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2-14 北へ

 早朝、千葉の空には澄んだ青が広がり、心地よい秋風が木々を揺らしていた。

 翔太と涼子はレンタルした大型のウィングトラックの前に立ち、最後の荷物確認をしていた。

 トラックの荷台には、アーベルが設計した「放射性物質分離装置」がコンテナにぴったりと収まり、白いシートで覆われている。

 朝陽がその表面に反射し、鈍い光を放っていた。


「涼子、ほんとにこれ、運転できるのか?」


 翔太は少し不安げに涼子に尋ねた。

 彼女はトラックの運転席に片手をかけ、得意げに鼻を鳴らした。


「当たり前でしょ? こう見えて、大型特殊免許まで持ってるんだから、戦車だって乗れるわよ!」


 その自信満々な態度に、翔太は感心したように頷きながらも、改めてトラックの巨大な荷台を見上げた。


「戦車はともかく、こいつを無事に運べれば十分だよ」


---


 当初、新幹線での移動を考えていた翔太だったが、出発の3日前にアーベルに止められた。


「装置はすぐに完成します。折角なのでそのまま届けるのが最も効率的です。大型のトラックを手配したので、それで運んでください」


 黒猫の姿のアーベルはそう告げ、涼子と翔太の足元を歩き回っていた。


「アーベル、大型のトラックを運転するには免許がいるんだ。俺が持ってるのは普通自動車しか運転できない」


「あ、先輩。私、大型免許持ってます」


「マジか……」


「免許証の欄、全部埋めてやろうと思って」


---


 涼子が笑顔で胸を張ったそのやりとりを思い出し、翔太は苦笑しながらトラックの助手席に乗り込んだ。

 アーベルが軽やかに飛び乗り、膝の上で丸くなった。

 涼子が運転席に座り、キーを回すと、低いエンジン音が響き、トラックはゆっくりと発進した。

 窓の外では、千葉の田園風景が流れ始め、長い旅の幕が開けた。


---


 千葉から福島へ向かう道中、涼子はハンドルを握りながら上機嫌だった。

 高速道路の単調な景色の中、彼女の声が弾む。


「ねえ、先輩! せっかくだし途中で寄り道しましょう!」


「寄り道って、どこに?」


「サービスエリア巡りですよ!」


 翔太は呆れたようにため息をついたが、長距離移動の気分転換にもなるかと、涼子の提案を受け入れることにした。


「まぁ、いいか。腹も減ってきたしな」


 アーベルは膝の上で小さく「にゃあ」と鳴き、賛成の意を示したようだった。


---


 最初に立ち寄ったのは、茨城県の守谷サービスエリアだった。

 トラックを駐車場に停め、涼子が先に飛び出す。


「うわ、焼きたてのメロンパンあるじゃん!」


 彼女は目を輝かせ、すぐに購入。

 翔太もつられて買い、一口食べると、外はサクサク、中はふわふわでほんのり甘い香りが広がった。


「うまいな、これ」


「でしょ?」



 涼子が得意げに頷く。


「私にも一口ください」


 アーベルが膝から顔を上げ、小さな声で言った。


「アーベル、お前食べるのか?」


 翔太が驚いて見つめると、アーベルは尻尾を軽く振った。


「ええ、お二人がそれほどまでに美味しいという食品が気になります。データを取らせてください」


「なら、最高の組み合わせで食べさせてやろう」


 翔太は自販機に向かい、冷えた牛乳を買って戻ってきた。

 皿がないのでペットボトルのキャップを裏返し、そこに牛乳を注ぎ、メロンパンを一口サイズにちぎってアーベルに与えた。

 アーベルは黒猫の姿のまま、キャップから上品に牛乳を舐め、メロンパンを小さな口でかじった。


「栄養価は悪くありませんね」


 満足げに尻尾を揺らし、涼子が「可愛い!」と声を上げた。


---


 次に訪れたのは那須高原サービスエリア。

 ちょうど昼食の時間だ。


「栃木といえば、餃子!」


 涼子は迷わず「焼き餃子セット」を注文し、翔太は「宇都宮ラーメン」を選んだ。

 アーベルには車外で食事をさせるわけにもいかず、トラックの中でお留守番を頼んだ。


「いただきまーす!」


 涼子が湯気を立てる餃子を頬張り、幸せそうな表情を浮かべる。

 翔太もラーメンをすすり、あっさりとしたスープに細麺が絡み、チャーシューの旨みが口いっぱいに広がった。


「これも悪くないな」


 二人は旅の楽しさを味わいながら、笑顔を交わした。


 そうして道中を楽しみながら、二人と一匹は福島県へと入った。

 高速道路の標識に「双葉町」の文字が近づくにつれ、涼子の表情が少しずつ真剣なものに変わっていった。


---


 長いドライブを経て、翔太たちはついに双葉町へと到着した。

 街の風景はかつての賑わいを失い、地震で崩れた建物は撤去され、草が生い茂る空き地が広がっていた。

 人の往来は少なく、静寂が町を包んでいる。

 道路脇には「帰還困難区域」の看板が錆びつき、風に揺れていた。


 涼子はハンドルを握りながら、静かに呟いた。


「……なんだか寂しい景色だね」


 翔太は言葉を選びかねて、ただ窓の外を眺めた。

 荒れた土地と遠くに見える原発のシルエットが、涼子の過去と向き合う重さを物語っていた。

 助手席のアーベルも黙って外を見つめ、尻尾の動きが止まっていた。


 目的地である南川除染技術研究所に到着すると、涼子の兄、南川仁とその妻、南川由美が出迎えた。


「おーい、涼子!」


 仁は30代半ばの男性で、日焼けした顔と精悍な目つきが印象的だった。

 作業ズボンに白衣を羽織り、腕まくりした姿が頼もしい。

 妻の由美は落ち着いた雰囲気の女性で、眼鏡越しに知的な光を湛えた目が研究者らしい。

 二人とも白衣が似合っていた。


「兄貴、久しぶり!」


 涼子がトラックから降りて駆け寄ると、仁は力強く彼女の肩を叩いた。


「大きくなったな、涼子」


「もう大人なんだから、そんなに変わってないよ!」


「ようこそ、南川除染技研へ」


 由美が柔らかく微笑み、翔太にも会釈した。

 翔太は軽く会釈を返し、仁が差し出してきた手を握った。


「君が翔太くんか。妹が世話になってるよ」


「いえ、こちらこそ」


 しっかりとした握手を交わし、挨拶を済ませる。

 アーベルは翔太の足元に降り立ち、黒猫の姿で静かに二人を見上げた。


 敷地内に足を踏み入れると、そこには改築された研究棟があった。


「もともと地元の工場だったんだけど、買い取って改造したんだ」


 仁が説明しながら案内する。

 内部には実験設備やモニターが並び、放射線量や土壌分析の数値が記録されている。


「少し前まで補助金や支援制度が手厚くてね、建物は古いが、機材は一流のものが揃ってる」


 しかし、本格的な設備が整っているが、人の気配はなく、無機質な雰囲気が漂っていた。

 ふと外に目を向けると、山積みの放射性残土が黒いビニールシートに覆われ、敷地の端に広がっている。


「これが今の現状さ」


 仁は苦い表情で呟く。

 涼子と翔太が小さく息を飲んだ。


「少し前まで後輩や同業者がいたが、みんなそれぞれの道へ進んでいった。被災から時間が経ち、みんなの関心が薄れていった結果さ」


「でも、こうして放射性物質は残っている。残ってるんだ。これがなくならない限り人は戻らない。僕はそう考えて研究を続けている……まあ、成果は上がってないんだけどね」


 仁の声には疲れと諦めが混じっていたが、その眼差しには消えない決意が宿っていた。

 だからこそ、彼は期待を込めて翔太と涼子を見つめた。


「軽く話は涼子から聞いている。是非二人の話を聞かせてくれ」


 その一言に、場の空気が変わった。

 涼子の目が輝き、翔太が頷く。

 アーベルが尻尾を一振りし、トラックの荷台に視線を向けた。

 コンテナの中にある装置が、双葉町の未来を変える第一歩となる……そんな可能性を秘めていた。


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