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2-9 秘密の工房

 翌日、和歌山のサキシマ重工本社に再び足を踏み入れた翔太は、応接室で待つ崎島健吾の姿に息を呑んだ。


 昨日とは打って変わったその様子は、恐ろしいほどの気迫に満ちていた。

 徹夜したのだろう、目の下には深い隈が刻まれ、頬はわずかにこけている。

 しかし、その目は爛々と輝き、疲労を超越した興奮と決意が隠しきれずに溢れ出していた。

 作業着の袖にはコーヒーの染みが残り、机の上には乱雑に広げられたコピー紙の設計図や計算メモが散らばっている。


 崎島はソファに凭れず、背筋を伸ばして座り、まるで戦場に立つ将軍のような雰囲気を漂わせていた。


「崎島さん。設計図とレポート、読んでいただけましたか?」


 翔太は慎重に言葉を選びながら、ソファに腰を下ろした。

 部屋の中、潮風が微かに窓を叩き、遠くの海鳥の声が聞こえる。

 崎島は腕を組み、鋭い視線で翔太を見据えた。


「理論は本物だと認めざるを得ない。……だが、やはり実機での実証が必要だ。試験なしにロケットへ搭載することはできない」


「それは当然ですね」


 翔太は頷き、冷静さを保ちつつ答えた。

 ロケットエンジンのような精密機器を、理論だけで採用する企業はない。

 崎島の慎重さは、彼が背負う責任の重さを物語っている。

 崎島は指で机を軽く叩き、言葉を続けた。


「2ヶ月だ。2ヶ月以内にエンジンを完成させ、燃焼試験を行い、問題がなければ採用を検討する」


「……2ヶ月」


 翔太は一瞬言葉を失った。

 ロケットエンジンの開発は、通常なら数年単位のプロジェクトだ。

 それをたった2ヶ月で仕上げるのは無茶に思える。

 頭の中でスケジュールがぐるぐると回り、資金や設備の現実的な問題が次々と浮かんだ。


 その時、ポケットの中でスマホがブルリと震えた。

 チラリと視線を向けると、画面にはアーベルの黒い文字が表示されている。


『可能です』


 短く、自信に満ちた一言。

 翔太は内心で安堵しつつ、アーベルの技術力を改めて思い出した。

 ナノマシンとその応用があれば、常識を超えたスピードで何とかなるかもしれない。

 彼は深く息を吸い、崎島に向き直った。


「わかりました。必ず間に合わせます」


 崎島は無言で頷き、タブレットを手に持ったまま立ち上がり、翔太へ手を差し出した。

 翔太も席を立ち、その手を握り返した。



---



 それから急いで帰宅した翔太は、山間の自宅に着くなり縁側に腰を下ろし、静かな風景を見渡しながら考え込んでいた。


 裏山の木々は紅葉に染まり、風に揺れる葉の音が耳に心地よい。

 遠くの谷間には霧が漂い、秋の深まりを感じさせる。

 しかし、彼の頭の中は穏やかとは程遠く、2ヶ月という短い期限が重くのしかかっていた。


「製作はアーベルができるというなら大丈夫。けれど問題は作業スペースと材料、どうやって確保するか……」


 ロケットエンジンを完成させるには、大規模な作業場と高精度な製造設備が必要だ。

 しかし、今からそんな施設を借りるのは時間的にも資金的にも不可能だった。

 田舎暮らしの貯金はすでに貴金属調達で底をつき、設備投資の余裕はない。


 翔太は膝に肘をつき、額を押さえながら頭を巡らせた。


「翔太さん」


 足元から声が響き、翔太は視線を下げた。

 黒猫型の機械生命体――アーベルが、畳の上に座り込んでこちらを見上げている。

 漆黒のボディが陽光を反射し、エメラルドの瞳が鋭く輝いていた。


「裏山の空き地と、そこに放置された産業廃棄物を活用しましょう」


「産業廃棄物? あの古いコンクリート塊や錆びた車のことか?」


 翔太は眉をひそめた。

 裏山の空き地には、不法投棄された廃材が散乱している。崩れたコンクリートの塊、錆びた鉄骨、廃車となったトラック――どれも使い物にならないゴミにしか見えなかった。

 アーベルは首をかしげ、淡々と答えた。


「ええ、それらの資源を分解・再構築すれば、必要な材料を精製できます。そして、地下に工房を建設することで、周囲の目を気にせず作業が可能になります」


 翔太は思わず息を呑んだ。


「地下に……工房?」


 なんとも男の子の心をくすぐるワードだった。


「はい。私のナノマシンの一部を複製し、構造物を作るためのナノマシンを生産します。これを使って、裏山の地下に施設を構築します」


 アーベルの計画は壮大だったが、合理的でもあった。

 廃棄された資材を再利用し、外部の干渉を避けながら自由に作業できる場所を確保できる。

 翔太は目を丸くしながらも、大きく頷いた。


「よし、それでいこう。アーベル、工房の設計は?」


「すでに完了しています。作業スペース、材料保管庫、エネルギー供給施設、排熱処理設備を統合した地下施設を構築します」


 アーベルの黒い機械のボディが微かに光を帯び、次の瞬間、その姿が霞のように拡散した。

 小さな粒子となって地面へと潜り込んでいく様子に、翔太は目を奪われた。


『では、作業を開始します』


 スマホへそんなメッセージが流れてきた。



---



 その日から、裏山の空き地では異様な光景が広がった。

 静かな山の中、誰もいないはずの空き地で、地面がわずかに波打ち、音もなく沈んでいく。

 まるで大地そのものが生きているかのように、ゆっくりと変形していく。

 ナノマシンが土を削り、岩を分解し、地下に空間を作り出しているのだ。

 翔太はその様子を眺め、圧倒されていた。


 数時間後、そこには地下へと続く通路が口を開けていた。

 滑らかな金属質の壁に囲まれたトンネルが、奥深くまで続いている。

 陽光が差し込む入り口付近は鈍く光り、内部は薄暗い青白い輝きに包まれていた。

 アーベルの声がトンネルの奥から響く。


「すでに主要部分の基礎工事は完了しました。工房内に必要な設備を順次構築していきます」


 翔太はその場に立ち尽くし、思わず額の汗を拭った。


「……本当に地下工房を作っちまったのか」


「当然です。出入り口、および地上からの観測に対する偽装も完璧です。次の作業に移ります」


 アーベルは黒猫の姿でトンネルの液面から現れた。


「廃棄された車両を利用して、超高精度3D金属プリンターを製造します」


 翔太は目を見開いた。


「おいおい、マジか……あんなボロボロの車から?」


 空き地の隅に放置された3台の廃車――錆びついたトラックと、タイヤが外れた軽自動車、塗装が剥げたセダン――が視界に入る。

 アーベルは平然と答えた。


「ええ。あの車両には再利用可能な金属資源が豊富に含まれています。ナノマシンを使って分解し、原子単位で再構成すれば、新品の機械部品として蘇ります」


 アーベルから薄く伸びたナノマシンが廃車を包み込む。

 次の瞬間、廃車の表面がまるで溶けるように波打ち始めた。

 鉄やアルミニウムの外装が流体のように変形し、まるで生き物のように形を変えていく。

 錆びたボディが粒子に分解され、空中で渦を巻きながら新たな形に組み上がっていく様子は、まるで魔法のようだった。


「このプロセスで、高精度な金属3Dプリンターを作成します。高精度な部品を製造可能になります」


「なんでわざわざ金属3Dプリンターを作るんだ? アーベルのナノマシンでエンジン自体を生成してもいいじゃないか?」


 翔太の疑問に、アーベルは首をかしげて答えた。


「私の技術では原子レベルの積層痕が残ります。崎島のような技術者が見ればその異様さからあらぬ疑いをかけられかねません。製作する3Dプリンターならば、ロケットに必要な分の強度を確保した上、現在理論が存在する地球技術で製作したように見せかけることができます」


 翔太はその場に座り込み、頭を抱えた。


「……もう、何が現実で何がフィクションかわからねえよ」


「私にとっては、どちらも同じです」


アーベルの声に微かなユーモアが混じり、黒猫の尻尾が軽く揺れた。


「……だろうな」


 こうして、翔太とアーベルによる秘密の地下工房が本格的に稼働を始めた。

 金属3Dプリンターの完成と同時に、翔太はロケットエンジンの部品製造に取り掛かった。

 アーベルの作成した設計データを元に次々と部品を製造し始めた。

 従来の技術では数週間かかる加工が、金属3Dプリンターを活用することでわずか数時間で完了する。


 金属が溶け、形を成していく音が地下工房に響き、翔太の手元でエンジンの形が徐々に現れ始めた。


 また、アーベルは並行して産業廃棄物の再利用システムを構築していた。

 コンクリートや鉄材を分解し、必要な素材を抽出する装置を作り上げていた。

 材料不足を解決するためだ。


 そして、地下工房の壁には、アーベルのナノマシンが作り出した滑らかな金属パネルが張られ、エネルギー供給用のケーブルが静かに脈打つ。


 翔太は、組み上げられていくエンジンの部品を見つめ、深く息を吸った。


 目の前で現実が超現実と交錯し、2ヶ月後の燃焼試験に向けた戦いが始まったことを実感していた。

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