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3-11 深夜の妨害者

 打ち上げまであと一か月と二週間。


 サキシマ重工の組立棟では、静かな緊張が張り詰めていた。

 広大な工場内に響くのは、工具の金属音と作業員たちの低い呟きだけ。


 宇宙へと向かうロケットは、もはやただの機械ではない。

 夢の結晶であり、技術者たちの誇りそのものだった。


 巨大な機体がクレーンに吊られ、鈍い銀色が照明に反射して静かに輝いている。

 壁には設計図やスケジュール表が貼られ、床には工具や部品が整然と並んでいた。


 工場の片隅では、アーベルの提供したARグラスを装着した作業員たちが、精密な組み立てを進めていた。

 透明なレンズに映し出される指示は、部品の配置から締め付けトルクまでを完璧にガイドする。

 それに従う限り、ミスはゼロ。

 作業員の一人が、燃料ラインを接続しながら小声で呟いた。


「すげぇ……まるで未来の組み立て工場みたいだ」


「そうだな、私も感心しっぱなしだよ」


 崎島健吾——サキシマ重工の技術責任者が、彼の背後から静かに言った。

 彼は作業着の上にコートを羽織り、鋭い目で作業を見守っている。


「たが、これは彼らによって我々に提示された未来だ。我々はこれを目指して努力し、追いつかねばならない」


 作業員が振り返り、崎島の言葉に頷く。

 崎島はさらに続けた。


「だから……君達は少しでも彼らの技術を体験して、それに追いつけるようなアイデアを生み出してほしい。私はそれを望んでいるのさ」


 その声には、重い期待と情熱が込められていた。

 作業員たちは黙って頷き、再び作業に集中した。



---



 時刻は深夜二時。


 組立棟は、作業員たちが去り、静寂に包まれていた。

 照明は最低限に落とされ、ロケットのシルエットが闇に浮かんでいる。

 だが、その静けさの中で、一つの小さな光が揺れた。


 田中健は、ヘッドライトの光を頼りに歩いていた。

 作業着に身を包み、顔には汗と緊張が滲んでいる。

 彼の手には、スパナとOリング——燃料タンクとエンジンを繋ぐパッキンにすり替えて仕込むための欠陥部品が握られていた。

 目的はただ一つ——燃料漏れを引き起こし、ロケットを破壊することだった。


(……このパッキンを仕込めば、いずれ燃料は漏れ出す。打ち上げの中止、最悪は異常燃焼して空中でドカン、だ)


 出来れば、目立たぬ形で計画を失敗させたかった。

 打ち上げが中止され、日本の民間宇宙開発が頓挫すればいい。

 田中は慎重にナットを緩め、工具の金属音が小さく響く。

 額に汗が流れ、ヘッドライトの光がロケットの表面で揺れた。


 だが——


「田中くん、何してるのかね」


 その瞬間——組立棟の照明が一斉に点灯した。


 眩い光が闇を切り裂き、田中は凍りついた。

 工具を握った手が震え、Oリングが床に落ちて転がる音が響く。


 そこには、スマホを片手に持つ崎島健吾の姿があった。

 彼の目は、まっすぐ田中を捉え、抑えきれない怒りが滲んでいた。


「もう一度聞こう……田中、何をしている」


 崎島の声は低く、冷たく、まるで金属が擦れるような鋭さがあった。

 田中はゆっくりと立ち上がり、工具を握ったまま、ため息をつくように言った。


「見ての通りです。深夜に建屋に忍び込んでロケットに細工をしている」


 その声には焦りや動揺はなく、むしろ見つかったことをどこか安堵しているような響きさえあった。

 崎島の眉がピクリと動き、怒りがさらに深まる。


「ふざけるな……!」


 田中は静かに崎島を見返し、淡々と続けた。


「崎島さん、どうして自分がここにいるって分かったんです?誰もいない、誰にも見つからないタイミングだったはずだ」


 崎島はスマホの画面を掲げた。

 そこには——田中が組立棟に侵入する映像、そして彼が工具を使って細工しようとする姿が鮮明に映し出されていた。

 監視カメラのタイムスタンプが刻一刻と進み、彼の行動が全て記録されている。


「……アーベル君から、‘内部に不穏な行動をする者がいる’と報告を受けてな」


 崎島の声が震え、怒りと失望が混じる。


「なぜだ、田中。なぜこんなことを?」


「なぜって……仕事ですから」


 田中の返答は冷たく、感情を欠いていた。


「‘仕事’?」


 崎島の声がさらに硬くなり、握ったスマホが軋む音を立てた。


「君は誰の指示で動いている? 何が目的でこんなことを?」


「私は、スペースY社の人間です」


「……それがどうした? いや、まさか……」


 崎島の表情が歪み、目を見開いた。


 田中は皮肉げに笑う。


「日本の独自技術が宇宙開発の主導権を握るのを阻止する——それが、スペースY社から私の受けた任務でした」


 彼の目は虚ろで、技術者としての情熱が消え、ただ任務を遂行する機械のような冷たさだけが残っていた。


「つまり、俺は最初から君たちの仲間じゃなかったんですよ」


 その時——建屋の奥から、足音が響いた。

 サキシマ重工の作業員たちが、警備員を伴って現れた。

 懐中電灯の光が田中を照らし、警備員の手には無線機が握られている。

 田中は彼らを一瞥し、静かに息を吐いた。


「……バレたのは運が悪かった」


 しかし、次の瞬間、彼はスマホを取り出し、高く掲げた。

 画面に映るのは——ロケットを吊るしているクレーンの遠隔操作アプリ。

 クレーンのロック解除ボタンが赤く点滅しいつでも操作できる状態になっている。


「これは、このロケットを吊っているクレーンのロックを外すシステムです」


「……!?」


 崎島の顔が青ざめ、作業員たちが息を呑んだ。


「ボタンを押せば、ロケットは落下する」


 田中の声は静かで、どこか悲しげだった。


 一瞬の沈黙が流れ、崎島が鋭く睨む。


「お前……!」


「……これでも悪党としての矜持があるんです。せめてこのロケットだけは破壊する。貴方たちには、これを再建する予算も時間もない……これで全て終わりです」


 田中の唇が歪み、その目には狂気が宿っていた。

 指がボタンに近づき、クレーンのワイヤーが軋む音が微かに聞こえる。


「待て、田中! 何故だ、何故そこまでするんだ!」


 崎島が怒声を上げ、前に踏み出した。


 田中は悲しそうに笑った。


「日本の民間宇宙開発が成功するのを、スペースYは認めない」


「俺は……ただの駒なんですよ、崎島さん」


 その声には、どこか諦めと悔恨が混じっていた。

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