その日、東京の空は薄い雲に覆われ、肌寒い空気に包まれていた。
しかし、東京都内の某カンファレンスホールは、静かな熱気に満ちていた。
会場の大理石の床は磨き上げられ、足音が響くたびに小さく反響した。
壁に掛けられた巨大なスクリーンはまだ暗いままで、観客席には研究者、技術者、環境省の官僚、そして鋭い目つきの報道陣がざわめきながら席を埋めていた。
空気には期待と緊張が混じり合い、まるで嵐の前の静けさのようだった。
控室の小さな鏡の前で、南川仁は深呼吸を繰り返していた。
黒いスーツに身を包み、胸元のネクタイを指先で軽く叩いて整える。
鏡に映る自分を見つめると、わずかに疲れた目尻と、決意に燃える瞳が交錯しているのが分かった。
額に浮かんだ汗をハンカチで拭い、彼は小さく呟いた。
「これは僕が未来を変える第一歩になるんだ」
その言葉は自分自身への誓いであり、長年抱えてきた想いの強さを再確認する儀式だった。
控室のドアがノックされ、翔太が顔を覗かせた。
胸元に南川除染技研と刺繍された作業着をカッターシャツの上に着込んでおり、会社の一員として上手く溶け込んでいた。
「仁さん、そろそろ時間です。会場、すごい熱気ですよ」
翔太の声には興奮が滲んでいた。
同様の格好をした涼子も隣から現れ、目を光らせながらタブレットを手にしていた。
「兄貴、報道陣の数は予想以上に集まってる。環境省の偉い人も最前列にいるし」
彼女が付け加えた。
仁は二人に小さく頷き、背筋を伸ばして控室を出た。
壇上へと続く通路を歩く仁の足音が、カンファレンスホールのざわめきに混じって響いた。
スポットライトが彼を照らし、会場が一瞬静まり返る。
マイクの前に立つと、仁は一呼吸置いて口を開いた。
「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます」
その声は低く、落ち着いており、マイクを通してもなお力強さを失わなかった。
数十人の視線が彼に集中する中、仁は言葉を続けた。
「私は、福島県双葉町に拠点を置く南川除染技術研究所の代表、南川仁です。私たちは、東日本大震災の際に発生した放射性物質による汚染問題を解決するため、新しい土壌除染技術を開発しました」
その瞬間、会場に微かなざわめきが広がった。
仁はリモコンを手に取り、背後のスクリーンに映像を映し出した。
画面に映ったのは、福島の試験場。
風にそよぐ枯れ草と、遠くに見える山々が背景に広がる中、黒い土嚢が積み上げられていた。
作業員がゴム手袋をはめた手で土を掬い、ガイガーカウンターを近づける。
デジタル画面に表示された数値は「0.1mSv/h」。観客席から小さなどよめきが漏れた。
放射能汚染された土壌としては、それでもなお高い数値だ。
だが、次のシーンで空気が変わった。
一見すると農作業用の脱穀機を思わせる装置が登場した。
鈍い金属光沢を放つその機械は、土嚢から投入された汚染土を内部で処理し、数分後に反対側の受け口から土を吐き出した。
土はさらさらと流れ、透明なプラスチック袋に収まっていく。
作業員が再びガイガーカウンターを手に持つと、観客席の全員が息を呑んだ。
測定音が鳴り響き、画面に表示された数値は「0.2μSv/h」。
自然界のバックグラウンド放射線レベルにほぼ等しい数値だった。
会場が一瞬にして騒然となった。
「……ありえない……!」
「本当にここまで下がるのか?」
会場から騒めく研究者の声が聞こえる。
報道陣は一斉にカメラのシャッターを切り始め、フラッシュの光が壇上の仁を白く照らした。
だが、仁は動じなかった。
彼は静かに頷き、マイクに口を近づけて説明を続けた。
「この技術は、特殊な吸着剤と高効率の分離プロセスを組み合わせたものです。従来の方法では除去しきれなかったセシウム137やストロンチウム90を、土壌からほぼ完全に分離することに成功しました。私たちはこれを『クリーンアース・プロセス』と名付けました」
仁の声には確信が宿っており、彼の言葉一つ一つが会場に重く響いた。
観客席の最前列に座る環境省の官僚は、メガネの奥で目を細めながらメモを取っていた。
隣に座る老研究者は、顎を撫でながらスクリーンを見つめ、信じられないといった表情を浮かべていた。
翔太と涼子は壇の脇で控えめに立ち、互いに目を合わせて小さく笑みを交わした。