王都の中心部からやや東に位置する侯爵家のタウンハウス。
タウンハウスと呼んでいいものか迷うほど大きなお屋敷に向かうと、エントランスにはすでに侯爵夫妻、そしてアレク様の妹の姿があった。
まさか出迎えられるとは思わず、護衛騎士の手を借り慌てて馬車を降りる。
侯爵夫妻とお会いするのは約三年ぶり。
「侯爵閣下、夫人、ご無沙汰しております。この度はアレク様のご卒業とご成人、誠におめでとうございます」
膝を曲げ挨拶をすると、侯爵閣下が優しく微笑んだ。
高位貴族であるけれど、侯爵閣下は大変穏やかで物腰の柔らかな方だ。初めてお会いした時、アレク様の優しいお顔立ちは閣下に似たのだと思った。
やや白いものが混じり始めた黒髪に濃い緑の瞳を優しく細めて、閣下は嬉しそうに笑った。
「久しぶりだ。元気そうで安心したよ。ご両親は息災かな」
「はい、おかげさまで両親も元気に過ごしております」
そう答えると、閣下はふふ、と笑顔を見せる。
「王太子殿下の立太子の晩餐会以来だから、三年になるか」
「はい。その節は大変お世話になり、ありがとうございました」
「あの時は本当に、アレクが貴女に会えなくて随分と文句を言っていたよ……。まあ、この話はアレクから直接聞くといい」
「?」
首を傾げると閣下はおかしそうに「なんでもない」と声を上げて笑った。
三年前、王城で開かれた第一王子の立太子を祝う晩餐会に、私は侯爵家の婚約者として兄と共に招待を受け参加した。あの時も侯爵夫妻は私と兄をこのタウンハウスに滞在させてくれたが、アレク様は騎士学園から騎士団の見習いとして任務に就いており、会うことが叶わなかった。
(アレク様に会えなかったのは残念だったのよね)
あれが四年も前のことだなんて。昨日のことのように思い出せる、煌びやかで豪華で、まるで夢の中にいるような一夜。
「ユフィール、道中は何か問題なかったかしら」
「ありがとうございます、イリス様。アレク様のご配慮のおかげでとても快適な旅路となりました」
「そう」
相変わらず無表情のイリス夫人は、氷のような薄水色の瞳を私に向け細めた。その冷たさが美しさに拍車をかけるのか、相変わらず近寄りがたい迫力がある。
「この度のお屋敷での滞在もお許しいただき、ありがとうございます」
「構わないわ」
そしてとても口数が少ない。そのことも、近寄りがたい雰囲気を醸し出す要因のひとつかもしれない。
「アレクは卒業までは寮住まいだ。卒業式典で合流できるだろう」
「はい。楽しみにしております」
「そうか。きっとあれも今にも屋敷に飛んで来たい気持ちだろうな」
「まあ」
閣下にも改めてお礼の言葉を述べ、そしてその一歩下がった位置に立つ、アレク様の妹サーシャ様へ改めて膝を曲げ挨拶をする。
「サーシャ様、ご無沙汰しております」
「……お久しぶりね、ユフィール様。あなたって、せっかく王都に来たというのに冴えないドレスを着ているのね」
「サーシャ」
夫人が鋭く名前を呼ぶと、つん、とサーシャ様は横を向いた。夫人と同じ銀色の髪を持つサーシャ様は、年は十二歳。
四年前にお会いした時から随分美しくご成長されたけれど、私に対する敵対心が初めて会った時と変わっておらず、可愛らしくてつい微笑ましい気持ちになる。そんな顔を見せてはきっともっと嫌われるだろうから、絶対にしないけれど。
「そんな姿ではお兄様の婚約者として恥をかくと言っているだけよ」
「そうですね、申し訳ありません」
(相変わらず、兄上想いなのね)
初めて会った頃はまだ小さかったサーシャ様。私がアレク様の婚約者と知り、兄上を取られると号泣していたのが懐かしい。すっかり背も伸び近寄りがたい美しさを纏う雰囲気は夫人に似ているけれど、今もあの頃の面影を残していて可愛らしさは変わりない。
なんて年頃の女の子に言ったら、益々嫌われそうだわ。
「恥ずかしながらサーシャ様のような素敵なセンスを持ち合わせていなくて……。滞在中にご教示いただけると嬉しいのですが」
「そ、そんな暇はないわ! わたくしだって忙しいのだから!」
「サーシャ」
顔を赤くしたサーシャ様が声を大きくするのを夫人が声だけで窘めると、ぐうっと唇を噛み締めそのまま黙った。夫人は私に視線を戻し、頭から足の先までじっくりと眺め、ふむ、とひとつ頷いた。
何がふむ、なのかしら?
「滞在中にドレスを仕立てるのはいい考えね」
突然の夫人の申し出に驚き、「えっ」と声が出そうになる。
「あの、ですが……」
「質の良いドレスを持つのも侯爵家の人間としての務めよ」
「は、い」
(だって、玄関で待っているなんて思わなかったんだもの!)
夫人の背後でサーシャ様が小さく笑うのが見え、恥ずかしさに顔が熱くなる。
この格好は馬車に乗っている間、少しでも楽でいたかったから着ていた軽装だ。玄関で出迎えられるのがわかっていたら、もっとちゃんとした格好をしたし、できれば正装に着替えて挨拶に伺いたかったのに!
「二人共、ユフィールを困らせるな。長旅で疲れているんだ、まずは部屋でゆっくり休んでもらおう。ユフィールを部屋へ案内してくれ」
閣下が背後の家令に声を掛けると、白髪の家令が頭を下げた。
「お部屋へご案内いたします」
「ありがとう、お世話になります」
「では、晩餐までゆっくり過ごすといい」
「ありがとうございます。皆さま、お世話になります」
改めて皆の前で膝を曲げ、やっと玄関に招き入れられる。私の背後でアナが小さく息を吐くのが聞こえた。
(なんだか色々大変そうだわ……)
婚約者に会うまでの道のりは、どうやら長い。