「街を?」
翌日、さてどう過ごそうかと思案していると道中をずっと警護してきた護衛騎士が部屋を訪れた。
「はい。退屈するだろうからご案内するようにとアレク様から仰せつかっております」
「まあ、それは嬉しいけれど」
大きな体躯の騎士は白金の髪を短く刈り上げた頭を下げ、じっと動かない。どちらかと言うと、窺いよりも行くべきだと言われている気がする。
「……わかったわ、では侯爵様にお伝えしなくては」
手にしていた本を置き立ち上がると、ソワソワと様子を見ていたアナがさっと近づいてきた。
「お嬢様、わたしもご一緒していいですか?」
「もちろんよ。色々見て回りましょう」
「はい!」
嬉しそうに頬を赤らめる彼女に、せっかく来たのだから少しは楽しもうと、ほんの少し落ち込んでいた気持ちを前向きに切り替えることができた。
(この子と一緒に来てよかったわ)
肩身の狭いこの屋敷で一人でいてはきっと考えすぎて気持ちが塞いでしまう。二人で出掛けたら、きっと街も楽しめるだろう。
「どこか行きたいところはある?」
「え、それはもう……あの、お嬢様はどうですか?」
「そうね……本屋に寄りたいわ」
王都には大きな書店がある。以前来た時にも足を運んだ場所だ。
「雑貨や細々した文具用品も置いているのよ」
「まあ! 私、新しい便箋とペンが欲しいんです」
「ふふ、じゃあ必ず寄りましょうね」
アナからストールを受け取り肩にかける。これはアレク様が昨年誕生日に送ってくれた繊細なレースのストールだ。白いレースにフリンジ部分の鮮やかな緑がアクセントとして控えめに入ったもので、気に入っている。
「もうすぐ夏ね」
窓の外を見ると、高い位置に刷毛で引いたような白い雲が青い空に伸びていた。
*
「本当にいろんなものがありますねぇ!」
馬車から降り、護衛騎士の案内で街を歩く。
アナが嬉しそうに声を上げキョロキョロと見渡しているのを見て、出かけてよかったと思う。せっかく王都へ来たのだから、閉じこもっているのももったいないわ。アレク様に配慮していただいたお礼が早く言いたい。
街を観察しながら三人で歩くと、以前は気が付かなかった風景が見えてくる。
石造りの建物には大きな窓ガラスが嵌め込まれ、チーズやベーコンが吊るされた店、生活雑貨、酒屋など、様々な専門店が立ち並び、通りには買い物を楽しむ人で溢れている。入口にはそれぞれの取扱商品を模した看板がぶら下がり、鉄格子の窓には色とりどりの花が飾られ、通りを華やかに演出していた。
「ここは市井の者たちが普段から買い物をする通りです。あの中心にある噴水の左手にはバザールが続きます」
私の隣を歩く騎士が説明をしながら、周囲に視線を向ける。街歩きだからと控えめな格好をしてきたのでそんなに目立たないはずだけれど、胸当てと篭手を嵌めた騎士は腰に剣を佩いている。その姿では逆に目立ち、通り過ぎる人々がチラチラとこちらを見ていくのだ。
(私の容姿では、誰が貴族かなんてわからないでしょうけど)
ストールはとてもいいものだけれど、身に纏う服は町娘のようなそれ。髪の色もなんの特徴もない明るめの栗色に、茶色い瞳。
(こんな私があの侯爵家の後継者と婚約関係にあるなんて、誰も思わないでしょうね)
騎士に先導され噴水のある大きな広場に出る。
赤や黄色の鮮やかなタープを張ったワゴンがあちこちに並び、噴水を囲むように人々が腰掛け談笑している。深い緑のパラソルの下ではワインを楽しみながら食事をしている人の姿もあった。
「ここはいつ来ても賑やかね」
「ええ、新しく店も増えたので時間を問わずいつも人で賑わっています」
噴水通りを横切り、右手に伸びる通りへと入る。
こちらは大きな石造りの建物が立ち並び、やや高級な雰囲気に変わる。ワゴンや話題に見当たらず、店先の窓には高級なドレスやタキシードを纏ったマネキン、シルクハットの専門店や宝石が並ぶ店もあり、店の入口にはドアマンの姿もある。
「ユフィール様は来たことがあるんですか?」
アナが後ろからそっと訪ねてきた。雰囲気に飲まれたのか、先程までの興奮した様子から大人しくなっている。
「ええ、王都へ来る時は寄らせてもらっているの」
「おしゃれなレストランも多いですね」
「そうね、私も入ったことはないのよね」
王都には友人どころか知り合いもいない。まさかあの侯爵家の人々と来るわけにもいかないので諦めているけれど、話題のカフェや素敵なレストランには行ってみたいといつも思っている。
(結婚してこちらに移れば……アレク様と来ることができるかしら)
レストランの入口を見上げると、二階のテラス席で談笑する若いカップルの姿が見える。赤いパラソルに鮮やかな新緑が映え、とても美しい絵のようだ。
(いい関係を持てたら……)
期待と不安。
ここに来てからずっと、私につきまとい離れない二つの感情に、心が揺れ動いている。