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第2話 闇夜を切り裂く稲妻のように

 公爵令嬢エレノアは、ジェラルド王子の背後にススッと身を隠す。


 ざわっ ざわっ……


 マスカレードマスクで目元を隠した謎の美女の登場に、場内は騒然となった。


「冗談だろう……君が、あの大人しいデイジーだとは、とても……」


「あら、殿下。大人しくて、単純で、『便利な無利息融資』を持ってこないと、別人に見えますか?」


 その声は、凍てついた風のように、パーティー会場を切り裂く。


「ですが、それは私の一面でしかありませんのよ。殿下ってば、本当に人を見る目がおありにならないこと。油断に油断を重ねて頂いて、心から感謝申し上げますわ」


「っ……何が言いたい! 要求は何だ!」


「要求?」


 マーガレットと名乗った女は、首をかしげてみせた。


「あら。私はただ、愚かな王子様と卑しい泥棒猫に、最後のご挨拶をしに参っただけですのよ」


 そう言うや否や、彼女はテーブルの上のクリームパイを手に取ると、問答無用で、ジェラルドの顔面めがけて――


 ベチャッ!


「ぶはっ……!」


「爵位が低くて、大人しそうな女だから、どうせ言い返してこないだろうと? 用済みだから、捨てようと? ええ、ええ、分かりますわ。でもせめて、『利子だけたんまり稼いで、満足できました』と、面と向かって言って頂きたかったですわ!」


 クリームパイをグリグリと塗りたくられて、顔を真っ白にされたジェラルドが、目も開けられずにひたすら狼狽うろたええる中、彼女は次にグラスへ手を伸ばす。


 バシャーッ!


 グラスを満たしていた赤いワインは、真っ白なドレスに身を包んだエレノアを、頭から濡らした。


「な、何をするのよ! 私を誰だと思って――」


「まぁ、お気の毒ね」


 マーガレットは冷たく笑う。


「見かけ倒しの公爵令嬢が、穀潰しの第四王子殿下の隣に立って、もう、王妃様にでもなった気になってらっしゃるなんて。まるで、猿に宝石を持たせたようなものですわ」


 エレノアの顔が、真っ赤になる。


「いい加減にしなさいよ!」


「そちらこそ、お黙りなさい」


 マーガレットの声に、鋭い怒気が混じる。


「貴女のような令嬢、私は何人も見てきましたわ。中身が空っぽの女が、自分のことを『血筋がいいから価値がある』と思い込んで、王侯貴族をたぶらかし、国庫を浪費する寄生虫となる。亡国のもとよ。笑わせないで」


「っ、無礼にも程が――」


「無礼? 私に対して先に無礼を働いたのは、あなた方ですわ。私はただ、人としての礼儀を教えて差し上げているだけよ」


「デイジー……これは王室に対する不敬だぞ!」


 顔と服についたクリームを手でぬぐいながら、ジェラルドがうめく。


「あら、そうかしら?」


マーガレットはにっこり笑った。


「王室会議の承認もまだなのに、浮気相手を連れ歩き、婚約破棄をペラペラと口にした。国王陛下の権威を傷つけたのは、殿下、あなたよ。だからこそ、こうして忠告して差し上げたのです。さようなら、殿下。せいぜい、私の姿を悪夢に見るといいわ」


 そう言って、彼女はヒールの音を響かせながら、足早にその場を後にした。


 一連の光景を目にした貴族たちの、大きなどよめきと、熱狂、そして震えるような興奮の入り混じった空気が、大広間に残された。


 彼女のドレス姿は、さながら闇夜の稲妻。その背中に、誰もが見とれ、誰もがおびえ――


 誰もが、魅せられていた。


 この日、ロンデニアの社交界へ、彼女の名は鮮烈に刻まれた。


 第四王子に捨てられた、哀れなデイジーとしてではなく――

 仮面の悪女、マーガレット・アステアの名において。

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