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3-8 愚者の宴

 カチッ——USBメモリが差し込まれる音が、狭いアパートの一室に響いた。

 薄暗い部屋には、タバコの煙とビールの匂いが漂い、窓の外から漏れる街灯の光がカーテンの隙間を照らしている。

 近藤は椅子に深く座り込み、デスクの上に転がった缶ビールを片手に、パソコンの画面を睨んでいた。

 額には汗が滲み、作業着の襟元が乱れている。


「……ったく、遅ぇな」


 USBを差し込んでから、画面はフリーズしたまま動かない。

 進行中を示すアイコンがぐるぐると回り続け、近藤の苛立ちを煽る。


「クソが……!」


 彼はイライラしながらビールを一口飲み、机の上にドンと置いた。

 缶が揺れ、中身が少しこぼれてデスクに染みを作った。


 ようやく3分後、画面が切り替わった。


 フォルダが開かれ、そこには除染装置の設計図、詳細な回路図、動作レポート、製造手順書などがずらりと並んでいた。 

 ファイル名には専門的な文字列が連なり、素人でもデータの重厚さが一目で分かる。


「……っ!!」


 近藤の目がギラリと光った。


 これだ。


 これこそが、南川除染技研が莫大な金をかけて開発したであろう最先端技術。

 なぜ、高橋がこのデータを持っていたのかは謎だがもはやどうでもいい。


 かつての上司としての微かに残っていたプライドはとうに捨て去り、彼の頭には金と復讐の欲望だけが渦巻いていた。

 彼はマウスを握り、一つのファイルを開いた。

 設計図が画面に広がり、フィルターシステムや放射性物質の分解プロセスの詳細が緻密に記されている。

 チンプンカンプンだが、高度な技術が詰まっていることは明らかだった。


「こりゃ……本物だ……!」


 近藤の口元が自然と歪み、ニヤリと笑みが浮かんだ。

 この技術を売れば、数億……いや、それ以上の大金が転がり込む。

 自分で作ることはできないが、それを必要としている企業は山ほどある。


 特に、技術をコピーし、廉価版を大量生産する企業たち――あの連中なら、どんな手を使ってでも手に入れたがるはずだ。


「……ククッ、こりゃ人生逆転のチャンスだぜ」


 近藤は笑いながらビールをあおり、缶を握り潰してゴミ箱に放り投げた。

 彼の頭には、最初のターゲットが浮かんでいた。



---



 翌日、近藤は**「山寨龍科技(シャンザイロウ・テクノロジーズ)」**のオフィスへ向かった。


 横浜の雑居ビルに構えたその企業は、中国を本拠地に他国の技術を模倣し、大量生産で利益を上げる企業の一つだ。


 近藤は以前、とある下請企業の工場閉鎖の際にこの会社と縁を持ち、技術情報の売買を頻繁に行っているという裏の顔を知っていた。


 オフィスの会議室に通されると、そこには以前会ったことのあるチャン・ユーハオと数名の技術者たちが待っていた。


 チャンはスーツに身を包み、細いフレームの眼鏡越しに近藤を見据える。

 技術者たちはノートパソコンやタブレットを手に、すでに何かを準備している様子だ。


「お久しぶりですネ、近藤さん」


 チャンが流暢な日本語で挨拶し、薄い笑みを浮かべた。


「おう、久しぶりだな」


 近藤は椅子に腰掛けると、スーツのポケットからUSBメモリを取り出し、ひらひらとチャンに向かって見せびらかした。


「早速だが、こいつの中には今話題の南川除染技研が発表した除染装置の設計図が入ってる。チャンさん、このデータ、買わないか?」


 その一言に、チャンと技術者たちは一斉に視線を交わした。

 部屋の空気が微かに重くなり、技術者たちの目が鋭くなった。


「……なるほど。技術の売買と聞いていましたが……タイムリーで興味深い話ですネ」


 チャンは穏やかに言ったが、その目は獲物を値踏みするように光っていた。


「なら、話は早ぇ」


 近藤はニヤリと笑う。


「デスが、南川除染技研は技術を公開すると言ってます。貴方から買わなくとモ、特許の公開を待てば我々は困らないのですヨ」


「チャンさん、分かってて言ってるだろう。除染技術は使い方一つで兵器にもなる可能性を秘めてる技術だ。国の利権も絡んでくる。なんの制限も無しに完全公開される訳がねぇ」


 それを聞いたチャンは暫く考え、言葉を発した。


「でハ、データを確認させてもらえますカ?」


 チャンが静かに提案したが、その声には隠しきれない欲望が滲んでいた。


 近藤は薄く笑い、首を横に振った。


「データだけを抜き取って、俺は用済みとしてポイ捨てしようってか? さすがは悪名高い**山寨龍科技(シャンザイロウ・テクノロジーズ)**だな」


 その言葉に、チャンの口元がわずかに歪んだ。

 空気が一瞬、張り詰める。

 技術者たちが顔を見合わせ、微かな緊張が走る。


 だが、チャンはすぐに微笑み、手を広げて言った。


「それは誤解でス。我々は誠実さがモットーでスから」


「よく言うぜ。俺と知り合ったのだって、粗悪なコピー製品を市場にばら撒いて潰した会社を安値で買収しようとしてた時じゃねえか。信用なんてできるか」


 近藤は皮肉を込めて笑い、ノートパソコンを開いた。


「まずは俺のPCでデータを確認しろ。金を払ったらデータを渡す。それがフェアってもんだろ?」


 チャンは舌打ちしながらも渋々頷いた。

 近藤はUSBを差し込み、データを表示させた。


 画面に設計図が映し出され、チャンと数人の技術主任が身を乗り出して覗き込む。

 彼らは中国語で何やら議論を始め、指で画面をなぞりながら構造を確認した。


「……確かに、構造は理にかなっている」

「この方式なら、放射性物質の分解が可能かもしれない」

「しかし、本物かどうかの確証がない……」


 技術者たちは疑念を拭いきれず、眉を寄せていた。

 そこで近藤はテーブルを軽く叩き、話を切り出した。


「いいか? 俺はこの設計図を渡す代わりに、前金として1000万、装置が完成したら2億を要求する」


 チャンは少し考え込んだ後、眼鏡を指で押し上げ、渋々頷いた。


「……分かりましタ。その条件で契約しましょう」


 こうして、近藤は最初の取引に成功した。

 握手を交わす瞬間、チャンの手は冷たく、近藤の掌は汗で湿っていた。



---



 しかし、近藤はここで終わらなかった。


「どうせなら、もっと儲けてやる」


 そう考えた彼は、山寨龍科技だけでなく、同様の中国系企業や、東南アジアの技術系企業を次々と訪れ、同じ設計図を売り歩いた。

 USBをコピーし、飛行機や新幹線を乗り継いで各地を飛び回った。


 どの企業も「本物かどうか」に疑いを持ちつつも、その技術の魅力に抗うことが出来ずそれなりの金額を提示してきた。

 ある企業は500万の前金、別の企業は800万と追加報酬を約束し、近藤の銀行口座に金が積み上がっていった。


 結果――近藤は短期間で数千万もの現金を手に入れることに成功した。

 アパートに戻った彼は、床に散らばったビールの空き缶を蹴散らし、高級ウイスキーのボトルを開けた。


「ハハハ……! こりゃ、笑いが止まんねぇな!こんなボロい家からもオサラバだぜ!」


 グラスに注いだ琥珀色の液体を一気に飲み干し、もはや成功者気取りで酒をあおった。



---



 だが、その時点ではまだ知らなかった。

 アーベルによって細工された設計データが、企業に莫大な損害を与え、やがて自分の首を絞めることになることを。


 設計図には、微妙に改変された回路とプロセスが埋め込まれていた。

 表面上は完璧に見えるが、実際に製造を進めると効率が極端に落ち、放射性物質の分解に失敗する仕掛けだ。

 アーベルはそのデータを意図的に流出させ、近藤の手を通じて拡散させることで、技術の盗用を試みる企業に罠を仕掛けたのだ。


 近藤がウイスキーを飲みながら笑う背後で、アパートの窓に映る夜空には、冷たく光る星々が静かに見下ろしていた。


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