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066:接触=支配or暴力

「あ゛ーーーもう!! くそったれが!!」


 叫びにチャットが眉を上げる。


「おいおい、どうしたよ?」


 ジョージは爪が食い込むほど頭を掻きむしり、低く唸るように吐き出した。


「無理だ……!」


「何が?」


「……全部だ!!」


 拳を膝に叩きつける。

 声は怒りというより、焦げた神経からにじみ出る熱だった。


「あの甘ったるい声が耳にまとわりついて離れねぇ。

 あの距離感……笑いながら身体を預けてくる感じも。

 股間をまさぐられそうになったのも……」


 吐き出すような声だったが、吐き捨てではない。

 苦味の奥に、どこか自分への呆れが混じっていた。


「分かってるさ。

 彼女たちは仕事してただけだ。

 落ち度はない。

 ……あるとすれば、こんなもんで情けなくびくつく俺のほうだ」


 笑ったが、乾いていた。

 感謝と拒絶が同居した、不器用な表情だった。


「ずっと昔からだ。

 笑われても、どうにもならなかった。

 皮膚の奥が、勝手に身構えるんだよ」


 チャットは黙ってペットボトルの水を口に運び、ごくりと喉を鳴らした。

 そのまま、わざとらしく眉を上げて笑う。


「へぇ……でもなんだかんだで優しいよな、お前。

 突き放すにしても、礼は忘れないっていうかさ」


 ジョージは黙ったまま、遠くを見ていた。

 視線の先には何もない。ただ、過去だけがあった。


「……ただでさえ小せぇ身体だ。

 どう拒んだって、

 触れられるってのはな、俺にとっちゃ――支配か、暴力だった。

 脳みそがもうそれで焼き付いている。

 ……俺に合った環境にいられてたら、少しは変わってたのかもな。

 誰かの手が、“意味のあるもん”だったなら……」


 漏れ出たその言葉に、チャットは口を閉じた。

 そして数秒後、肩をすくめて軽く笑った。


「そっか。じゃあ今度から、女の子に触られそうになったら俺が盾になってやるよ。

 “当社比・大型犬”のレオンくんが代わりに撫でられてやる」


 ジョージは苦しげに息を吐き、ぽつりと呟く。


「……もうひとつストレスがある……」


 チャットが興味深そうに顔を向ける。

 そして思った。

 今のジョージは、いつもより少し饒舌だった。

 “ジョニー・ウー”が、まだ体の奥でくすぶっているのかもしれない。

 東アジア訛りも抜けていなかった。


「お、意外だな。

 じゃあ何がそんなに嫌だった?」


 ジョージは天井を睨んだまま、低く言った。


「金をばら撒いて、バカみたいに騒いで、悪趣味なスーツ着て成功者ごっこをすることだ……

 俺はバカじゃないし、騒ぐのも嫌いだ。

 それに……金で他人を見下すことに、何の価値も感じない」


 チャットは吹き出しそうになるのを必死でこらえた。


「なるほどな。そりゃ確かに、お前向きじゃねぇわ」


 ジョージは手ぐしで髪をかき上げ、ぼそっとこぼした。


「……俺、ただでさえ社交的じゃねぇのに。

 あんな陽気な成金の演技なんて無理だ」


 その瞬間、チャットはついに耐えきれず笑い出す。


「ハードモードな成金、お前には無理だったかー!

 結構面白かったんだけどな!」


 ジョージはギロリと睨んだ。


「からかってると、マジで投げるぞ」


 チャットは笑いながら、BOSSの缶コーヒーを無造作に放った。


「はいはい、ご苦労さん。

 ほら、お前の好きなやつ。

 苦くて現実に戻れるやつな」


 ジョージはコーヒーを受け取り、低い声で唸った。


「……カフェインで誤魔化せると思うなよ」

「でも、禁煙のイライラよりはマシだろ?」


 ジョージは何も返さず、黙って外を見つめた。


 リムジンは夜の街を抜け、ネオンが遠ざかる。

 ジョージは指にまとわりついていた指輪を一つずつ外し、ポケットへ収める。

 胸元の開けすぎたシャツのボタンを、無言で留め直す。

 ロレックスのデイトナを外して箱にしまう。

 静かに、私物の腕時計を取り出し、ベルトに指をかけた。


 金属の冷たさが、ようやく肌に馴染んだ。


 静かに、深く息を吐いた。

 ジョージ・ウガジンは、“ジョニー・ウー”を完全に脱ぎ捨てた。


 チャットが缶コーヒーのプルタブを開けながら、ふと思い出したように口を開いた。


「そうそう、明後日から俺、案件でしばらくイギリス行く。2週間ぐらい」


 そこでわざとらしく眉を上げて、にやりと笑う。


「依頼人がレディーなんだ。

 英国紳士に負けないくらい、完璧にエスコートしてくるさ

 ……でさ、本題なんだけどエリックの墓って、どこなの?」


 その名を聞いた瞬間、ジョージは無意識に腕時計のベルトを指でなぞっていた。

 だが視線は窓の外を向いたまま、静かに答える。


「ロンドン郊外のハムステッド墓地。

 南側の区画、教会裏の列だ。

 ……棺は空のままだがな」


「へぇ、サンキュー。

 せっかくだし、顔出しとくかって思ってな。

 あいつ、英国紳士ぶってたしな」


 チャットは冗談めかして笑うが、ジョージは応えなかった。

 その目には、かすかな哀しみが浮かんでいた。



【あとがき】


「……ただでさえ小せぇ身体だ。

 どう拒んだって、振り払えねぇ相手なんざ、山ほどいた」


 ジョージが子供の頃にいた環境は、ジョージのような人(アジア人)が、とても少なかったか、いなかったかもしれません。

 コミュニティのミスマッチにより、彼は周りに馴染めなかった。


 それどころか体が周りより小さく、暗くて無口。

 それだけでもアメリカの社会的には異質な存在です。

 調子に乗った体のでかい奴らは、自らの力を誇示するために、彼を物理的に支配しようとしていたかもしれません。

 そしてそれは、軍隊に入ってからも続いたかもしれません。


 彼の中で「触れられる=支配や暴力」が本能として脳に焼き付いている。

 だから、ホステスのハニートラップに“落ちれなかった”。


 それが彼の強さであり、哀しさでもあります。




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