それは、肌寒い雨の降る午後だった。
一本の電話が鳴り、私はその場で立ち尽くしてしまった。
「……父が、亡くなった?」
あまりに突然のことで、うまく言葉が出なかった。
病気をしていたわけでもない。むしろ、元気に畑仕事をしている姿を、去年の正月にちらりと見かけたばかりだった。
なのに、心筋梗塞だったらしい。
通夜は明日、葬儀は明後日──
私は一瞬、迷った。けれど、優斗がそっと私の手を握り、静かにうなずいた。
「行こう。一緒に。」
その夜、娘を連れて三人で実家のある町へと向かった。
久しぶりのあの家。雨に濡れた玄関の前で立ち尽くすと、あの日々が胸を締めつけてくる。
母が出てきた。
「あんた、遅かったわね。親が死んだのに、何やってたの?
子どもなんて連れてくる余裕があるなら、もっと早く来れたでしょう?」
私は言葉を失った。
「お悔やみの言葉もないの?あなた、そんな子じゃなかったはずよ。やっぱり男に染まって変わったのね」
それを聞いて、娘を抱きかかえていた優斗が、そっと私に目配せをして言った。
「……通夜が済んだら、帰ろうか。」
私はうなずいた。
どれだけ父の死を悼んでいても、この場所に長くいたら、私はまた壊れてしまう。
父の顔を見た。静かで、どこか安らかな表情だった。
「ごめんね、最後まで、ちゃんと話せなかったね……」
その夜、娘が寝静まったあと、私は優斗に小さくつぶやいた。
「父は……私を庇ってくれたことなんて、なかった。でも、母の言葉に押しつぶされそうになってるとき、黙って台所に立って、お味噌汁を作ってくれてたの。
あれが精一杯の、優しさだったのかもしれないなって、今なら少しだけ、わかるの」
優斗は黙って、私の肩を抱いてくれた。
翌朝、通夜を終えて、私たちはそのまま駅に向かった。
母からは最後まで罵声にも近い言葉を浴びせられたが、私はもう振り返らなかった。
「さようなら、お父さん。……私は、私の家族と、生きていくよ」
娘の小さな手を引きながら、私は新しい日常へと一歩踏み出した。