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3-12 暴かれた真実

 田中健は、かつてNASAの未来を担うエンジニアだった。

 学生時代からロケット燃料の効率化に取り組み、次世代の推進システム開発に貢献していた。


 燃焼効率を1%向上させることが、宇宙開発においてどれほどの意義を持つのか——彼は知っていたし、理解していた。

 宇宙は人類のフロンティアだ。国境を越え、全人類のために開拓すべきものだと信じていた。

 大学の研究室で徹夜を重ね、ノートに描いたスケッチが現実のロケットに反映されるたび、彼の胸は高鳴った。


 だが、その信念は無残に踏みにじられた。


「君がデータを改ざんしたんだろう?」


 突然の告発だった。

 NASAの内部監査で、不正データの証拠が発見された。

 彼の署名がある書類、改ざんされた解析結果——すべてが田中を犯人に仕立て上げる証拠として揃えられていた。

 会議室の冷たいテーブルに書類が叩きつけられ、上司や同僚の視線が彼を刺した。


——何かの間違いだ。


 必死に訴えたが、誰も信じてくれなかった。

 それどころか、かつての共同研究者だった男が冷たく告げた。


「証拠は揃っている。潔く認めろ」


 その言葉は氷のように冷たく、田中の心を切り裂いた。

 失意の中、NASAを去った。

 どれだけ否定しても、彼には何も証明できなかった。

 研究者としてのキャリアは終わり、大学時代から積み上げてきたものが一夜にして崩れ去った。


 そんな彼に手を差し伸べたのが、スペースY社だった。


「NASAは君を見捨てたが、私たちは違う」


 そう言ってくれたのが、スペースY社のディレクター、アレックスだった。

 スーツに身を包んだその男は、穏やかな笑顔で田中の肩を叩き、「君の才能を活かせる場所がある」と約束した。


 恩義があった。


 だから——どんな手段でも、その恩に報いると決めた。

 そうして彼は、サキシマ重工への産業スパイとなった。



---



「崎島さん……すみません……」


 田中は震える声で呟きながら、スマホを操作しようとした。

 組立棟の照明が彼を照らし、クレーンの遠隔操作アプリの画面が点滅している。


 指がボタンに触れる瞬間——画面がブラックアウトした。


「……? なんだ、これ……?」


 何度操作しても、スマホは反応しない。

 真っ暗な画面に、突然、デフォルメされた黒猫の画像が浮かび上がる。

 田中の目が困惑に見開かれ、手が震えた。


 そして——


「これ以上はさせません」


 スピーカーから静かな声が響いた。

 アーベルの声だった。

 低く落ち着いたトーンには、どこか不気味な威圧感が漂っている。


「誰だ!? 何が起こってる!?」


 田中はパニックに陥り、スマホを必死に操作しようとした。

 だが、それは完全に制御を奪われ、画面には黒猫が尻尾を振るアニメーションが繰り返されるだけだった。


 崎島がゆっくりと歩み寄る。

 コートの裾が揺れ、手が微かに震えていた。


「田中君、君の過去は知っている」


 その声は怒りを抑えつつも、どこか悲しげだった。


「NASAでの不正告発事件の真相もね。……実は2週間前から君の正体には気付いていたんだ。ただ、君が妨害工作をするような人だと、私には信じられなかった…いや信じたくはなかったんだ」


「……真相?」


 田中の声が掠れ、工具が床に落ちる音が響いた。


「これだよ」


 崎島は懐から一枚の書類を取り出した。

 折り目がついた紙には、細かい文字と通信ログが印刷されている。


「君のNASAでのデータ改ざん疑惑——仕組んだのはスペースY社の人間だ」


 書類には、アレックスがNASA内部のスパイと交わした通信履歴が記されていた。

 田中を陥れ、スペースY社へ取り込むための計画——日付、メッセージの内容、送金の記録までが詳細に列挙されている。

 田中の手が震え、書類を見つめる目が揺れた。


「こんなこと……どうやって……?」


「アーベル君はこういうことも得意らしいんだ。まるでSF映画のスパイみたいにな」


 崎島は苦笑し、アーベルの介入を軽く笑いものにしたが、その目は真剣だった。


「だから君は……こんなことをする必要はない。彼らへの忠義なんてないはずだ」


 田中の手からスマホが滑り落ち、カチン、と床に転がった。

 膝をつき、俯いた彼の肩が小さく震え、涙がぽたぽたとコンクリートに落ちた。


 かつての夢、裏切られた信念、そして自ら選んだ破滅への道——全てが彼の胸を押し潰した。


「俺は……ただ……」


 言葉にならない呻きが漏れ、田中の体が崩れるように縮こまった。


 その瞬間、警備員が田中を取り押さえた。

 作業員たちが周囲を囲み、無線機のノイズが響く中、彼は抵抗せずに連れ去られた。



---



 アメリカ・スペースY社本社。


 ディレクターのアレックスは、ガラス張りのオフィスで優雅にコーヒーを飲んでいた。

 革張りの椅子に座り、窓の外に広がるカリフォルニアの雄大な景色を見下ろす。

 今頃、田中が妨害工作を終えた頃だろうと、彼は満足げにカップを傾けた。


 その時——ピロン、と通知音が鳴る。


「やっと来たか……」


 アレックスは微笑み、デスクのタブレットを手に取った。

 だが、それは田中からではなかった。

 見たことのない宛先からのメールだった。


(おかしい……社内セキュリティで不明な宛先からのメールは届かないはず……)


 疑念を抱きながら、アレックスはメールを開いた。




件名:『私は見ている』


本文:「これ以上、妨害工作するな」




——たったそれだけ。


 だが、そこには添付ファイルがついていた。

 アレックスの眉が寄り、指が一瞬躊躇した。


「……何だこれは?」


 恐る恐る開くと——そこには、アレックスが行ってきた妨害工作の証拠が記されていた。

 NASAへのスパイ工作、田中の陥れ方、サキシマ重工への指示——暗号化された通信ログ、音声ファイル、銀行取引の詳細までが完璧に揃っている。

 アレックスの手が震え、カップがデスクに倒れてコーヒーがこぼれた。


「……一体、誰が……?」


 画面の端で、黒猫のアイコンが小さく揺れていた。

 アレックスは背筋が凍りつき、部屋の空気が急に冷たく感じられた。


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