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第19話  さようなら、父へ

それは、肌寒い雨の降る午後だった。

一本の電話が鳴り、私はその場で立ち尽くしてしまった。


「……父が、亡くなった?」


あまりに突然のことで、うまく言葉が出なかった。


病気をしていたわけでもない。むしろ、元気に畑仕事をしている姿を、去年の正月にちらりと見かけたばかりだった。

なのに、心筋梗塞だったらしい。


通夜は明日、葬儀は明後日──


私は一瞬、迷った。けれど、優斗がそっと私の手を握り、静かにうなずいた。


「行こう。一緒に。」


その夜、娘を連れて三人で実家のある町へと向かった。

久しぶりのあの家。雨に濡れた玄関の前で立ち尽くすと、あの日々が胸を締めつけてくる。


母が出てきた。


「あんた、遅かったわね。親が死んだのに、何やってたの?

子どもなんて連れてくる余裕があるなら、もっと早く来れたでしょう?」


私は言葉を失った。


「お悔やみの言葉もないの?あなた、そんな子じゃなかったはずよ。やっぱり男に染まって変わったのね」


それを聞いて、娘を抱きかかえていた優斗が、そっと私に目配せをして言った。


「……通夜が済んだら、帰ろうか。」


私はうなずいた。

どれだけ父の死を悼んでいても、この場所に長くいたら、私はまた壊れてしまう。

父の顔を見た。静かで、どこか安らかな表情だった。


「ごめんね、最後まで、ちゃんと話せなかったね……」


その夜、娘が寝静まったあと、私は優斗に小さくつぶやいた。


「父は……私を庇ってくれたことなんて、なかった。でも、母の言葉に押しつぶされそうになってるとき、黙って台所に立って、お味噌汁を作ってくれてたの。

あれが精一杯の、優しさだったのかもしれないなって、今なら少しだけ、わかるの」


優斗は黙って、私の肩を抱いてくれた。


翌朝、通夜を終えて、私たちはそのまま駅に向かった。

母からは最後まで罵声にも近い言葉を浴びせられたが、私はもう振り返らなかった。


「さようなら、お父さん。……私は、私の家族と、生きていくよ」


娘の小さな手を引きながら、私は新しい日常へと一歩踏み出した。


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