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第三章

3-1 HPR

 12月の朝、冬の冷たい空気が肌を刺す中、翔太と涼子はサキシマ重工の広大な敷地に足を踏み入れた。

 和歌山の工場地帯は、海風が吹き抜け、遠くで波の音が響いている。


 作業場に着くと、事前に送っていたロケットエンジンのパーツが整然と並べられていた。

 銀色の金属パーツが朝の光を反射し、無機質な輝きを放つ。


 エンジン本体、燃焼室、インジェクター、ノズル、そして見慣れない吸気口付きのユニークな構造――これが、翔太たちが開発した**ハイブリッドパルスロケットエンジン(HPR)**のパーツ群だった。


 作業場の床には白いラインが引かれ、パーツが種類ごとに整理されている。

 独特な形状をしたノズルの表面には微細な加工痕が見え、アーベルの技術が込められた精密さが感じられた。

 翔太は目の前の光景を見上げ、ゴクリと唾を飲んだ。


「……いよいよ、組み立てか」


 そんな翔太らの仕事ぶりを遠目から見つめるのは、サキシマ重工のエンジニアたちと、開発部門の責任者である崎島健吾だった。

 崎島は作業着の上にコートを羽織り、腕を組んで厳しい目つきで翔太たちを観察している。

 その背後では、エンジニアたちが工具を手に持ったまま、興味と疑念が入り混じった視線を送っていた。


「アーベル、準備はいいか?」


 翔太が小さく呟くと、ポケットの中のデバイスから声が返ってきた。


『もちろんです』


 黒猫の姿をしたアーベルが直接作業場に現れるわけにはいかないため、翔太と涼子はアーベルが用意したメガネ型のARデバイスを装着した。

 透明なレンズに、エンジンの設計図と組み立て手順が立体的に浮かび上がり、リアルタイムでガイドが表示される。


「……なんだこれ、プラモデルみたいだな」


 翔太がレンズ越しにガイドを見ながら呟く。


「まるで、ゲームのクラフト作業ね」


 涼子も笑いながら同意した。


 二人は驚きつつも、ガイドに従い慎重に組み立てを始めた。

 まずは燃焼室と噴射ノズルの接合。

 特殊合金で作られたパーツをミリ単位の精度で組み付ける作業だ。


 ARデバイスが赤いラインで接合位置を示し、「トルク: 15Nm」と力加減まで指示する。

 翔太が工具を手に持つと、ガイドが手の動きに合わせてリアルタイムで調整を提案してきた。


 次にインジェクターの配置。

 燃料の霧化を最適化するための精密作業だったが、ARのガイドが適切な角度や挿入深度を緑の矢印で示し、涼子が慎重にパーツを嵌めていく。


「これ、本当に俺たちがやってるのかって感じだな」


 翔太が感嘆の声を漏らす。


「普通、素人の私たちがこんな短時間で精密機械であるエンジンを組めるはずないんだけど……アーベルの技術、凄すぎる」


 涼子も半ば感動しながら作業を進めた。


 サキシマ重工のエンジニアたちは、遠くから彼らの作業を観察し、ざわめき始めた。


「どういうことだ?」

「普通、エンジンの組み立てには最低でも数週間はかかるぞ。なのに……」

「まるで、手慣れた職人みたいに組み上げていく……」


 彼らは信じられないものを見ているようだった。


 崎島健吾も腕を組み、険しい表情で翔太たちを見つめた。

 内心では驚きが渦巻いていた。


(まさか……あの若者が、このような速度でエンジンを組み立てるとは。それを可能とする設計、恐ろしいものだ……)


 通常、ロケットエンジンの組み立てには、数十人規模の技術者と長期間の調整が必要だ。

 にもかかわらず、翔太と涼子は恐ろしい速度で1基のHPRエンジンを組み上げていく。



「……できた」


 翔太が最後のボルトを締め終え、立ち上がった。

 汗が額に滲み、作業着の袖が少し汚れている。

 涼子も隣で工具を置き、息を整えた。


 組み上がった**ハイブリッドパルスロケットエンジン(HPR)**は、従来のロケットエンジンとは異なる特徴的な形状をしていた。


 大気圏ではパルスジェットエンジンとして動作し、宇宙ではロケットエンジンとして機能するハイブリッド構造。


 そのコンセプトは、推進力の効率を飛躍的に向上させ、燃料の節約にもつながる。

 さらに、タンクとエンジン自体の小型化に成功し、もはや革命的なエンジンと言っても過言ではなかった。

 銀と黒のコントラストが美しいその姿は、作業場の無機質な空間で圧倒的な存在感を放っていた。


 エンジニアたちは息を呑み、静寂が広がった。


「こんなエンジン、見たことない……」

「もしかすると、これが次世代の主流になるかもしれない……」


 ざわめきが再び広がり、興奮が抑えきれなくなった。

 崎島が低い声で言った。


「試験は明日だ」


 その言葉に、重い決意が込められていた。


---


 翌日、HPRエンジンはクレーンで釣り上げられ、試験場へと運ばれた。

 青空の下、陽の光を浴びて鈍く輝くエンジン。

 その美しいフォルムは、まるで未来の航空技術がここに具現化したかのようだった。


 試験場の周囲には、観測用のカメラやセンサーが設置され、エンジニアたちが慌ただしく準備を進めている。 

 海風が吹き抜け、エンジンの表面を軽く撫でた。


 翔太はその光景を見ながら、静かに呟いた。


「……ここからが本番だな」


 涼子も隣で頷き、ARデバイスを外してポケットにしまった。


「そうね。アーベルの技術が本当に通用するかどうかが試される」


 崎島が近づき、厳しい表情で二人を見据えた。


「もし、まともに動かなければ、全部スクラップだ」


 彼の頑固さゆえの厳しい言葉。

 しかし、彼の目は輝き新しいエンジンに対する期待と好奇心が見え隠れしていた。


「……ええ、覚悟してます」


 翔太は力強く答え、崎島と目を合わせた。

 涼子も隣で小さく頷き、決意を固めた。


 試験場のスピーカーからカウントダウンの声が響き始めた。


「試験開始まで10分……9分59秒……」


 モニター室に集まったエンジニアたちが見守る中、HPRエンジンが静かにその時を待っていた。

 翔太の胸には緊張と興奮が混じり合い、涼子の手が無意識に拳を握る。

 アーベルの声が二人にだけ聞こえるデバイスから小さく響いた。


『成功率は99.8%です。安心してください』


 翔太は苦笑し、涼子に囁いた。


「0.2%が怖いんだよな。ソシャゲのガチャの確率とか見てると高く感じるよ」


「こんな時に冗談言ってる場合じゃないでしょ」


 涼子が笑顔で返し、二人は試験場を見上げた。


 いよいよ、HPRエンジンの実験が始まる。

 これは、翔太たちにとって宇宙開発への第一歩であり、世界へアーベルの技術が伝えられるその第一歩にもなる。

 冬の空の下、鳶が鳴いた。

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