「あ゛ーーーもう!! くそったれが!!」
叫びにチャットが眉を上げる。
「おいおい、どうしたよ?」
ジョージは爪が食い込むほど頭を掻きむしり、低く唸るように吐き出した。
「無理だ……!」
「何が?」
「……全部だ!!」
拳を膝に叩きつける。
声は怒りというより、焦げた神経からにじみ出る熱だった。
「あの甘ったるい声が耳にまとわりついて離れねぇ。
あの距離感……笑いながら身体を預けてくる感じも。
股間をまさぐられそうになったのも……」
吐き出すような声だったが、吐き捨てではない。
苦味の奥に、どこか自分への呆れが混じっていた。
「分かってるさ。
彼女たちは仕事してただけだ。
落ち度はない。
……あるとすれば、こんなもんで情けなくびくつく俺のほうだ」
笑ったが、乾いていた。
感謝と拒絶が同居した、不器用な表情だった。
「ずっと昔からだ。
笑われても、どうにもならなかった。
皮膚の奥が、勝手に身構えるんだよ」
チャットは黙ってペットボトルの水を口に運び、ごくりと喉を鳴らした。
そのまま、わざとらしく眉を上げて笑う。
「へぇ……でもなんだかんだで優しいよな、お前。
突き放すにしても、礼は忘れないっていうかさ」
ジョージは黙ったまま、遠くを見ていた。
視線の先には何もない。ただ、過去だけがあった。
「……ただでさえ小せぇ身体だ。
どう拒んだって、
触れられるってのはな、俺にとっちゃ――支配か、暴力だった。
脳みそがもうそれで焼き付いている。
……俺に合った環境にいられてたら、少しは変わってたのかもな。
誰かの手が、“意味のあるもん”だったなら……」
漏れ出たその言葉に、チャットは口を閉じた。
そして数秒後、肩をすくめて軽く笑った。
「そっか。じゃあ今度から、女の子に触られそうになったら俺が盾になってやるよ。
“当社比・大型犬”のレオンくんが代わりに撫でられてやる」
ジョージは苦しげに息を吐き、ぽつりと呟く。
「……もうひとつストレスがある……」
チャットが興味深そうに顔を向ける。
そして思った。
今のジョージは、いつもより少し饒舌だった。
“ジョニー・ウー”が、まだ体の奥でくすぶっているのかもしれない。
東アジア訛りも抜けていなかった。
「お、意外だな。
じゃあ何がそんなに嫌だった?」
ジョージは天井を睨んだまま、低く言った。
「金をばら撒いて、バカみたいに騒いで、悪趣味なスーツ着て成功者ごっこをすることだ……
俺はバカじゃないし、騒ぐのも嫌いだ。
それに……金で他人を見下すことに、何の価値も感じない」
チャットは吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
「なるほどな。そりゃ確かに、お前向きじゃねぇわ」
ジョージは手ぐしで髪をかき上げ、ぼそっとこぼした。
「……俺、ただでさえ社交的じゃねぇのに。
あんな陽気な成金の演技なんて無理だ」
その瞬間、チャットはついに耐えきれず笑い出す。
「ハードモードな成金、お前には無理だったかー!
結構面白かったんだけどな!」
ジョージはギロリと睨んだ。
「からかってると、マジで投げるぞ」
チャットは笑いながら、BOSSの缶コーヒーを無造作に放った。
「はいはい、ご苦労さん。
ほら、お前の好きなやつ。
苦くて現実に戻れるやつな」
ジョージはコーヒーを受け取り、低い声で唸った。
「……カフェインで誤魔化せると思うなよ」
「でも、禁煙のイライラよりはマシだろ?」
ジョージは何も返さず、黙って外を見つめた。
リムジンは夜の街を抜け、ネオンが遠ざかる。
ジョージは指にまとわりついていた指輪を一つずつ外し、ポケットへ収める。
胸元の開けすぎたシャツのボタンを、無言で留め直す。
ロレックスのデイトナを外して箱にしまう。
静かに、私物の腕時計を取り出し、ベルトに指をかけた。
金属の冷たさが、ようやく肌に馴染んだ。
静かに、深く息を吐いた。
ジョージ・ウガジンは、“ジョニー・ウー”を完全に脱ぎ捨てた。
チャットが缶コーヒーのプルタブを開けながら、ふと思い出したように口を開いた。
「そうそう、明後日から俺、案件でしばらくイギリス行く。2週間ぐらい」
そこでわざとらしく眉を上げて、にやりと笑う。
「依頼人がレディーなんだ。
英国紳士に負けないくらい、完璧にエスコートしてくるさ
……でさ、本題なんだけどエリックの墓って、どこなの?」
その名を聞いた瞬間、ジョージは無意識に腕時計のベルトを指でなぞっていた。
だが視線は窓の外を向いたまま、静かに答える。
「ロンドン郊外のハムステッド墓地。
南側の区画、教会裏の列だ。
……棺は空のままだがな」
「へぇ、サンキュー。
せっかくだし、顔出しとくかって思ってな。
あいつ、英国紳士ぶってたしな」
チャットは冗談めかして笑うが、ジョージは応えなかった。
その目には、かすかな哀しみが浮かんでいた。
◇
【あとがき】
「……ただでさえ小せぇ身体だ。
どう拒んだって、振り払えねぇ相手なんざ、山ほどいた」
ジョージが子供の頃にいた環境は、ジョージのような人(アジア人)が、とても少なかったか、いなかったかもしれません。
コミュニティのミスマッチにより、彼は周りに馴染めなかった。
それどころか体が周りより小さく、暗くて無口。
それだけでもアメリカの社会的には異質な存在です。
調子に乗った体のでかい奴らは、自らの力を誇示するために、彼を物理的に支配しようとしていたかもしれません。
そしてそれは、軍隊に入ってからも続いたかもしれません。
彼の中で「触れられる=支配や暴力」が本能として脳に焼き付いている。
だから、ホステスのハニートラップに“落ちれなかった”。
それが彼の強さであり、哀しさでもあります。