ルルイエの街は、無数の水路と橋で繋がれた水上都市だった。白亜の建築物が湖面に映え、まるで鏡の上に浮かぶ幻の城塞のように見える。到着したその日の夕刻、街は祭りの準備に沸いていた。
「これが幻灯祭……」彩夏は目を輝かせた。
「街中が光で飾られてる。湖面に映ったら、きっとすごいよ」
晃は街の広場で配布されていた祭りの案内書を受け取り、内容を確認した。
「祭殿で結晶を展示するらしい。期間は今日から三日間。交渉するなら今しかない」
ジョーダンがにこやかに言った。
「観光気分で終わらせるには惜しい場所ね」
純也は落ち着かない様子で辺りを見回していた。
「人が多すぎる……なんか舞台に立たされてるみたいで緊張するな」
佳那は小声で囁くように言った。
「でもこの人混み、逆にチャンスかも。注目を集めれば、交渉もうまくいく」
エマーソンは祭殿を見上げ、哲学的に呟いた。
「光の集いは、しばしば選択の象徴とされる。今日ここでの判断が、我々の道を変えるかもしれない」
明日美は荷物を整えながら答えた。
「とにかく、今夜は全員で祭殿に行こう。物資は最低限にして、すぐ動ける状態にしておく」
湖面に映る灯りは徐々に増え、夜になると街全体が幻想的な光に包まれた。橋の上では楽器の演奏が響き、子どもたちの笑い声があふれていた。
晃たちは祭殿の入口に到着した。そこは白大理石でできた荘厳な建物で、入り口の前には長蛇の列ができていた。
彩夏が深呼吸をして言った。
「私、交渉してみる。結晶を見せてもらえるだけでもいいから」
晃は頷き、仲間に指示を出した。
「僕と彩夏で祭司と話す。他の人は周囲の状況を確認してくれ」
祭殿内部は外観以上に荘厳で、天井には光を反射する青い水晶のモザイクが散りばめられていた。中央には長い回廊が伸び、その先に目的の結晶が展示されていると聞く。
「すごい……」彩夏は圧倒された様子で呟いた。
「本当に光ってるみたい」
晃はすぐに周囲の人々を観察した。祭司と思われる人物たちが白衣をまとい、訪問者に対して神聖な雰囲気を崩さず案内している。
「彩夏、君が先に話しかけてみてくれ。君の率直さなら信頼を得られるはずだ」
晃は言葉を選びながら言った。
彩夏は大きく頷き、祭司の一人に近づいた。
「すみません、私たち、あの結晶について詳しく知りたいんです」
祭司は少し驚いた表情を浮かべたが、彩夏の真剣な眼差しを見て柔らかく答えた。
「この結晶は『水の心臓』と呼ばれ、湖の守護を象徴するものです。古来より祭りの時だけ公開されます」
「私たち、ある理由でこの結晶を調べる必要があります。短い時間で構いません、間近で確認させてもらえませんか?」
周囲の空気が一瞬静まり、晃は息を呑んだ。だが彩夏の声は揺れていない。
祭司は仲間と視線を交わし、やがて頷いた。
「通常は禁止されていますが……あなたの目は誠実です。特別に許可しましょう」
その瞬間、純也が外の広場から駆け込んできた。
「晃! 外で大道芸の演奏会が始まったんだけど、観客がすごく集まってる! 俺、そこで歌ってきていいか?」
ジョーダンが微笑し、純也の背を押した。
「行ってらっしゃい。あなたの歌は人を惹きつけるわ」
晃は軽く笑みを浮かべた。
「行ってこい。ここは僕たちに任せて」
こうして純也が観客を集める一方で、晃と彩夏は結晶の間近へと進んでいった。
結晶は拳ほどの大きさで、内部から淡い水色の光を放っていた。表面は滑らかで、近づくと微かな振動が掌に伝わるような気がした。
「これが……」彩夏は息を呑んだ。
「本当に生きているみたい」
晃は冷静に観察し、周囲の装置を目に留めた。結晶を安置する台座には複雑な紋様が刻まれており、幾つかは転移門の紋章に似ている。
「彩夏、やはり結晶は僕たちが帰還する鍵だ。この台座の紋様は、転移の構造式に近い」
彩夏は振り返り、祭司に真摯な声で言った。
「この結晶を研究させていただけませんか? 盗むつもりはありません。ただ、帰るために必要なんです」
祭司はしばし考え、やがて頷いた。
「明日の朝、公式に研究許可を出しましょう。ただし条件があります。この結晶は街の象徴、決して傷つけてはなりません」
「もちろんです」彩夏は深く頭を下げた。
その夜、純也の歌声は広場を賑わせ、祭りに集まった人々の心をつかんだ。ジョーダンは皆に感謝の言葉を伝え、佳那は周囲の魔道具を観察、優太は結晶展示の警備体制を確認していた。明日美は物資の整理を終え、晃に報告した。
「これで研究の準備も整ったわ。明日は早朝から動ける」
晃は頷き、静かに言った。
「明日が本当の交渉の始まりだ。必ず成功させよう」
湖面に映る光は揺らめき、八人の影を長く伸ばしていた。その影はやがて一つに重なり、静かに夜の闇に溶けていった。