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第18話  すれ違いの春

春の風がまだ少し冷たい朝、子どもは初めての保育園へと向かっていた。


「がんばってね」

と優しく声をかけても、子どもは不安そうに私の腕にしがみつく。

「大丈夫、大丈夫」

と言い聞かせるように背中をトントンと叩きながら、私は自分にも言い聞かせていた。


慣らし保育が終わった翌週から、私は職場復帰した。

時短勤務だったけれど、久しぶりの社会との接点。緊張と、でもどこか嬉しい気持ちが混じっていた。


朝はバタバタと登園の準備をして出勤、昼は目まぐるしく働いて、夕方にはダッシュでお迎え。

家に帰ればご飯、洗濯、子どものお風呂。

そんな毎日の中で、私は自分がちゃんと「母」でありながらも、「私」でもあるような気がして、疲れながらも少し満ち足りていた。


けれど、ある晩。子どもを寝かしつけた後、優斗が言った。


「ねえ、君さ……そんなに無理して働かなくてもいいんじゃない?オレの収入でなんとかなるし。」


一瞬、言葉が出なかった。


「無理してるわけじゃないよ。仕事、楽しいし。……家計にも少しは足しになるし。」


「それはわかるけど、家のことも子どものことも、どうしても君の負担が増えてる気がしてさ。

保育園に預けるの、ちょっと早かったんじゃないかって、正直思ってる。」


静かに、けれど確かに、心の中で何かが揺れた。


「私、また社会とつながりたかったんだよ。ずっと家にいて、子どもとだけ向き合って……それは幸せだけど、息が詰まることもあった。

働くことで、自分が自分でいられる気がしたの。……わかってくれる?」


「わかってるよ。……でも、“母親としての君”がつらそうに見えたら、オレは止めたくなる。」


「“母親としての私”だけで、私を見ないで……。」


それ以上、何も言えなかった。

二人の間に、沈黙だけが流れた。





翌日、仕事をしながらも心がモヤモヤしていた。

“母”であることと、“私”であること。

“夫婦”であることと、“個人”であること。


一緒に生きていくって、こんなにも考え方がずれることがあるんだ。

どちらが間違っているわけではない。

でも、お互いに「正しいと思うこと」が違うだけで、こんなにもすれ違ってしまうのだ。





週末。

子どもがお昼寝している間に、私は勇気を出して優斗に話した。


「私ね、あなたに“働かなくてもいい”って言われたとき、否定された気がしたの。

子どもを預けて働くことが、悪いことみたいに思えてしまって。」


優斗は黙って聞いていた。

そして、ぽつりと言った。


「ごめん。君がそんなふうに思ってたなんて……。

オレ、子どもを一番に考えてるつもりだったけど、君のことをちゃんと見てなかった。」


「私も、あなたの“心配”をちゃんと受け止めてなかった。」


少しの沈黙のあと、二人は、そっと手を握り合った。





子育てに正解なんてない。

夫婦のかたちにも、正解なんてない。


すれ違いながらでも、対話しながら、また歩いていけばいい。

そうやって私たちは、“家族”を育てていくのだろう。


そして私は改めて思った。

幸せになること。それは、自分を犠牲にすることではなく、誰かと“分かち合う”ことなんだと。



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