早朝、千葉の空には澄んだ青が広がり、心地よい秋風が木々を揺らしていた。
翔太と涼子はレンタルした大型のウィングトラックの前に立ち、最後の荷物確認をしていた。
トラックの荷台には、アーベルが設計した「放射性物質分離装置」がコンテナにぴったりと収まり、白いシートで覆われている。
朝陽がその表面に反射し、鈍い光を放っていた。
「涼子、ほんとにこれ、運転できるのか?」
翔太は少し不安げに涼子に尋ねた。
彼女はトラックの運転席に片手をかけ、得意げに鼻を鳴らした。
「当たり前でしょ? こう見えて、大型特殊免許まで持ってるんだから、戦車だって乗れるわよ!」
その自信満々な態度に、翔太は感心したように頷きながらも、改めてトラックの巨大な荷台を見上げた。
「戦車はともかく、こいつを無事に運べれば十分だよ」
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当初、新幹線での移動を考えていた翔太だったが、出発の3日前にアーベルに止められた。
「装置はすぐに完成します。折角なのでそのまま届けるのが最も効率的です。大型のトラックを手配したので、それで運んでください」
黒猫の姿のアーベルはそう告げ、涼子と翔太の足元を歩き回っていた。
「アーベル、大型のトラックを運転するには免許がいるんだ。俺が持ってるのは普通自動車しか運転できない」
「あ、先輩。私、大型免許持ってます」
「マジか……」
「免許証の欄、全部埋めてやろうと思って」
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涼子が笑顔で胸を張ったそのやりとりを思い出し、翔太は苦笑しながらトラックの助手席に乗り込んだ。
アーベルが軽やかに飛び乗り、膝の上で丸くなった。
涼子が運転席に座り、キーを回すと、低いエンジン音が響き、トラックはゆっくりと発進した。
窓の外では、千葉の田園風景が流れ始め、長い旅の幕が開けた。
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千葉から福島へ向かう道中、涼子はハンドルを握りながら上機嫌だった。
高速道路の単調な景色の中、彼女の声が弾む。
「ねえ、先輩! せっかくだし途中で寄り道しましょう!」
「寄り道って、どこに?」
「サービスエリア巡りですよ!」
翔太は呆れたようにため息をついたが、長距離移動の気分転換にもなるかと、涼子の提案を受け入れることにした。
「まぁ、いいか。腹も減ってきたしな」
アーベルは膝の上で小さく「にゃあ」と鳴き、賛成の意を示したようだった。
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最初に立ち寄ったのは、茨城県の守谷サービスエリアだった。
トラックを駐車場に停め、涼子が先に飛び出す。
「うわ、焼きたてのメロンパンあるじゃん!」
彼女は目を輝かせ、すぐに購入。
翔太もつられて買い、一口食べると、外はサクサク、中はふわふわでほんのり甘い香りが広がった。
「うまいな、これ」
「でしょ?」
涼子が得意げに頷く。
「私にも一口ください」
アーベルが膝から顔を上げ、小さな声で言った。
「アーベル、お前食べるのか?」
翔太が驚いて見つめると、アーベルは尻尾を軽く振った。
「ええ、お二人がそれほどまでに美味しいという食品が気になります。データを取らせてください」
「なら、最高の組み合わせで食べさせてやろう」
翔太は自販機に向かい、冷えた牛乳を買って戻ってきた。
皿がないのでペットボトルのキャップを裏返し、そこに牛乳を注ぎ、メロンパンを一口サイズにちぎってアーベルに与えた。
アーベルは黒猫の姿のまま、キャップから上品に牛乳を舐め、メロンパンを小さな口でかじった。
「栄養価は悪くありませんね」
満足げに尻尾を揺らし、涼子が「可愛い!」と声を上げた。
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次に訪れたのは那須高原サービスエリア。
ちょうど昼食の時間だ。
「栃木といえば、餃子!」
涼子は迷わず「焼き餃子セット」を注文し、翔太は「宇都宮ラーメン」を選んだ。
アーベルには車外で食事をさせるわけにもいかず、トラックの中でお留守番を頼んだ。
「いただきまーす!」
涼子が湯気を立てる餃子を頬張り、幸せそうな表情を浮かべる。
翔太もラーメンをすすり、あっさりとしたスープに細麺が絡み、チャーシューの旨みが口いっぱいに広がった。
「これも悪くないな」
二人は旅の楽しさを味わいながら、笑顔を交わした。
そうして道中を楽しみながら、二人と一匹は福島県へと入った。
高速道路の標識に「双葉町」の文字が近づくにつれ、涼子の表情が少しずつ真剣なものに変わっていった。
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長いドライブを経て、翔太たちはついに双葉町へと到着した。
街の風景はかつての賑わいを失い、地震で崩れた建物は撤去され、草が生い茂る空き地が広がっていた。
人の往来は少なく、静寂が町を包んでいる。
道路脇には「帰還困難区域」の看板が錆びつき、風に揺れていた。
涼子はハンドルを握りながら、静かに呟いた。
「……なんだか寂しい景色だね」
翔太は言葉を選びかねて、ただ窓の外を眺めた。
荒れた土地と遠くに見える原発のシルエットが、涼子の過去と向き合う重さを物語っていた。
助手席のアーベルも黙って外を見つめ、尻尾の動きが止まっていた。
目的地である南川除染技術研究所に到着すると、涼子の兄、南川仁とその妻、南川由美が出迎えた。
「おーい、涼子!」
仁は30代半ばの男性で、日焼けした顔と精悍な目つきが印象的だった。
作業ズボンに白衣を羽織り、腕まくりした姿が頼もしい。
妻の由美は落ち着いた雰囲気の女性で、眼鏡越しに知的な光を湛えた目が研究者らしい。
二人とも白衣が似合っていた。
「兄貴、久しぶり!」
涼子がトラックから降りて駆け寄ると、仁は力強く彼女の肩を叩いた。
「大きくなったな、涼子」
「もう大人なんだから、そんなに変わってないよ!」
「ようこそ、南川除染技研へ」
由美が柔らかく微笑み、翔太にも会釈した。
翔太は軽く会釈を返し、仁が差し出してきた手を握った。
「君が翔太くんか。妹が世話になってるよ」
「いえ、こちらこそ」
しっかりとした握手を交わし、挨拶を済ませる。
アーベルは翔太の足元に降り立ち、黒猫の姿で静かに二人を見上げた。
敷地内に足を踏み入れると、そこには改築された研究棟があった。
「もともと地元の工場だったんだけど、買い取って改造したんだ」
仁が説明しながら案内する。
内部には実験設備やモニターが並び、放射線量や土壌分析の数値が記録されている。
「少し前まで補助金や支援制度が手厚くてね、建物は古いが、機材は一流のものが揃ってる」
しかし、本格的な設備が整っているが、人の気配はなく、無機質な雰囲気が漂っていた。
ふと外に目を向けると、山積みの放射性残土が黒いビニールシートに覆われ、敷地の端に広がっている。
「これが今の現状さ」
仁は苦い表情で呟く。
涼子と翔太が小さく息を飲んだ。
「少し前まで後輩や同業者がいたが、みんなそれぞれの道へ進んでいった。被災から時間が経ち、みんなの関心が薄れていった結果さ」
「でも、こうして放射性物質は残っている。残ってるんだ。これがなくならない限り人は戻らない。僕はそう考えて研究を続けている……まあ、成果は上がってないんだけどね」
仁の声には疲れと諦めが混じっていたが、その眼差しには消えない決意が宿っていた。
だからこそ、彼は期待を込めて翔太と涼子を見つめた。
「軽く話は涼子から聞いている。是非二人の話を聞かせてくれ」
その一言に、場の空気が変わった。
涼子の目が輝き、翔太が頷く。
アーベルが尻尾を一振りし、トラックの荷台に視線を向けた。
コンテナの中にある装置が、双葉町の未来を変える第一歩となる……そんな可能性を秘めていた。