小さな町は特に検問なども無くテオとシュネールナはテオの自宅まで素通りできた。
この領地はどこも治安が良いのだろう。少年が一人で街道を行き来できるくらいには危険がないようだった。
「ただいま! 母さん! お医者さんをつれてきたよ!」
「こらこら少年。私は医者じゃない、薬師だ」
「あ、ごめんなさい……。でも僕も少年じゃなくてテオって名前があるよ」
「おっとそれは失敬したね」
自宅に飛び込み開口一番テオのお医者呼びに苦言を呈すればテオの意外な切り替えしを受けシュネールナは思わず苦笑する。
声を聞きつけたのかすぐに中年の男性が顔を出した。筋肉質な体つきにテオそっくりな柔らかそうな茶髪の男性だ。
「テオ! 勝手に家を飛び出したんだって?……心配するじゃないか!」
「父さん! 帰ってたの?」
「母さんから知らせが届いて急いで帰ってきたんだ。それでお医者さんというのは……」
「あー……私は医者ではない。シュネールナ、旅の薬師をしている」
「そうでしたか。素人には医者と薬師の区別がつかないものでして」
「まぁ似たようなものではあるがね。私なりのこだわりといったところさ。さて、このテオ少年に妹さんを診るように乞われて来たんだが……」
「おぉ、ありがたい! 私も町に戻ってすぐ町医者にも教会にも相談したのですが取り合ってもらえなくて頭を抱えていたのです」
シュネールナは「ふむ」と思案気に口に手を当てた。
「それは症状の説明をしたからではないかね? 奇妙な痣があると」
「はい! えぇ、その通りです」
「なるほどね……ときにご主人。”黒蛇病”という病名に聞き覚えは?」
「……!」
「あるようだね」
「はい。150年ほど前大流行した死病だと……どこかで聞き及んだ覚えがあります」
「世界的な大流行だ。おびただしい死者が出た。歴史的大病として学問所か何かで聞いたのだろう。まぁそれでだ、黒蛇病はその症状に蛇がはったような痣のでることが医術者の間ではよく知られている、常識といってもいい」
「まさかセラの病は……」
父の不安げな様子にテオもまた上目遣いでシュネールナを見つめた。
しかし、シュネールナは「いいや、それはない」と力強く断言した。
「あの病は根絶されているんだ。罹患者は二度と出ない」
「ですがセラには痣が……」
「それだよ。町医者達もそれを聞いて黒蛇病だと思って診るのを恐れたんだ。まったく嘆かわしい……だがまあ、黒蛇病ではないことは間違いないが他のどんな病かは検討が付かないのもまた事実だ。とにかく一度診せてもらうとしよう」
「はい! こちらです」
男性はテオの父で名はテディといった。テディはシュネールナを奥に通し、1つの部屋の前に案内する。
「カーラ、セラ。入るよ、テオが薬師の方を連れてきてくれたよ」
部屋にはベッドに横たわる女の子とすぐ脇の椅子に腰かけ女の子の額を拭っている中年の女性がいた。
「まぁ、よかったわ! セラ、お兄ちゃんがお医者様を連れてきてくれたわよ」
「あー……まぁいいか。奥さん早速だが娘さんを診せてもらっても?」
「はい! どうか娘をお願いします!」
女性――カーラが椅子を空けシュネールナはそれに腰かけると苦し気な息を吐いている女の子に柔らかく話しかけた。
「やぁ、お嬢ちゃん。お名前は?」
「……セラ」
「セラか、可愛らしい名前だね。私はシュネールナ。お兄さんに君を元気にするように頼まれてきたんだ」
「お兄ちゃん?」
セラは仰向けのまま首を傾けテオの姿を認めると「お兄ちゃんありがとう」と弱弱しいがなんとか笑みの形に口角を上げて見せる。いじらしい様にテオはなんともいえない痛ましい表情を浮かべていた。
シュネールナはカバンを置いて留め金を外す。少し口を開け隙間から腕を突っ込むとなにやらガサゴソガチャガチャと音を立てながらカバンを漁り始めた。
「ええっと、カバン状だとなにがどこにいったか分かりにくいな……よっと。あ、これは違うしこれでもないこれでもないあっこれはヤバイやつだヤバイヤバイ」
毒々しい紫やら赤やらの色の液体の詰まった瓶を取り出しては脇に置きまくるシュネールナの様子を見ていた父母息子の三人は「この人に任せて大丈夫かな?」と顔に出していたが他に頼れる相手もいない以上見守るしかなかった。しばらくすると「あったあった」とシュネールナは濃い緑色の液体の詰まった瓶と銀のスプーンを取り出した。
「さてとセラ、まずはこれを飲むんだ」
「うん」
「舐めるようにゆっくりとね」
「うぇえ……にがい」
シュネールナはスプーンに液体をひとさじぶん垂らしセラの口の前に持っていく。
ちろりと舌の先でつつくようにスーが液体に口をつけると途端に顔をしかめた。
「よく聞く薬はなんとやらって言うだろう?」
「でも……すごくにがい」
「仕方がないなあ……セラは絵本は読むかい?」
「うん」
「じゃあ絵本にでてくる魔法の呪文はなにか知ってるかい?」
「ちちんぷいぷい?」
「うん、いいね。じゃあ……”ちちんぷいぷい! にがーい薬よ、ハチミツ味になぁれ!”」
シュネールナがスプーンにむけ指を一振りすると、緑色だった液体は琥珀色の雫にその色彩も質感も変じていた。
セラも、家族たちも目を丸くしてスプーンの上のハチミツにしか見えなくなった液体を見つめていた。
「ほら、これならどうかな? もう苦くない」
「ほんとう? ん、あまい!」
「それはよかった。さ、きれいに全部舐めるんだ」
「うん!」
セラがしっかりと薬を全部舐めたのを確認してシュネールナは「よくできました」とポンとセラの頭に軽く手を置いた。