


 酔っ払ったフリでふらつきながら、ジョージはテーブルの上に登る。

 エアコンの真下、天井を睨むその目は、明らかに別のものを捉えていた。


「だーめだこりゃ……どこ製だ?

 いや違うな、設置が悪い。

 角度が狂ってんだよォ……!」


 ホステスたちが慌てて後退する。

 スタッフがインカムに手をかけ、店内が騒然とし始める。


「VIPが……」「止めて!」「セキュリティ!」


 止めようとした男を、チャットの視線が制止する。

 その目は冗談半分、だが本気で通す鋭さだった。


(……これは仕込みだ。ジョージ、何か仕掛ける気だな)


 チャットはあえて大声を張った。


「ウー様!! お願いですから落ち着いて!!

 危ないですから!!!

 エアコンはわたしが調整しますから、今すぐ!

 すぐ直しますんで!」


──右手でエアコンの吹き出し口をなぞる。

 「風向きが悪い」と怒鳴りながら、上半身を仰け反らせる。


 その動きに紛れ、左手が梁に触れる。

 手のひらに隠していた小型カメラを、滑らせるように押し当てた。


 ふざけた酔態を演じながら、指先だけは別人のものだった。

 ぶれない。迷わない。

 ノイズの中に沈んだ静寂のように、寸分の狂いもなく、設置を完了させる。


 誰にも気づかれない。

 女たちは胸元を気にし、スタッフは動揺と困惑に追われている。


 ジョージは視線を動かさず、横目の端でレンズの向きを確認した。

 目的の角度。予定通り。


 次の瞬間、あっけらかんと叫ぶ。


「……おっと。バランスが……うおっ」


 千鳥足のまま、ジョージはテーブルから落下した。

 グラスが飛ぶ。液体が散る。


「ウー様ぁあああ!」


 チャットが即座に抱きとめる。

 その体は、ふにゃりと力が抜けていた。

 完璧な受け身。

 倒れ方まで計算されている。


 チャットは苦笑を押し殺しながら支える。

 スタッフやホステスの声がざわめきとして広がる。


「最悪……でも触れたら怒られる」

「うわ、またあの人……」

「カネあるからって、やりたい放題……」


 誰も本当の意図には気づかない。


 チャットは一瞬だけ、天井に目をやった。

 梁の影、小さなカメラのレンズが、こちらを見下ろしていた。


 テーブルを、席を、すべて記録する角度で。


(……やりやがったな、ジョージ)


 チャットは口元で笑った。

 グラスを拾い上げ、何事もなかったように立ち上がった。


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