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第9話  彼が会いにきてくれた!

 それは、初夏の終わり、梅雨が明けるか明けないかという、少し蒸し暑い日だった。


 朝、スマホに届いた一通のメッセージ。


> 「今日の午後、会いに行く。」




 えっ……?一瞬、目を疑った。


> 「今、新幹線の中。急に思い立っちゃってさ。」




 画面の向こうの彼が、ちょっと照れたように笑ってる気がした。


「もう……!ちゃんと予定合わせてくれればよかったのに!」


 文句を言いながら、私は内心、胸が高鳴っていた。

 こんな風に「会いたくて来た」なんて、ドラマの中だけかと思ってた。


 慌てて鏡の前に立ち、髪を整える。

 お気に入りのワンピースに着替え、最低限のメイクをして、駅へ向かった。




 午後2時過ぎ。改札の向こうに、優斗さんの姿を見つけた。


「───来てくれたんだ。」


「うん。どうしても、君に会いたくなった。」


 汗ばんだシャツと、ほんのり日焼けした腕。

 遠くから来たのが一目でわかった。


「急すぎるよ。」


「ごめん。でも、顔が見たくなっちゃって。」


 彼はそう言って、少し照れたように笑った。

 私は思わず、彼の腕にそっと触れた。




 私たちは近くの公園を散歩し、カフェでアイスコーヒーを飲んだ。


「やっぱり、関東は暑いな。」


「長野より気温高いかもね。」


 他愛もない話。でも、隣に彼がいるだけで、こんなにも心が満たされる。


「今日は帰らずに、近くのホテルに泊まる予定なんだ。」


「そっか……泊まりなら、少し長く一緒にいられるね。」


 言いながら、胸の奥がじんわり温かくなった。


 夕暮れ時、駅まで一緒に歩いたとき、彼がポツリと言った。


「実はさ、会えない日が続いて、正直つらかったんだ。」


「私も……会いたいの、ずっと我慢してた。」


 その言葉に、ふたりで笑って、少し泣きそうになった。


 改札の前で手を繋ぎながら、私は思った。


(この人が、何時間もかけて会いに来てくれるくらい、大事に思ってくれてるんだ。)


 ───大丈夫。距離は、きっと越えられる。


「次は、私が長野に行くね。」


「うん、楽しみにしてる。」


 そう言って、電車の中へと消えていった優斗さんの背中を、私はいつまでも見送っていた。


優斗さんが関東に来てくれたその日。私たちは、少しだけ足を延ばして観光することにした。


「せっかく来てくれたんだもんね。どこか、案内したいなって思って。」


「うれしいよ。東京って、来るたびに新鮮だ。」


 私が選んだのは、鎌倉だった。都心から少し離れていても、自然があって、お寺や海があって、落ち着いた空気が流れている。彼も、きっと気に入ると思った。




 まずは、鶴岡八幡宮へ。


 長い参道を並んで歩く。木漏れ日が二人を照らしていた。


「こういう場所、いいな。なんだか、時間がゆっくり流れてる気がする。」


「長野もゆったりしてるけど、鎌倉の時間の流れ方って、また違うよね。」


 お参りを済ませて、おみくじを引いた。


「大吉だ!」


「わっ、すごい!私は……中吉。」


「俺の分も分けてあげるよ。」


「じゃあ、ありがたく、半分もらうね。」


 冗談を言い合いながら笑い合う。こんな時間が、ただただ愛おしかった。



 お昼は小町通りで、しらす丼を食べた。彼は甘いものが好きらしく、デザートにわらび餅アイスも。


「……うまい。しあわせ。」


「そんな顔されると、なんだか私もうれしくなる。」


 食後は江ノ電に乗って、海辺へ向かった。


 由比ヶ浜の砂浜を、ゆっくり歩いた。潮風が心地よく、彼の横顔が夕日に照らされて、いつもより優しく見えた。


「このまま、時間が止まったらいいのにな。」


 彼がぽつりと言ったその言葉に、胸がきゅっとなった。


「……また来ようね。何度でも。」


「うん、絶対に。」


 その日、私たちは写真をたくさん撮った。どれも少し照れくさくて、だけど確かに「ふたりの時間」だった。




 帰りの電車の中、彼は少し疲れたように肩を私にもたれかけてきた。


「楽しかったな。君と一緒にいると、どこへ行っても、心が満たされる。」


「私も……ずっとこうしていられたらって、思ってた。」


 きっと、何度でも会いに行こう。

 遠くにいても、この気持ちがある限り、私たちは繋がっていられる。

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