王都壁外のキャンプ地。夜風に揺れる松明の明かりの下、宙は見慣れない大きな天幕に足を踏み入れた。
そこには、短髪で落ち着いた雰囲気の青年が地図を広げて待っていた。彼の名前は裕紀。計画を立てることが好きで、自分の限界を冷静に把握しているタイプだと美里が紹介していた人物だった。
「ようこそ。君が転移者の宙か」
低く落ち着いた声に、宙は少し緊張しながら返事をした。
「はい……でも俺、そんなに役に立てるかどうか……」
裕紀は口元だけで微笑み、指で地図を示した。
「役割はあるさ。むしろ無理をしないことが君の仕事だ」
地図には灰色の森への道筋と複数の赤い印が書かれていた。
「ここが魔獣の出没地帯。そしてここが安全な野営地点だ。明日はまずこのルートで進む。危険を回避することが最優先だ」
裕紀の説明は淡々としていたが、聞いているうちに宙はだんだん退屈になっていく。
「なんか、細かいな……」
美里が苦笑しながら肘で軽くつつく。「聞きなさい。命がかかってるのよ」
裕紀はさらに資料をめくり、危険時の退避ルートや合図まで説明した。宙は忍耐力の欠如を自覚しつつも、なんとか最後まで聞き終えた。
「ふう……これだけ準備すれば大丈夫なのか?」
裕紀はうなずいた。「大丈夫とは言えないが、確率は上がる」
会議が終わり、天幕を出ると空には満天の星が広がっていた。
宙はつぶやく。「……俺、なんでここにいるんだろ」
美里は笑って肩をたたいた。「考えるより、まず一歩踏み出しましょう」
キャンプ地の中央に設置された焚き火の周りでは、仲間たちがそれぞれの役割をこなしていた。
慶は商隊から仕入れた物資を点検し、ももこは過去の文献を片手にルートの危険度を再確認している。陽香は簡易診療所で応急処置の準備をし、ライダーは無言で武器の整備を続けていた。
そんな中、裕紀は再び地図を取り出して宙の前に広げた。
「君の担当は、この警戒区域の見張りだ。慣れないかもしれないが、合図さえ覚えておけば大丈夫」
宙は眉をひそめつつもうなずいた。「……了解。でも、なんか窮屈だな」
「窮屈なくらいでちょうどいい」裕紀は即答した。
会議の最後に裕紀は全員を集めた。「これは遊びじゃない。俺たちの目的は史書の確保と全員の生還だ。危険を冒すな、判断に迷ったら退け」
その言葉は冷静だが重みがあり、宙は思わず背筋を伸ばした。
夜空を見上げると、遠くにぼんやりと光る彗星の尾が見えた。
美里が小さく呟く。「……時間は少ない。でも、あなたはこの世界に来た意味をきっと見つけられる」
宙は何も言えず、ただ拳を握りしめた。
こうして、灰色の森への旅路の準備は整った。
――そして宙の胸の奥では、初めて“逃げない”という決意が芽生え始めていた。