帰りの電車に揺られながら、私は窓の外を見つめていた。駅を過ぎ、ビル群がぽつぽつと遠ざかり、見慣れた街並みに変わっていく。それなのに、心の奥には、どこか重たいものが残っていた。
希美はすっかり眠っていて、優斗が静かに抱きかかえてくれている。小さな寝息に救われる。こんなにも無垢で、あたたかくて、この子がいてくれるだけで、私は何度だって立ち上がれる気がする。
「……疲れた?」
優斗が小さな声でたずねてきた。
「うん。……いろんな意味で、ね」
私の答えに、優斗は静かに頷いた。
「帰ってくるたびに、あの家の空気は変わらないんだなって思った。君がどれだけ傷ついてきたか、ほんの少しだけどわかった気がしたよ」
私は、そっと目を閉じた。父の顔が思い浮かぶ。でも、その顔に懐かしさはあっても、愛しさはなかった。
思い出すのは、怒鳴られた記憶、無視された記憶、そして泣いていた幼い自分の姿。
「……泣いてほしかったのかもしれない。怒ってほしかったのかもしれない。どんな感情でも、私に向けてくれたら、まだ“家族”だと思えたかも。でも、父は……最後まで、私に何も言ってくれなかった」
優斗は何も言わなかった。ただ、私の肩にそっと手を置いてくれた。
「でもね、優斗。私は、娘にとって、ああいう親には絶対にならない。言葉にして、感情を伝えて、一緒に泣いたり笑ったりできる親でいたい。あの家から、私は何も受け継がない」
それは誓いだった。
私の中にある、静かな決意。
電車の中は、やがて車内灯がゆらめき始め、窓に自分たちの姿が映る。
優斗は眠る娘を優しく見下ろしていた。
その姿に、私は安心を覚えた。もう、私はひとりじゃない。私たちは、過去を断ち切り、新しい家族を作っている最中なんだ。
「……ありがとう、来てくれて」
「当たり前だろ。君の“家族”なんだから」
電車はもうすぐ、自宅の最寄り駅に到着する。
私は過去に背を向け、未来をまっすぐ見つめる準備ができていた。
復讐なんて言葉よりも、私は“幸せ”で証明したい。
あの家でできなかったこと、与えられなかったものを、私が誰より大切にして、育てていく。
静かに電車のドアが開き、私たちは新たな日常へと、一歩踏み出した。