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第4話 見捨てられたデイジー

「……で、結局どうすんのよ、デイジー」


 冷たい声が、朝食後の食卓に響いた。


 エルバイン子爵邸のダイニングルーム。


 その中央に据えられた長テーブルには、当主である父クロード・アステア子爵、母リヴィア、弟アーレント、母方の叔父である商会の支配人グレンなど、家族がずらりと並んでいた。


 その端で、デイジーは背筋を凛と伸ばして座っていた。しかしその手は、膝の上で小さく震えていた。


「婚約は破棄された。持参金は……この通り、元本しか戻らん」


 父が、封筒を机に叩きつける。


「五年預けて利子を稼がせてやったってのに、元本しか返ってこないんじゃ、実質大損じゃないのよ!」


 母が忌々しそうに声を荒げた。


「だいたいさ、こんなの目に見えてたじゃん? デイジーに王子様なんて、無理があったんだよ」


 弟のアーレントが、あざ笑うように言う。


「地味だし、会話もつまんないしさ。『持参金名目の融資』を騙し取られただけだったんだよ、最初から」


「だったらなおさら、恥さらしだな」


 父が苛立たしげにつぶやいた。


「はぁ……せめて二割、慰謝料として利子をつけて返してくれれば、船の改修費用にでも回せたのに。やっぱりデイジーじゃ、投資の役にも立たないわねぇ」


 母の溜め息が、デイジーの胸に重くのしかかる。


 彼らにとってデイジーは、マネーゲームの駒でしかなかった。


「申し訳、ありません……」


 蚊の鳴くような声で、デイジーは口を開く。

 だが返ってきたのは、軽蔑の眼差しと冷たい笑いだった。


「何に謝ってんのよ? あんたがどうこうできる問題じゃないでしょうに」


「そうだよ。あの王子殿下、元から女たらしだったって話だぜ。ほんと、うちら、見る目がなかったよなー」


「いや、デイジー本人にも問題はあっただろう」


 叔父のグレンが低い声で言った。


「もう少し、惚れさせる努力をしていれば。殿下だって気が変わって、本当に愛されたかもしれない。惜しい機会損失だったな」


「兄さんの言う通りだわ。デイジー、あんた、色気も気品も全然ないからね。そんなんで、誰がお妃様にしたいって思うのよ……」


「いや、俺はそこまでは言ってないぞ……」


 叔父が制しても気に止めず、母は呆れたような表情で天井を見上げる。


「もういいわ。これ以上、無駄な期待はしない。せめて、次はどこかの銀行の御曹司とか、地主の息子あたりにでも縁談を……」


「私は、もう……無理に結婚したくありません」


 絞り出すように、デイジーが声を上げた。

 全員の視線が彼女へと向く。


「何言ってんのよ?」


 母が眉を吊り上げる。


「は? 選べる立場かよ?」


 弟が鼻で笑う。


「アステア家はな、貴族になったんだぞ。王室に貸してた借金のカタに、行ったこともないエルバイン島を、領地に与えられてさ。その投資を、回収しなきゃいけないんだ。せっかく貴族令嬢の身分が手に入ったんだから、高く売らなきゃ意味ないだろ」


「……」


 誰ひとり、彼女の気持ちにきちんと寄り添う者はいなかった。


 家族の誰もが、彼女をまるで「デイジー」という銘柄の、金融資産のように扱う。


「だいたい、あんたに『マーガレット』なんて派手な名前をつけたのが、間違いのもとだったわ。どう見ても名前負けよね。あんたはやっぱり『デイジー』がお似合いなのよ」


 マーガレットとデイジー。そっくりな、二つの花。


 しかし、マーガレットは、目にも鮮やかな大輪の花。デイジーは和名でヒナギクとも呼ばれ、ひっそりと野に咲く小さな花である。マーガレットの葉には鋭い切れ込みがあり、デイジーの葉は丸っこい。


 デイジーという、可愛らしい愛称。しかしその呼び名に込められたのは、彼女を子供扱いする、かすかな底意。


 ここまで言われても、彼女は反論しなかった。できなかった。この家で、そうやってやり過ごすクセが身に付いていたからだった。


 その時、沈黙を破ったのは――執事が扉をノックする音だった。


「お取次ぎいたします。王宮より使いの方が来られました」


 執事がそう告げると、場が一気に引き締まった。


「王宮……⁉ なんだ、今さら」


「まさか、融資の追加交渉か?」


「いや、書類に不備があったとかじゃない?」


 緊張した雰囲気の中で、扉が開く。


 そこに現れたのは、いかめしい黒の軍装に身を包んだ王宮の衛兵隊長と、宮廷魔導士用の淡いグレーローブを着た、黒髪の青年だった。


 ローブの青年は、デイジーを見つけるなり、その長身をかがめて丁寧に一礼してから、ゆっくりと頭を上げた。


「……元気そうだね、マーガレット・アステア」


「……!」


 彼女は驚いた。


 マーガレット。彼女のその本名をそのままに呼ぶ人が、今、目の前にいる。


 デイジーの母が、怪訝な顔で青年に問いかけた。


「あなたは……?」


「アルウィン・ラインフェルトと申します。ロンデニア王立中央学院で、貴家の令嬢と同期生でした」


 デイジーにとって、少し懐かしい顔と名前だった。

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