「えっ……ワンルームでこの値段……?」
内見帰りの電車の中で、優斗さんが苦笑いを浮かべた。
「長野の倍以上じゃない?」
「うん、こっちは本当に家賃が高いよね。でも、会社の住宅補助が少しあるから、なんとかなるかな。」
彼は新しい転職先から正式に内定をもらい、いよいよこちらへ引っ越す準備を始めていた。関東に土地勘のない彼の代わりに、私はネットで物件を探し、内見の予約を入れ、何度も一緒に見に行った。
「職場へのアクセスは良いけど、日当たりがなぁ……」
「この物件、内装はいいけどコンロが一口だよ?」
そんなふうに、二人であれこれ悩んで意見を交わす日々が、私にとってはとても新鮮で、幸せだった。
「……なんか、こうやって一緒に物件見てると、結婚した夫婦みたいだね。」
ふと私が言うと、優斗さんは照れたように笑った。
「それ、悪くない響きだな。」
言葉にしなくても、私たちの中には確かに“次のステージ”への気持ちが芽生え始めていた。
結局、優斗さんは駅から徒歩15分ほどの2階建てアパートの1Kに決めた。初期費用は予想以上にかかったけど、静かな住宅街で、職場まで電車一本。何よりも、私の家からも通いやすい距離だった。
引っ越しの当日、私は段ボールに囲まれた優斗さんの新居で、掃除機をかけながらふと思った。
これからは、何かあったときすぐに会える。寂しい夜も、画面越しじゃなくて、すぐそばで寄り添える。
「……やっと、ここまで来たね。」
優斗さんが、新しい鍵をくるくると指先で回しながら言った。
「うん。ここから、また始めよう。」
その声に、私はうなずき、そっと微笑んだ。
優斗さんが引っ越してきて数週間が経った。新生活はまだ慌ただしく、彼も新しい職場に慣れるのに精一杯だったけれど、それでも一緒に過ごす時間が少しずつ増えていく日々は、確かな安らぎだった。
そんな中、私はふと、自分のこれからの働き方について考えるようになった。
「……また正社員に戻ろうかな。」
久しぶりにそう口にしたのは、休日にふたりでカフェにいた時のことだった。
優斗さんは驚いたように私を見たが、すぐに穏やかに微笑んだ。
「うん、きっと君なら大丈夫。無理はしないでね。」
その言葉に、私は救われるような気持ちになった。
私は職業訓練校で学び直したスキルと、これまでの派遣や正社員での経験を整理して、履歴書を作成した。少し緊張しながらも、何社か応募し、いくつか面接を受けた。そして、数週間後──
「採用のお知らせをさせていただきます。」
その電話を受けたとき、私は思わず小さくガッツポーズをした。
職種は事務。以前のように残業地獄ではなく、定時退社も可能な環境。そして何より、働きながら未来を考えられそうな、安定した場所だった。
初出勤の日、緊張で少し早足になっていた私の手を、優斗さんがそっと握ってくれた。
「行ってらっしゃい。頑張りすぎないように。」
「ありがとう。……行ってきます。」
新しい朝、新しい職場、そして新しい自分。
私はもう逃げない。ちゃんと、自分の足で、歩いていける。
「優斗さん、私、ちゃんと一歩踏み出すよ。」
(陳念さん、私は前を向いて歩いています。
陳念さん、私は幸せになってもいいのでしょうか?)