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2-4 星々の法

 二日後――



 昼下がりの静かな田舎町に、宅配便のトラックのエンジン音が響いた。

 翔太は縁側でスマホを使いニュースを見ていたが、聞き慣れない音に顔を上げ、玄関の引き戸を開けた。

 配達員が差し出した段ボール箱を受け取り、サインを済ませると、トラックが遠ざかる音が山間にこだました。

 箱の表面に貼られた送り状を見ると、送り主は「南川涼子」。

 几帳面な字で書かれた「高橋翔太様」の文字が目に入り、思わず口元が緩んだ。

 中身は、彼女が研究所からこっそり拝借した電子部品のはずだ。


 部屋に戻り、ダイニングテーブルに箱を置いてカッターナイフで封を開けた。

 段ボールの中には、緩衝材に包まれた銀色に輝く基板や部品がいくつか詰められていた。

 翔太はそれらを慎重に取り出し、テーブルの上に並べた。

 基板の表面には微細な回路が刻まれ、工業用の高精度な技術を物語っている。

 光を反射する金属の質感が冷たく、手に持つとずっしりとした重みがあった。

 メモ書きが貼り付けてありそこにはパラジウムやロジウムを含む特殊合金が使われていることが書かれている。


 涼子がアーベルの要求を考慮して厳選してくれたことが伝わってきた。


「さすが涼子……」


 翔太は小さく呟き、感謝の気持ちが胸に広がった。

 彼女の機転と行動力には、研究所時代から何度も助けられてきた。

 だが、部品を一つひとつ確認していくうちに、彼の表情が曇った。


 量が足りない。


 アーベルがナノマシンの製造に必要だと指定した貴金属の量には到底及ばない。

 涼子が送ってくれた部品は確かに貴重だが、全体の必要量の半分にも満たなかった。

 翔太はテーブルに広げた部品を眺め、指で基板の端をなぞりながら頭を抱えた。


「……貯金、切り崩すしかないか……」


 深いため息をつきながら、スマホを取り出して貴金属の相場を調べ始めた。

 画面に映る数字を見た瞬間、胃がキリキリと締め付けられる感覚が襲ってきた。

 金はまだしも、ロジウムやイリジウムは驚くほどの高値で、1グラム単位でも目眩がするような価格だった。

 田舎に移ってからの生活費を切り詰めていたとはいえ、貯金はそう多くない。

 このままでは、生活が立ち行かなくなる可能性すらある。


(やばいな……生活費、大丈夫か?)


 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 ナノマシンを作れなければ、アーベルの機能復旧も進まないし、通信機の作成どころではない。

 銀河連盟への連絡という途方もない目標が、金銭不足という現実的な問題に足を取られている。

 翔太は眉間に皺を寄せ、唇を噛んだ。


「少しでも安いところを探さないとな」


 そう決意し、安価な購入ルートを求めてスマホで検索を続けた。

 貴金属取引所やリサイクル業者のサイトを次々と開くが、思った以上に手頃な業者は見つからない。

 どこも似たり寄ったりの価格で、どれも「安い」とは程遠い。

 画面をスクロールする指が徐々に重くなり、疲労感が肩にのしかかってきた。


「はぁ……こんなの、どこで買っても大差ないか……」


 その時、スマホの画面が一瞬暗転し、黒い文字が浮かび上がった。


『より安価に購入できるルートの情報を提供します』


 アーベルのメッセージだった。

 翔太は目を丸くして画面を見つめた。


「……マジか?」


『インターネット上の市場データを収集・分析し、最適な購入先を特定しました』


 画面が切り替わり、一般の販売店ではなく、企業間取引のサイトやリサイクル業者など、通常の検索では見つけにくい業者のリストが並んだ。

 そこには、市場価格の半分以下で貴金属を提供する業者がいくつも含まれている。

 例えば、ロジウムのスクラップを専門に扱う地方の中小企業や、電子機器の解体から回収したイリジウムを格安で売るリサイクル業者のリンクが表示されていた。

 翔太は目を疑いながらリストをスクロールした。


「おいおい……どうやってこんなの見つけたんだ?」


『私は地球のインターネットを閲覧し、その全情報を記憶・学習しました』


「……は?」


 言われた意味を理解するまで、数秒かかった。翔太はスマホをテーブルに置き、アーベルのコアをじっと見つめた。

 部屋の中、アーベルの淡い光が畳に揺らめき、静寂の中でその言葉が重く響いた。


「お前、地球のネット全部見たのか?」


『はい。情報収集の必要性を考慮し、効率的に学習を行いました』


 翔太は思わず舌を巻いた。

 アーベルは地球上のインターネット――膨大なウェブサイト、データベース、果てはダークウェブまで含めた全てを、わずか数日で読み込んだという。

 頭の中で、アーベルが無数のデータを瞬時に処理する姿が浮かび、まるでSF映画のAIそのものだと改めて実感した。


 いや、もしかしたらアーベルはそんな想像を超えた存在なのかもしれない。


「……まさか、勝手にハッキングとかしてないだろうな?」


 ふと一抹の不安がよぎり、翔太は慎重に尋ねた。

 こんな能力を持った存在が、不用意にネットに干渉していたら大問題だ。

 アーベルのコアが一瞬だけ光を強め、返答が表示された。


『私は銀河連盟の規範に従い、不正な干渉は一切行っていません』


「銀河連盟……」


 翔太は、以前から気になっていた言葉を思い出した。

 アーベルは銀河連盟のルールに従って行動していると何度も言っていたが、その詳細は曖昧だった。


「そういえば、お前が言ってるその銀河連盟って、そもそも何なんだ?」


 口にした疑問に、アーベルの文字が次々と流れ始めた。


『銀河連盟とは、多数の知的生命体が加盟する共同体であり、銀河全体の秩序と平和を維持するための機関です』


「……国連みたいなもんか?」


『概念としては近いですが、より広範な権限と影響力を持っています。加盟する文明は、それぞれ独自の文化と発展を維持しながらも、連盟の定める法に従う義務があります』


「なるほど……で、その銀河連盟は具体的に何をしてるんだ?」


 スマホの画面に、詳細な説明が次々と表示されていく。

 アーベルの淡々とした文字が、まるで教科書のように整然と並んだ。



---



**銀河連盟の目的**


1. **平和の維持**

- 加盟種族間の戦争や紛争を防ぎ、外交的解決を促進する。

- 侵略的・暴力的な行為を禁止し、抑止する。


2. **文明の共存と発展**

- 多様な種族・文化の共存を尊重し、発展を支援する。

- 科学技術・経済・医療・教育の交流を促進する。


3. **銀河規模の法と秩序の維持**

- 共通の法体系を整備し、犯罪や違法行為を取り締まる。

- 海賊、密輸、奴隷制度などの違法行為を撲滅し、加盟国を保護する。


4. **探査・開発・環境保護**

- 銀河の未開領域を探査し、持続可能な形で開発する。

- 生態系の保護や、知的生命体の干渉禁止(いわゆる“プライム・ダイレクティブ”)を制定。


5. **緊急時対応**

- 惑星規模の災害、疫病、戦争、宇宙的脅威(ブラックホール衝突、ガンマ線バースト、敵対的異星文明の侵略など)に対応する救援体制を構築。

- 加盟種族への支援や避難計画を策定。



---



「……つまり、銀河連盟は秩序を守るために活動してるってことか」


『その通りです。銀河連盟は多くの異なる種族が共存し、互いに協力し合うことを目的としています』


「でもさ、それって本当にうまく機能してるのか? 地球の国連だって、加盟国の利害がぶつかって、まともに機能しないことがあるんだぞ」


『確かに、銀河連盟にも問題はあります。各種族の価値観や文化が異なるため、意見の衝突は避けられません。しかし、少なくとも加盟国間での戦争は極めて稀です』


「戦争が稀って……どうやってそんな状況を作り出してるんだ?」


『戦争を禁止する明確な法律が存在し、それを破った場合、銀河連盟による厳しい制裁が課されるからです』


画面に新たな項目が表示され、銀河連盟の憲章が詳細に綴られた。



---



**銀河連盟の憲章**


**第1条(基本原則)**

-銀河連盟は、すべての加盟種族が共存し、平和的に発展することを目的とする。


**第2条(主権の尊重)**

-各加盟文明は独立性を持ち、内政への不当な干渉は行わない。ただし、銀河的規模の人道的危機や重大な法違反が発生した場合は例外とする。


**第3条(戦争と武力行使の禁止)**

-加盟国間の戦争を禁止し、紛争は外交または調停機関を通じて解決することを義務とする。


**第4条(知的生命体の権利)**

-すべての知的生命体は、種族・文明の違いを問わず、基本的権利を保障される。奴隷制度や遺伝子改変による種族の支配などは禁じられる。


**第5条(発展途上文明への不干渉)**

-発展段階が一定レベル(例:ワープ航行技術を持たない文明)に達していない文明への干渉を禁じる。ただし、絶滅の危機に瀕した場合に限り、連盟評議会の承認を経て支援を行うことができる。



---



「つまり、銀河連盟の法律が厳しくて、戦争をやらかしたら袋叩きにされるわけか」


『その通りです。戦争を起こした場合、銀河連盟軍による制圧、経済制裁、外交的孤立などの措置が取られます。場合によっては星系ごと破壊した事例もあります。そのため、多くの文明は戦争よりも外交的解決を選びます』


「そりゃ恐ろしいな。核の抑止力どころじゃない……」


 翔太はスケールの大きさに身慄いした。

 ふと、憲章の第五条に目が留まる。


「その憲章にある……発展途上文明には干渉しないってのは、どういう基準なんだ?今のアーベルは違反してたりするのか?」


『一般的には、ワープ航行技術(FTL技術)を持たない文明は発展途上文明と見なされます。彼らが自然な発展を遂げることを優先し、干渉は禁止されています』


「地球は発展途上文明じゃないか……こうして俺に会っているのは問題ってことか」


『はい。本来は想定されていない事態です。しかし、地球は私の持つ発展途上文明のリストには含まれておりません。リストにない文明に干渉しているため、問題ないという独自解釈をもとに活動しています』


 翔太は深く息を吐き、椅子の背もたれに凭れた。

 窓の外では、昼下がりの陽光が木々の葉を揺らし、畳に淡い影を落としている。


「一応、お前の情報収集は、その銀河連盟のルールに従ってるってことか?」


『はい。私は地球に干渉しない範囲で活動しています。今回の情報収集も、地球上の公共データを参照しただけであり、ネットワークへの侵害は行っていません』


 アーベルの説明に、翔太は少しだけ安堵した。

 少なくとも、勝手に地球のシステムに手を加えたり、危険な技術をばら撒いたりするような存在ではないらしい。

 だが、その能力のスケールに改めて驚嘆しつつも、どこか頼もしさも感じていた。


「……まあ、お前がそう言うなら信じるけどよ」


 翔太は肩をすくめ、スマホに表示された購入ルートを再び見直した。

 アーベルの情報通りなら、かなり安く手に入れられそうだ。

 しかし、リサイクルされたインゴットは不純物が多く含まれている。

 アーベルに確認を取ると自身で再度精製するから貴金属を多く含有していれば問題ないとのことだった。

 翔太は納得し、リストの中から、ロジウムとイリジウムを格安で提供するリサイクル業者を選び、発注フォームに必要量を入力した。


「よし……とりあえず、このルートで発注してみるか」


『適切な判断です』


「ったく、お前がいると、俺が無駄に苦労する時間が減るな……」


 翔太は苦笑しながら、スマホの画面を操作し始めた。

 発注ボタンを押すと、確認メールが届く音が小さく響き、部屋に静寂が戻った。


 窓の外で鳥がさえずり、アーベルのコアが淡く光を放つ。

 こうして、ナノマシン製造のための貴金属調達が本格的に動き出した。

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