翌朝、王都南門は夜明けと同時に活気を帯びていた。商隊が荷を積み下ろし、兵士たちが列を組んで訓練を行っている。昨日の衝撃をまだ消化しきれない宙は、門前の石畳を見つめたまま立ち尽くしていた。
「昨日のことは夢じゃなかったんだな……」
呟く宙に、美里は軽やかに近寄り、肩を叩いた。
「立ち止まってる場合じゃない。王都に入るには身分証が必要よ」
「え、パスポートみたいな?」
「そうね。けどあなたの世界の身分証はここじゃ無効だから、こっちで作るの」
美里は腰のポーチから小さな布袋を取り出し、銀色の貨幣を見せた。「案内料として、ちょっとだけ協力してもらえる?」
宙は困惑した表情を浮かべつつも頷く。「まあ……仕方ないな」
美里はにっこり笑い、彼の手を引いて門前の路地裏にある木製の小屋へ向かった。そこには昨日出会った商人慶が待っており、手際よく書類や印章を並べていた。
「おー、転移者か。言語理解できてるな、珍しい体質だ」
慶は書類を広げつつ感心したように宙を見やった。宙は耳を疑う。
「え、なんで言葉が通じるんだ?」
美里が微笑む。「あなた、アルスター語を自然に理解できてる。転移者の中でも珍しいタイプね」
宙は戸惑いつつも署名を済ませた。
「じゃあ、この証明書で当面は問題ないわ」
門をくぐると、王都の景色が広がった。白壁の建物が立ち並び、香辛料の匂いが漂う市場では早くも商人の呼び声が響いている。宙は目を見開き、深呼吸した。
「すごい……まるでゲームの中だな」
「ゲームじゃない、現実よ」美里は笑い、手を広げた。「さあ、王都を案内するわ!」
その瞬間、遠くの時計塔が低く鳴り響いた。市民がざわめき、誰かが空を指差す。宙も思わず視線を向けた。
雲を裂くように、昨日と同じ光が一瞬だけ走ったのだ。美里の表情が硬くなる。
「……彗星が、本当に来るんだわ」
宙は美里の横顔を見つめた。笑顔は消え、目だけが真剣さを帯びている。
「なあ、美里……あの光はなんなんだ?」
「“大罪の彗星”よ。百日後にこの王国を滅ぼすと言われている存在」
淡々と告げられた言葉に宙は息をのんだ。
美里は歩を進めながら続けた。「だからこそ、あなたの存在は重要なの。転移者には、この世界を救う力を持つ者がいるっていう古い伝承があるのよ」
「俺が? いやいや、無理だって……ただの会社員だぞ?」
自嘲気味に笑う宙の肩を、美里は軽く叩いた。「大丈夫、私が導くから」
その声は確信に満ちており、宙は返す言葉を失った。
市場の中央を抜け、二人は宿を兼ねた商館「風見亭」に到着した。扉を開けると、昨日の商人慶が笑みを浮かべて迎えた。
「よう、初日から無事で何よりだな。身分証はちゃんと使えたか?」
宙はうなずく。「ああ、ありがとう……でも高かったな」
慶は肩をすくめた。「安全には金がかかるってもんだ」
夕刻、街灯に火がともり始めた頃、宙は宿の窓から王都を見下ろした。人々は笑い、働き、暮らしている。その光景は懐かしい渋谷とは違うのに、どこか似ている。
「この世界……滅ぶなんて、嘘みたいだな」
呟く宙に、美里は穏やかな声で言った。「だから、私たちは動くのよ。明日は仲間に会わせるわ」
宙は静かに息を吐き、ようやく決意を固めた。
――ここで生き抜く。そして、この世界を知る。