ムンクの叫び。言わずと知れた名画ですね。ええ、ええ、絵だと素晴らしいですよ。
でもね、それが現実に居たらどうです? あれが交差点の向かい側から歩いてきたらどうです? 怖いでしょ? ええ、怖いです。私も内心ビビってます。
どこへやってしまったのかほとんど無い眉毛。色を白く見せる為に塗りたくった白粉、ツルりと不自然なほど広いおでこ。黒に近い赤い唇。正に『叫び』そのものだ。
「えっと……まず初めにお化粧を一度全て落としていただく事になりますが、よろしいですか?」
「え? 落とすの⁉ 全部⁉」
「ええ、全部です!」
そう言って私は有無を言わさずマリアンヌの顔にしっかり温めた手巾をあてがった。何をしているかって? 溶かしてるんですよ、蝋を。正しくは蜜蝋を。
「き、きゃぁぁ! や、止めて! 取れちゃう! 取れちゃうから!」
「取ってるんです、マリアンヌ様。じっとしていてください!」
思わず強い口調になった私に驚いたのか、マリアンヌはシュンと縮こまった。
彼女はマリアンヌ・ルシエール。侯爵家のご令嬢だ。
今年の初めに婚約者と初めて会い、それから一度も婚約者がマリアンヌと会ってくれないのだという。理由が分からなくてただでさえ不健康に白い肌を、さらに白く見せる為にとうとう水銀入りの白粉に手を出したらしい。
それを知ったマリアンヌの友人がここを紹介したそうなのだ。
『そのお悩み、ヒマリならきっとどうにかしてくれるわ!』
そう、ルチルである。全く迷惑な話だ。よりによってこんなムンクの『叫び』のような女を寄越すとは。
全ての化粧を落としたマリアンヌの顔はまるで白磁の陶器のようだった。そう、何もない。シミも皺も何も。ついでに言えば目は小さく鼻も口も小さい。全体的に卵のようである。
しかし顔立ちは可愛い。小リスのような愛らしさがある。
「マリアンヌ様のお顔立ちは全てのパーツが控えめでらっしゃるので、お化粧は目を強調したものにしましょう。そうする事で小ぶりの鼻が愛らしさを引き出します」
「ま、まぁ! そ、そうかしら?」
「はい。あんな厚化粧をしては可愛らしいお顔が台無しです。では、お直し入りまーす!」
助手のクリスと共に私は作業に入った。まずはスキンケアである。蜜蝋で完全に塞いでいた肌は、ビックリするほどカッサカサだ。そこにこれでもかと言う程、薔薇で作った化粧水をパッティングしていく。
「良い香りね。これは薔薇?」
「はい。マリアンヌ様の肌は少し乾燥しているようなので、保湿力の高い薔薇の化粧水を使用しています。この後にオリーブオイルと蜜蝋で作った保湿オイルを塗って、スキンケアは終了で~す」
「それだけ?」
「はい。マリアンヌ様の肌のお悩みはさしずめこの乾燥です。これさえ治れば、肌は見違えるように輝きますよ~」
「まぁ! 本当⁉ 色は? 色は白くなるかしら?」
出た。色白ブーム。私は内心うんざりしていた訳だが、これは日本でもよく聞いたセリフだ。二言目には『白くなるの?』ああ、はいはい。美白ね、なるなる。
ただ言っておくけど、遺伝の壁は何やったって超えられないからね⁉ 何度心の中でそう叫んだ事か。そして今も叫びたい。
しかし私は美容部員もやっていた。そんな心の声など一切封印してにこやかに話す。
「薔薇には美白成分が含まれているので、ある程度は効果が期待できますよ~。不健康な色の白さではなく、抜けるような輝きに満ちた白さです。可愛らしいマリアンヌ様にはピッタリのお化粧水なんです~。何よりもこの薔薇の香り! 高貴なこの香りこそ、マリアンヌ様に相応しい香りだと思うんですよ~。あ、こちらの化粧水は販売もしておりますので、お気に召したら是非帰りに受付のクリスにお伝えくださいね~。では、次にオイルを塗り込んでいきますね。皮膚と言うのは、水と油が交互に重なって出来ています。乾燥すると、まるで紙のようにゴワゴワガサガサしてしまうんです。なので、それを補ってあげましょう。こうやって……」
そう言って私はマリアンヌの後ろに回り込んで、両手の平にオイルを塗り込んで温めると、それでマリアンヌの顔を優しく包み込んだ。
「あ、もたれていいですよ~」
お腹にマリアンヌの頭をもたれさせ、完全リラックスモードを作り出す。
マッサージをしつつ、特に乾燥の気になるTゾーンと頬に念入りにオイルを染み込ませていると、マリアンヌが、ほぉ、と息を吐いた。
「気持ち良いわ……うっかり寝てしまいそうよ」
「頑張って起きててくださいね~」
この言葉が出たら大方成功である。相手は超リラックスモードに突入したという合図だ。ここでエステティシャンの頃の経験が生きる。
マッサージが終わり、ここからが本番である。