「お嬢様、お庭に立派なガゼボがあるらしいですよ」
部屋で一人昼食を取っていると、アナが紅茶を淹れながら窓の外を見た。外には明るい日差しに照らされた美しい庭が広がる。
「今日はお天気もいいですし、少し外を歩きませんか? お顔の色も今朝よりはずっといいようですし、お医者様も適度に日の光に当たりましょうと仰っていましたもの」
「そうね。体調もそんなに悪くないし、お庭を歩こうかしら」
「では用意いたしますね」
こんなにいい天気なのだから引き籠ってばかりではもったいない。
ぼんやりと眺めていた刺繡の図版を閉じ、お気に入りのストールを肩にかけて庭へと出ることにした。
*
美しく手入れされた庭は思っていたよりもとても広い。これが王都の中心部に建つタウンハウスのものだなんて信じられない。程よく木陰を落とす木々の下にはベンチが設けられ、優しく吹く風に乗ってバラの甘い香りが漂ってくる。
奥へと進むと白い柱に緑の屋根の立派なガゼボが見えてきた。そしてその下から聞こえてくる、華やかな声。
(タイミングが悪かったわね)
ガゼボでは、サーシャ様がご友人だろうか、数名で楽しそうに話をしているところだった。このまま大人しく戻ろうと一歩下がったが、そのうちの一人の令嬢と目が合ってしまった。このまま黙って戻るわけにもいかない。挨拶だけでもしていこう。
「こんにちは。いらっしゃるとは知らず、お邪魔してしまい申し訳ありません」
ガゼボに近付きそう声を掛けると、令嬢方がちらりと視線を交わし私を見た。その視線はまるで品定めするかのようだ。
サーシャ様が慌てたように立ち上がり、私を彼女たちへ紹介した。
「こちら、一昨日から我が家に滞在してらっしゃるユフィール・マクローリー嬢ですわ」
「まあ、貴女がアレク様の……?」
金髪のご令嬢が驚いたように声を上げた。さっと扇子を開くと口元を隠す。
こんなに若い女性たちの集まりでも、立派に社交が行われているのだと内心少しうんざりした。
「はじめまして、ユフィール・マクローリーです」
「あ、ご挨拶せずにごめんなさい。アナスタシア・ボルド伯爵令嬢ですわ。あまりに自然なお姿なので、紅茶のお代わりを持ってきてくれた方かと思ってしまって」
細められた瞳とその言葉は明らかに私を卑下するものだ。確かに簡単なドレスしか着ていないけれど、扇子では隠し通せない見下した態度はとても不愉快になる。サーシャ様が顔をさっと赤くした。
「体調を崩したものですから、閣下のご厚意で静養させていただいておりました。このような姿で申し訳ありません」
にこりと笑うとさわさわと令嬢たちが顔を寄せあい何事か囁き合う。
別に構わないけれど、このままではサーシャ様が嫌な思いをするかもしれない。顔を赤らめ何も言わず下を向くサーシャ様をちらりと見て、早々に切り上げようと「ではごゆっくり」と一歩下がろうとすると、またあの金髪のご令嬢が声を掛けてきた。
「アレク様とほとんどお会いしていないというのは本当ですの?」
その言葉にピタリと動きを止め、もう一度ガゼボへと身体を向ける。仕方ない、感じが悪いからと無視するわけにもいかない。
「ええ、アレク様が全寮制の学園に通われだしてからは、ずっとお手紙のやり取りをしてきましたわ」
別に隠すことでもないのでそのまま素直に答えると、「まあ!」と舞台女優のように驚き周囲のご令嬢たちを見渡した。他の令嬢たちも視線を交わし合い驚いたような表情を見せる。
そういえば彼女たちはサーシャ様よりも年上のようだ。アレク様と同じくらいの年頃かもしれない。
「遠く離れた領地にお住まいでは、中々お会いできませんものね」
「騎士学校の休日は一日しか取れないと言いますわ」
「お会いできないのも当然ですわね」
何が言いたいのだろう。黙って次の言葉を待つと、金髪のご令嬢が「あら」と私に気が付いたように視線を向け、瞳を細めた。
「ごめんなさい、あんなに素敵なアレク様と会ったこともない方が婚約者だなんて、わたくしたち信じられなかったの。でも、本当でしたのね」
「お会いしなくても素晴らしい方なのは存じていますわ」
「そうでしょうね。とても知的で素晴らしい教養を身に着けた方ですものね。私、以前の夜会でアレク様にダンスを踊っていただいたのだけれど、それはもう素晴らしくお上手で、他のご令嬢方もうっとりと見つめるほどでしたのよ」
「アナスタシア様は本当にアレク様とお似合いでしたものね」
「まるで本当の婚約者のようでしたわ」
くすくすと笑い合う令嬢方の様子に、ああ、なるほどと納得した。彼女たちはアレク様のファンなのだろう。
そしておそらくこの中で金髪のご令嬢は上位貴族であり、夜会に参加できる年齢、そして周囲の令嬢たちは彼女の太鼓持ちといったところか。
(……太鼓持ちって、すごい日本的感覚かしら)
ふとそう思い至り、一人、内心おかしくなってしまう。
「アレク様と踊ったことはありまして?」
「いいえ、まだですわ」
「まあ! ごめんなさい、婚約者様を差し置いてわたくしのパートナーをしてくださったわ!」
「その夜会には私は参加しておりませんもの。アレク様は貴族の責務を果たされただけですわ。お気になさらず」
そう笑顔で答えると、令嬢はむっと眉を顰めた。
これくらい言っても構わないだろう。先ほどから馬鹿にされているのだから。いくら爵位の違いがあれど年上に対する態度ではないと思う。
「……卒業式後の祝賀会には私も招待されていますの。マクローリー嬢はその日に初めてご立派になられたアレク様にお会いするのですね」
「ええ、そうですね」
「あの、アレク様にまた私のダンスのお相手をお願いしてもよろしいかしら? マクローリー嬢はわたくしたちと違ってとても大人でらっしゃるから、寛大なお心でお許しいただきたいわ」
この言葉にくすくすと周囲の令嬢たちが笑い合う。サーシャ様のお顔がついにぎゅうっと顰められた。
自慢の兄の婚約者がこんな私であることが耐えられない、そんなところだろうか。
そんなサーシャ様に目もくれず、精一杯の皮肉をお見舞いして気持ちがいいのか、金髪の令嬢は得意げに顔を少し上に向かせて私を見ている。
私はそんな令嬢に向けて、にこりと笑顔を向けた。
「私としては問題ありませんが、ご存じの通りアレク様はとても知的で素晴らしい教養を身に着けた方ですから、婚約者を差し置いて他のご令嬢とどれほど踊っていいものか、ご自身で判断されるのではないかしら」
令嬢方のくすくす笑いがすっと引いた。
(前世でも今も、あなたたちより大人なのよね。子供の嫌味になんて動じないわよ、残念ながら)
そんなふうに思う自分も十分大人げないのだけれど。言われっぱなしは我慢ならないので、これくらい許してほしい。
(世界が変わっても人の感情までは変わらないわね)
少しだけスッキリした気持ちを隠し、改めて「では、どうぞごゆっくり」と一礼をしてその場を離れる。
背後から「年増のくせに」という口汚い言葉が聞こえた。
*
「まったく、あれでも貴族の教育を受けてきたのかしらね」
離れた場所まで移動して、やっとため息を吐いた。呆れてつい文句を言ってしまうと、同じく我慢していたであろうアナが声を上げた。
「本当ですよ! なんですかあれ! 下品だし、とっても失礼だわ!」
アナが憤慨した様子で拳をぶんぶん振り回す。その様子がおかしくて笑うと「笑いごとじゃありません!」と、さらに顔を赤くした。
(まあでも、思ったよりもスッキリしたわ。言いたいことも言えたし)
そう思いながら怒り続けるアナを宥めていると、私の後を付いてくる護衛騎士が、ふっと笑った気がした。