春が近づくにつれて、私はまた長野に行くことを決めた。あの「花祭り」に、今度は優斗さんの隣で、同じ景色を見たかった。
でも、そのためには旅費が必要だった。正直、もう少し心と身体を休めていたい気持ちもあったけれど、私は再び、フリーターとして働き始めることにした。
もちろん、前みたいに無理はしないと決めていた。シフトは週4日、1日6時間。無理のない範囲で、スーパーの品出しや、カフェの短時間勤務を組み合わせた。お金を貯めることは目的だったけど、それ以上に「再会」という希望が私を支えてくれていた。
「おかえりなさいませ〜」
「いらっしゃいませ!」
カフェの制服を着て笑顔をつくる自分に、少しだけ誇りを持てるようになっていた。
そして、春。
再び長野の地に降り立った。駅前の景色は変わらないけれど、今の私は前とは少し違う。
優斗さんは、ホームで待っていてくれた。私を見つけた瞬間、ぱっと笑顔になって、手を振ってくれた。
「おかえり。」
「……ただいま。」
花祭りは、ちょうど満開を迎えていた。二人で手を繋ぎながら、前に歩いた参道をもう一度歩く。何もかもが穏やかで、優しくて、胸がいっぱいになった。
「君がまた来てくれて、本当にうれしいよ。」
「私も、また来れてよかった。……今日、この時間が、ずっと続いてほしいって思ってる。」
祭りの灯りがともり始めた頃、私たちは静かな場所に腰を下ろし、未来の話をした。
「遠距離って、やっぱり寂しいよな。電話やLINEだけじゃ、足りないこともある。」
「うん。だけど、それでもこうして会えたら、また頑張ろうって思える。……私は、もう少しだけ頑張りたい。」
「俺も。……実は、少しずつ準備してるんだ。君のいる関東で仕事が見つかれば、そっちに引っ越すつもりで。」
「えっ……それ、本当?」
「うん。まだ先の話になるかもしれないけど、俺は本気で、君と一緒にいたいと思ってる。」
胸が熱くなった。言葉が詰まって、何も言えなかった。ただ、うなずいた。
夜空に、ぽつりと花火が上がった。祭りのフィナーレだった。
「一緒にいようね、これからも。」
「……うん。ずっと。」
春の風は、どこまでも優しかった。遠距離という距離が、もう少しで「ふたりの日常」へと変わる予感がした。
長野の花祭りから帰ってきてしばらくしてから、優斗さんからのメッセージが届いた。
「今日、関東の旅行代理店にオンラインで面接を受けたよ。」
その一言に、私は思わず息をのんだ。
彼が本当に、私の住む場所に来ようとしてくれている。その事実が胸の奥にじんわりと広がり、涙がこぼれそうになった。
私たちは遠距離恋愛の中で、何度も「好きだよ」と言い合ってきた。けれど「一緒に暮らしたい」とは、今まで誰も口にしてこなかった。それを、優斗さんは行動で示してくれた。
「本当に、来てくれるの?」
「うん。君のそばで暮らしたいんだ。旅行が好きでこの仕事をしてきたけど、今は“誰とどこにいるか”のほうが大切だって思うようになった。」
私は、その言葉を何度も何度も読み返した。
その夜、布団の中でふと考えた。
──もし、彼が本当にこっちに来てくれたら、私はどんなふうに迎えよう?
──一緒に暮らすって、どんな毎日なんだろう?
そして思った。
「私、優斗さんと“家族”になりたい。」
ただ付き合っているだけじゃなくて、同じ家で笑い合って、時にケンカして、でも最後には「おかえり」「ただいま」と言える日常が欲しいと思った。
今まで私は、愛されることに自信がなかった。うつに苦しみ、孤独に震えていた日々もあった。だけど、今は違う。
誰かのそばにいたいと思えるようになった。
そして、誰かにそばにいてほしいと願えるようになった。
その「誰か」が優斗さんだった。
ある日、電話越しに私は言った。
「ねえ、私ね……あなたと、家族になりたいって思うようになった。」
しばらくの沈黙のあと、優斗さんが小さく笑った。
「俺も、同じこと考えてた。」
画面越しに見える彼の笑顔が、まるで春の風みたいにあたたかくて、私は静かに目を閉じた。
未来のことはまだわからない。でも今、確かに言えるのは──
私はもう一人じゃないということ。