『メアリス様、お喜び下さい。
あなたには魔術の才能が有ります。それもとても優秀な才能がです』
我が国では7歳を迎えると、その年の春に魔術を扱えるかの検査が義務付けられている。
これは魔術を扱うのに才能の有無がはっきりと分かれており、魔術が戦争に何かと有用な手段であり、アルビオン帝国が軍事国家故の理由だろう。
但し、被験者に告げられるのは才能が有るか、無いかのふわっとした結果だけ。
正確な詳細は検査を行った担当の者しか知らず、記録もされない。それが本人と親に伝えられるのは極めて優秀な才能を有していた場合のみ。
その理由は簡単。魔術を学び、それを磨くのは多額の費用がかかるからだ。
極めて優秀な才能を有しているなら、その費用を国が無償で提供してくれる代わりに将来の国家奉仕が義務付けられている。
だから、そう検査官が告げてくれたのは侯爵家の令嬢に対するお世辞だったかも知れない。
だが、褒められて嬉しくない子供は居ない。私は大はしゃぎして喜び、私に甘い父に至っては『将来は宮廷魔術師に違いない!』と私以上に大喜びして、若いながらも高名な魔術師を教師に就けてくれた。
ところが、私が魔術を熱心に学んだのは最初の三日だけ。
一週間が経った頃には言い渡された宿題をサボるようになり、二週間が経った頃には授業そのものをサボり始め、一ヶ月が経った頃には学ぶ姿勢をちっとも見せない私に呆れ果てた先生の方が授業に来なくなり、魔術との縁はそれっきり。
なにしろ、魔術とは技術。それを用いるのに才能と高度な知識を必要とする学問。
屋敷の書庫に残っていた当時の教本をざっくりと読んでみたが、日本の学力段階でいうなら中学生レベルか、高校入試レベルくらいだろうか。
それを7歳の子供にいきなり学ばせようというのだから無理があるし、先生の教え方も良くなかった。
思い返せば、いつも『何故、解らない!』と、『何故、出来ない!』と怒っている印象しか残っていない。
何を学ぶにしろ、それに対する興味は才能以前に重要な要素。
その大きさ次第で意欲も違ってくれば、学び識る楽しさも違ってくる。
果たして、教師から叱られてばかりの生徒が学問に対する興味を持ち続けていられるだろうか。嘗ての私は悪くないと思う。
しかし、今は違う。興味がもりもりの山盛り。
ヒルダの魔術を目の当たりにしてから、わくわくの興奮が止まらなかった。
「さて……。もう良いかな?」
明かりを灯さず、ベッドの中でずっと静かに待っていた。
数刻前、今夜も一緒にと無言で訴えてくるヒルダの切なそうな眼差しを無視して待っていた。
ヒルダの代わりに寝ず番を務め、この寝室と繋がる自室で控えるメイドさんが寝息を立てるのを今か今かと待っていた。
ちなみに、寝ず番といってもその名の通りに朝まで夜通しで起きている必要は無い。
一応、私の警護も役目に含んでいるが、重要なのは私が水を欲したり、用を足したくなった時などに手をすぐ貸せるかどうか。
要は必要な時に目がすぐ醒ませるなら問題は無い。
職務中の為、メイド服は脱げなくてもそこに居るなら何をするのも自由。毛布をかけて、三人掛けのソファーをベッド代わりにして寝るのを当家では許されている。
何故、この時を待っていたかと言えば、それはやはり魔術である。
魔術における最初の第一歩として、教本にはこう書かれていた。己の内なる魔力を感じよと。
そのワードを読んだ時の正直な感想は煮え滾るような怒り。
説明がふわっとし過ぎている。思わず教本を床へ叩きつけて、著者を『アホか!』と罵ってしまった。
魔術を嘗て学んだ際、それが出来た記憶は有るが、所詮は興味が失せた遠い思い出である。その感覚を思い出せなかった。
魔術を実際に使ってみせたヒルダも同様だった。
解説を何度も求めたが、表現が変わるだけの漠然としたものばかり。私はそこから進めなくなった。
だが、夕飯をそぞろに摂っている最中、ふと閃くものがあった。
それと言うのも前世の武術の師である祖父から流派の極意として似たような教えを学んでいたからだ。
もしかしたら、魔力とは地球の中国思想や道教、漢方医学などの言うところの『気』にあたるものではなかろうかと。
もっとも、当時はその存在に半信半疑だったし、教えてくれた祖父もまた半信半疑だった。
その概念と鍛錬方法、運用方法をおまじない程度の認識しか持っていなかったが、この世界は地球よりソレを感じやすい世界であり、そうであるが故に科学より魔術が発達してきたのではないかと考えた。
しかし、祖父から学んだ極意を試すには一人っきりになる必要があった。
極意故に門外不出。それも理由の一つだが、この極意は真夜中の静かな環境で行うと効果を得やすいとされていたからだ。
「もうすぐ夏ってのは好条件だよな」
まずはベッドから下りて、引っ剥がした布団を床に置く。
次に薄暗闇でも桜色のぽっちが透けて見えるネグリジェを脱ぎ捨てて、パンツも脱ぎ捨てる。
余談だが、ヒルダは脱がしたがり屋さんだったらしい。
夜をより楽しもうとセクシーな下着を熱心に薦めてきたのを幸いにして、私は全裸で就寝するポリシーを三日前に捨てている。
昼間はまだしも、装着感にまだ慣れないブラジャーは着けないが、やはり私は全裸より何かを着ている方が安心するし、ぐっすりと眠れるような気がする。
続いて、ナイトランプ代わりの採光と換気の為に開けている二つの窓を閉めて、カーテンも閉めたら準備完了。
目がまだ慣れない真っ暗闇の中、経験を頼りにベッドまで戻り、その中央に腰を下ろしたら、あとは『座禅』である。
左腿の上に右足を乗せた後、右腿の上にも左足を乗せて、軽く開いた両手の親指と人差指で輪を作り、それをそれぞれ膝の上に乗せる。
身体を前後左右に揺らして、バランスが最も収まる位置を定めたら、肩の力を抜いて、背筋を伸ばす。顎を引き、口を軽く結び、目は半眼にして、その視線を1メートルほど先に落としたら完成だ。
この極意を知った時、『えっ!? それだけ?』と驚いたが、これが馬鹿に出来ない。
音を絶ち、光を絶ち、空気の動きすら絶つ三要素はどれも集中力を増す効果が有り、全裸となる事で世界との一体化を目指して、常日頃は感じにくい『気』を感じやすくさせるらしい。
深呼吸を一回。息を吐き出す際、腹で吐き出すのを意識する。
その後は自然に任せての呼吸を繰り返しながら雑念を捨てて、心を空っぽにしてゆく。
「えっ!?」
なんと効果はすぐに現れた。
目が暗さに慣れてゆき、暗闇が薄まった頃、へその下『丹田』と呼ばれる場所に力を感じた。