「……で、結局どうすんのよ、デイジー」
冷たい声が、朝食後の食卓に響いた。
エルバイン子爵邸のダイニングルーム。
その中央に据えられた長テーブルには、当主である父クロード・アステア子爵、母リヴィア、弟アーレント、母方の叔父である商会の支配人グレンなど、家族がずらりと並んでいた。
その端で、デイジーは背筋を凛と伸ばして座っていた。しかしその手は、膝の上で小さく震えていた。
「婚約は破棄された。持参金は……この通り、元本しか戻らん」
父が、封筒を机に叩きつける。
「五年預けて利子を稼がせてやったってのに、元本しか返ってこないんじゃ、実質大損じゃないのよ!」
母が忌々しそうに声を荒げた。
「だいたいさ、こんなの目に見えてたじゃん? デイジーに王子様なんて、無理があったんだよ」
弟のアーレントが、あざ笑うように言う。
「地味だし、会話もつまんないしさ。『持参金名目の融資』を騙し取られただけだったんだよ、最初から」
「だったらなおさら、恥さらしだな」
父が苛立たしげにつぶやいた。
「はぁ……せめて二割、慰謝料として利子をつけて返してくれれば、船の改修費用にでも回せたのに。やっぱりデイジーじゃ、投資の役にも立たないわねぇ」
母の溜め息が、デイジーの胸に重くのしかかる。
彼らにとってデイジーは、マネーゲームの駒でしかなかった。
「申し訳、ありません……」
蚊の鳴くような声で、デイジーは口を開く。
だが返ってきたのは、軽蔑の眼差しと冷たい笑いだった。
「何に謝ってんのよ? あんたがどうこうできる問題じゃないでしょうに」
「そうだよ。あの王子殿下、元から女たらしだったって話だぜ。ほんと、うちら、見る目がなかったよなー」
「いや、デイジー本人にも問題はあっただろう」
叔父のグレンが低い声で言った。
「もう少し、惚れさせる努力をしていれば。殿下だって気が変わって、本当に愛されたかもしれない。惜しい機会損失だったな」
「兄さんの言う通りだわ。デイジー、あんた、色気も気品も全然ないからね。そんなんで、誰がお妃様にしたいって思うのよ……」
「いや、俺はそこまでは言ってないぞ……」
叔父が制しても気に止めず、母は呆れたような表情で天井を見上げる。
「もういいわ。これ以上、無駄な期待はしない。せめて、次はどこかの銀行の御曹司とか、地主の息子あたりにでも縁談を……」
「私は、もう……無理に結婚したくありません」
絞り出すように、デイジーが声を上げた。
全員の視線が彼女へと向く。
「何言ってんのよ?」
母が眉を吊り上げる。
「は? 選べる立場かよ?」
弟が鼻で笑う。
「アステア家はな、貴族になったんだぞ。王室に貸してた借金のカタに、行ったこともないエルバイン島を、領地に与えられてさ。その投資を、回収しなきゃいけないんだ。せっかく貴族令嬢の身分が手に入ったんだから、高く売らなきゃ意味ないだろ」
「……」
誰ひとり、彼女の気持ちにきちんと寄り添う者はいなかった。
家族の誰もが、彼女をまるで「デイジー」という銘柄の、金融資産のように扱う。
「だいたい、あんたに『マーガレット』なんて派手な名前をつけたのが、間違いのもとだったわ。どう見ても名前負けよね。あんたはやっぱり『デイジー』がお似合いなのよ」
マーガレットとデイジー。そっくりな、二つの花。
しかし、マーガレットは、目にも鮮やかな大輪の花。デイジーは和名でヒナギクとも呼ばれ、ひっそりと野に咲く小さな花である。マーガレットの葉には鋭い切れ込みがあり、デイジーの葉は丸っこい。
デイジーという、可愛らしい愛称。しかしその呼び名に込められたのは、彼女を子供扱いする、かすかな底意。
ここまで言われても、彼女は反論しなかった。できなかった。この家で、そうやってやり過ごすクセが身に付いていたからだった。
その時、沈黙を破ったのは――執事が扉をノックする音だった。
「お取次ぎいたします。王宮より使いの方が来られました」
執事がそう告げると、場が一気に引き締まった。
「王宮……⁉ なんだ、今さら」
「まさか、融資の追加交渉か?」
「いや、書類に不備があったとかじゃない?」
緊張した雰囲気の中で、扉が開く。
そこに現れたのは、いかめしい黒の軍装に身を包んだ王宮の衛兵隊長と、宮廷魔導士用の淡いグレーローブを着た、黒髪の青年だった。
ローブの青年は、デイジーを見つけるなり、その長身を
「……元気そうだね、マーガレット・アステア」
「……!」
彼女は驚いた。
マーガレット。彼女のその本名をそのままに呼ぶ人が、今、目の前にいる。
デイジーの母が、怪訝な顔で青年に問いかけた。
「あなたは……?」
「アルウィン・ラインフェルトと申します。ロンデニア王立中央学院で、貴家の令嬢と同期生でした」
デイジーにとって、少し懐かしい顔と名前だった。