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宙と美里の彗星防衛戦記
宙と美里の彗星防衛戦記
乾為天女
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年07月24日
公開日
1.5万字
連載中
 火曜の昼下がり、渋谷駅ホームで講義帰りの大学生・宙は、突然現れた白い裂け目に呑み込まれ、王国アルスター郊外の遺跡に転移する。現地で出会った案内人の少女・美里は「彗星が五十日後に王都を滅ぼす」という不吉な預言を告げ、回避の鍵として〈失われた十二史書〉の捜索協力を求める。宙は忍耐力を欠く自分の弱点を自覚しつつも、他者に寛大であろうと決意し、二人で旅に出る。いつも楽しむ心を忘れない美里の導きのもと、彼らは配慮上手な商人・慶、歴史に精通するももこ、綿密な計画を立てる戦術家・裕紀、語り部のゆかりら個性的な仲間と出会い、灰色の森の魔獣や帝国の罠を乗り越えながら巻物を集めていく。  物語の舞台は、空を駆ける浮島、地底湖に沈む図書庫、霧深い沼地、天空要塞ソルマキアなど多彩。仲間はそれぞれ信念と欠点を抱え、時に衝突しながらも、宙の寛大さと美里の巧みな誘導で結束を強める。一方、彗星崇拝を掲げる教団が史書奪取と王位簒奪を狙い、宰相や王家内にも暗躍の影が差す。迫る彗星の尾が夜ごと大きさを増し、王都は恐慌寸前。宙は帰還用転移陣と王国再建顧問の地位という二つの未来を提示されるが、日本での平凡な日常と仲間たちの明日を天秤にかけ、迷いを深める。  決戦前夜、首都地下で始動した教団の降臨儀式を止めるため、宙たちは孤児兵を抱える首領と対峙。信念を貫く医師・陽香が身を挺して子どもたちを庇い、書くことで心情を綴る愛里の記録が首領の過去を暴く。激闘の末、十二史書が放つ光条が彗星を裂き、王都を覆う防壁となる。救われた空の下、宙は「忍耐と寛大さで築く未来」を選び、帰還権を捨てて異世界研究院の初代院長に就任。彗星残光が石畳を照らす日曜の夕暮れ、宙は美里と微笑を交わし、新時代の開幕を見つめる──。

第01話 渋谷、火曜の光裂

 火曜の午後一時。曇り空の渋谷駅ホームは、昼休み帰りの人々で軽いざわめきに包まれていた。

  宙は改札を抜けてエスカレーターを降りながら、仕事の愚痴を反芻していた。「今日も上司に耐えられず、思わず口答えしてしまった……」と、少し後悔の色を滲ませた表情で。忍耐力が足りないと周囲に言われても、どうしても腹が立つ時は立つ。

  そのとき、視界の端で白い閃光が走った。駅構内の広告パネルが爆発したかと思ったが、違う。足元のタイルが光を放ち、空間がねじ曲がっているように見えた。

  「は?」宙は立ち止まる間もなく、足元の裂け目に吸い込まれた。周囲の人々は悲鳴を上げたが、その声は一瞬で遠ざかる。

  気づけば、湿った土と苔の匂いに満ちた広大な石造遺跡の中に立っていた。太陽の光が差し込み、薄暗い洞窟の出口が正面に見える。都会の音は一切なく、風の音と鳥の鳴き声だけが聞こえる。

  「……どこだ、ここ?」思わず声が漏れた。

  背後で足音がした。振り向くと、金髪の女性が立っていた。動きやすい旅装をまとい、腰には剣。見知らぬ文化の香りが漂う。

  彼女は軽く手を振り、明るく微笑んだ。「驚いたでしょう? ようこそアルスター王国へ。私は美里。あなたを案内する者よ」

  唐突すぎる紹介に宙は口を開けたまま固まったが、美里は気にも留めず手を取った。

  「立っていられる? じゃあ行きましょう、ここは長居すると危ないの」

  遺跡の外に出ると、一面に草原が広がり、遠方には城壁を持つ大都市が見えた。石畳の道に荷馬車が行き交い、甲冑を着た兵士たちが巡回している。宙は混乱を隠せない。

  「待って、なんで俺はここに……」

  美里は笑って肩を軽く叩いた。「説明はあとで。今はついてきて!」

  その声色は不思議なほど信頼感を誘い、宙はつい頷いてしまった。

  走りながら宙は考える。「これは夢だろうか? でも風の冷たさも、足元の石の感触もリアルすぎる。」

  胸の奥に広がるのは、不安と――なぜか少しの期待だった。


 美里は走りながらも、周囲への気配りを忘れなかった。背後を振り返り、宙が転ばないように歩幅を合わせる。

  「あなた、名前は?」

  「……宙。普通の会社員だよ」

  「ふーん、普通の会社員ね。じゃあこの状況は非日常ってことだ」

  軽やかな口調で美里は笑う。まるでこの事態を楽しんでいるかのようだ。

  丘を越えた先、街道脇の木陰に停められた馬車が見えた。御者台には褐色の肌の青年が座り、商人風の服装をしている。彼は慶と名乗り、気さくに手を挙げた。

  「そっちの男は新人か? 急いで乗れ、門限に間に合わなくなる」

  宙は意味がわからないまま荷台に押し込まれた。

  馬車は軽快に走り出し、遠ざかる遺跡を眺めながら宙は問いをぶつけた。

  「ここ……アルスターってどこなんだ? 俺は渋谷にいたはずなんだよ」

  美里は軽く肩をすくめた。「世界が違うの。あなたは“光裂”に選ばれた転移者。詳しい理屈は専門家じゃないとわからないけど」

  宙は額に手を当てて深く息を吐いた。忍耐力が足りない自覚はあったが、この現実はさすがに受け止め切れない。

  「……戻れるんだろうな?」

  美里は視線を逸らしつつも笑顔を崩さなかった。「まずは生き延びることが先決。それに、あなたは“特別な体質”みたいだし」

  夕暮れが近づくころ、馬車は王都南門へ到着した。石造りの巨大な門と、その周囲を行き交う人々の数に宙は息を呑む。見たことのない装備の兵士たち、異なる種族の商人、そして遠くで奏でられる笛の音。

  「ここが……アルスター王都……」

  現実感のない風景に足がすくんだが、美里は笑って背を押した。

  「さあ、これからあなたの物語が始まるわ。覚悟はいい?」

  宙は無言でうなずき、再び歩き出した。

  そのとき、街の中心から鐘の音が響いた。空を見上げた宙の視線の先、雲間を裂いて光が走る。美里は短くつぶやいた。

  「……“大罪の彗星”まで、あと百日」

  宙の胸に、得体の知れない不安が広がった。

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