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このお話には東日本大震災の描写が含まれています。
苦手な方はサッと読み飛ばして下さい。
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東京都内、某カンファレンスホール。
空調の微かな唸りが響く中、壇上に立つ南川仁は、会場を埋め尽くす報道陣や研究者たちの視線を一身に浴びていた。
スポットライトが彼を白く照らし、額に浮かんだ汗が光を反射している。
背後の巨大なスクリーンは、先ほどまでの発表で使用したスライドの最後のページを映し出していた——「クリーンアース・プロセス」と名付けられた新技術による除染処理の驚異的な成果。
汚染土壌の放射線量を限りなく低減し、再利用可能なレベルにまで戻すその技術は、緻密な科学理論と実証データによって裏付けられ、グラフと数値が冷徹な事実を物語っていた。
記者たちは次々と手を挙げ、矢継ぎ早に質問を投げかけていた。
「この装置の運用コストはどの程度か?」
中年記者が太い声で尋ねる。
「政府との協力体制は?」
別の女性記者が鋭く畳み掛ける。
「すでにこの技術を導入した自治体はあるのか?」
そう質問する若者は、ノートにペンを走らせながら目を輝かせていた。
フラッシュが瞬き、カメラのシャッター音が絶え間なく響く中、仁はひとつひとつの質問に冷静に答えていった。
彼の声は低く落ち着いており、マイクを通してもその確信は揺るがなかった。
そして、次の質問をしようと記者が手を挙げたその瞬間——会場の後方で、一人の年配の研究者が静かに立ち上がった。
ざわめきが一瞬止まり、視線が彼に集中した。
髪には白いものが混じり、深い皺が刻まれた顔には、長年の研究生活が刻み込んだ疲労と知性が滲んでいた。
古びたグレーのスーツは少し擦り切れ、襟元のネクタイは緩く結ばれている。
彼の手には分厚いノートが握られ、指の関節が白くなるほど力を込めていた。
その鋭い視線が壇上の仁を貫き、会場に重い沈黙をもたらした。
「……あなたは、なぜここまでして、この技術を公開するのですか?独占すれば莫大な富を手に入れることもできたはずだ」
その声は低く掠れていたが、言葉の一つ一つに重みが宿っていた。
まるで仁の魂に直接問いかけるような響きだった。
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仁は、一瞬だけ視線を伏せた。
目の前のマイクがぼやけ、会場が遠くに感じられた。
脳裏に浮かぶのは、あの日の記憶。2011年3月11日——激しい揺れが町を襲い、地面がうねるように揺れた。
木造の家が軋み、壁が崩れ、家具が倒れる音が耳をつんざいた。
両親の叫び声が聞こえ、窓の外では電柱が倒れ、火花が散っていた。
そして、続く津波がすべてを飲み込んだ。
黒い水が町を覆い、車や家を押し流し、仁の手を握る母の手が冷たく震えていた。
避難所で毛布に包まりながら、テレビの向こうで映し出される壊滅的な映像を呆然と見つめていた自分。
瓦礫に埋もれた故郷と、泣き崩れる近隣の人々の顔が焼き付いている。
やがて伝えられた原発事故のニュース。
双葉町は帰還困難区域として封鎖され、家族は町を離れたまま戻ることができなかった。
仲の良かった友人たちとも散り散りになり、仮設住宅での生活が続いた。
薄暗いプレハブの部屋で、母が遠くを見つめて呟いた言葉が耳に残っている。
「いつか戻れるよね」
だが、10年以上が経っても町の一部には未だバリケードが張られ、人の気配はほとんどなかった。
かつての田んぼは荒れ果て、風に揺れる雑草だけが寂しく佇んでいた。
仁は、壇上で無意識に拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、微かな痛みが現実へと彼を引き戻した。
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静まり返る会場で、仁はゆっくりと顔を上げた。スポットライトが彼の瞳に反射し、決意の光が宿っていた。
「……私は、双葉町の生まれです」
短い一言に、場内の空気が変わった。
報道陣の手が止まり、研究者たちのざわめきが消えた。
「震災から十年以上が経ちましたが、今もなお、多くの人が故郷に帰れないままです。私は、その現実を変えたい」
彼の声は静かだったが、抑えきれない感情が滲み、言葉が震えそうになるのを必死に堪えていた。
言葉を噛み締めるようにして、仁は続けた。
「この技術は、未来のためのものです」
彼は一歩前へ踏み出し、まっすぐにカメラを見据えた。
レンズの向こうにいる無数の視聴者たちに、故郷を失った少年の叫びを届けようとするかのように。
「だからこそ、一部の利益のためではなく、皆の手に届くものでなければならないのです。」
その言葉は、会場に重く響き、観客の胸に深く突き刺さった。
再び、静寂が支配する会場。
その中で——パンッ……。
どこからか、小さな拍手が聞こえた。
それは後列に座る若い女性研究者の手から始まった。
彼女の目には涙が浮かび、震える手で拍手を続けていた。
一人、また一人と拍手が広がり、やがてそれは場内全体を包み込む大きな歓声となった。
まるで春の風が吹き抜けるように、拍手はホールに響き渡り、仁の耳に届いた。
仁は静かに拳を握り、胸に込み上げる熱いものを抑えた。
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発表直後、ネット上では賛否両論が巻き起こった。
SNSのYのタイムラインには、「本当にこんな技術が実現できるのか?」「詐欺じゃないのか?」「科学的にありえない!」と懐疑的な声が溢れた。
一部の専門家やジャーナリストは、仁の技術を疑い、否定的な記事を書き立てた。
「データの捏造ではないか」と主張するブログや、「経済的に非現実的」と切り捨てるコラムが飛び交った。
中には「核戦争を助長する」など批判的な記事も目立った。
しかし、その流れはすぐに変わることになる。
実際に装置を導入した地域での除染成果が公表され始めたのだ。
映像に映るのは、福島県内のかつて放射線量が高かった土地。
草木も生えず、赤錆びた「立入禁止」の看板が風に揺れる荒涼とした風景。
そこに設置された装置が轟音を立てて動き出し、黒い土が吸い込まれていく。
処理後に排出された土をガイガーカウンターで計測すると——放射線量は安全基準値を大幅に下回っていた。
画面に映る数値「0.2μSv/h」が、事実を突きつけた。
この結果が新聞やテレビで報道されると、世間の評価は一変した。
「世界を救う企業」と見出しが週刊誌やニュースサイトに躍り、仁の名前は一夜にして知れ渡った。
映像には、処理された土で植えられた花壇で笑う子供たちの姿が映り、視聴者の涙を誘った。
世界中の企業や政府が仁の技術に注目し始め、問い合わせが殺到した。
アメリカの環境団体、ロシアの研究機関、さらには国連からも連絡が入り、仁の手元には分厚い書類の山が積み上がった。
しかし、それと同時に、不穏な動きも現れる。
双葉町の研究所の周囲に、見慣れない黒いセダンが止まるようになった。
夕暮れ時、車の窓から漏れるタバコの煙が薄暗い空に溶け、エンジンの低い唸りが静寂を破っていた。
黒いスーツを着た男たちが建屋の周囲をうろつき、双眼鏡でこちらの様子を伺っている姿が目撃された。
さらに、研究所のコンピュータが何者かのハッキングを受けていたことも発覚した。
幸い内部データは無事だったが、セキュリティを強化する必要に迫られ、仁たちの頭を悩ませるには十分な被害だった。
明らかに、誰かが技術を狙っている。
仁は研究所の窓辺に立ち、暗闇に沈む双葉町を見下ろしながら、無意識に奥歯を噛みしめた。
額に冷や汗が滲み、心臓が早鐘を打っていた。
これほどの技術が公表されれば、利益を独占しようとする者が現れるのは必然だった。
巨大企業の影か、政府の裏の手か、あるいは全く別の勢力か。
だが——仁は、決して引かない。
翔太、アーベルから託されたこの技術はただの技術ではない。
故郷を取り戻すための希望であり、家族や友人が再び笑い合える未来なのだから。
窓の外で風が唸り、バリケードの向こうに広がる荒れ地を揺らしていた。