「おかしくないかしら」
「大丈夫です! とっても素敵ですよ!」
鏡の前で自分の全身を確認する。
昨日、今日とゆっくり過ごしたおかげで体調はとてもいい。普段は元気なので、体調を崩したらどうしていいのかわからなかったけれど、のんびり読書をして横になっていたら普段通りになった気がする。やはり私は丈夫なのだ。
今夜は侯爵家の皆様と晩餐を約束している。
そのためにこうしてアナに手伝ってもらい身支度を整えたのだけれど、冴えない私が用意したドレスにまた何か言われるのではと少し気落ちしている。
落ち込んだところで着ている人間が冴えないのだから仕方ない。そして、思っていた以上に自分がガゼボでの出来事を気にしていることにも落ち込んだ。
(どうして、物語のヒロインみたいに絶世の美女に転生しなかったのかしら)
そんな不毛な考えに至り、さらに気落ちする。
仕方ない、これが私なのだから。美しい人たちと比べたところでどうしようもない。せっかくアナが頑張ってくれたのだから、胸を張っていかなければ。
「よし、行きましょう!」
「なんだか戦闘に行くような気合の入れ方ですね」
アナにそう言われ、確かに、と苦笑を漏らした。
*
美しく活けられた花が引き立てる食堂で、当たり障りなく侯爵夫妻と話をした。
私の知る侯爵夫妻は人の見た目を卑下したり品定めするような方たちではないのに、私がちょっと卑屈になっていた。
そもそも到着したあの日、イリス夫人は「質の良いドレスを持つのも侯爵家の人間としての務め」と言ったのだ。私のことや姿を馬鹿にしたのではない。あのご令嬢方のように。
移動だけだからと着古してくたびれたドレスを着ていた私は、確かに自覚が足りなかったのだ。
晩餐での話題は私の両親のことや領地の様子、そしてアレク様との結婚式に向けてすること、結婚後の生活について。
アレク様がお屋敷に戻られたら改めて詳細を詰めようと意見が一致したところで、閣下が思い出したように口を開いた。
「アレクからドレスが届いているが、着てみたか?」
「え?」
その言葉に思わず首を傾げると、閣下が片方の眉を上げた。
「ドレス、ですか?」
「貴女に祝賀会に着て来てほしいとアレクが用意したものだが、見ていない?」
「はい、なんのことだか……」
「手紙は読んだか?」
「手紙……?」
ここに到着してからアレク様から手紙はいただいていない。
卒業の準備で忙しくしているだろうし、もうすぐ会えるからそういうものだろうと気にしていなかったけれど、筆まめな彼のことだ、確かに手紙が届いていてもおかしくない。
「サーシャ」
夫人がワイングラスを置くと鋭くサーシャ様の名前を呼んだ。それまで一言も話していなかったサーシャ様がびくりと身体を揺らす。
「わたし、知らないわ」
「アレクから手紙が届いた時に、ユフィールの分もあったわね。貴女、それを持って行ったんではなくて?」
「どうしてわたしが!」
サーシャ様が顔を赤くして叫んだ。夫人はそんなサーシャ様を向かいの席からじっと見つめた。
「ドレスルームにアレクが用意したユフィールのドレスをトルソーに着せて用意していたわね。ユフィールに伝えると自分から進言していたけれど、伝えていないの?」
「知らないわ!」
「サーシャ」
夫人はついに氷のような冷気を放ち、怒りをサーシャ様に向けた。私は身じろぎせず、じっと気配を消す。
「ユフィールに恥をかかせるということは、アレクに恥をかかせるということなのよ」
「そんなこと……!」
大好きな兄の名を出され、サーシャ様は狼狽した。
(そんなに私を婚約者として認めたくないのね)
けれど、それも仕方ないかもしれない。
兄よりも七歳も年上の田舎の冴えない女が突然婚約者だと紹介されたのだ。面白くないのは当然だろう。
それに、サーシャ様の世界はここ王都で回っている。誰よりも素晴らしい自慢の兄の相手も、美しく可憐で自慢できる女性であってほしいのだろう。自慢できる令嬢がいいのだ。昨日のガゼボにいた美しく可愛らしい令嬢たちのように。
「貴女がどんなに反対しようと、この婚約を決めたのはアレク自身よ。貴女がとやかく言うことではないわ。アレクの気持ちを尊重できないと知られたら、アレクは悲しむでしょうね」
夫人は淡々と、けれどサーシャ様のお顔を見据えて諭すように言葉を繋ぐ。その夫人の優しさに、サーシャ様も気が付いてくれたらいいのだけれど。
「……どうして……」
サーシャ様は膝の上のナプキンをぎゅうっと握りしめた。唇を噛み締め、涙ぐんでいる。
「どうしてこの人なの? お兄様に相応しい人はたくさんいるわ!」
「サーシャ」
今度は閣下が眉間に皺を寄せ厳しく名前を呼んだ。けれどサーシャ様は気にしない。もう、我慢の限界だというように。
「こんな年上で何の取り柄もなく美しくない人がお兄様の婚約者だなんて、誰も納得していないわ! おまけにガゼボではわたしに恥をかかせるし! みっともない部屋着なんかで庭をうろついて、ドレスもろくに持っていない田舎者なのかとみんな笑っていたわ! あんな年増がアレク兄さまの婚約者だなんて、兄さまがかわいそうってみんな言ってる!」
「サーシャ! いい加減にしろ!」
バン! と閣下がテーブルを叩いた。食器がガチャン! と激しく音を立て、食堂が静まり返った。
先ほどまで赤い顔をして涙を浮かべていたサーシャ様が、青い顔で小さく震えている。
「わ、わたし……」
「お前はもう部屋に戻りなさい」
「お、おとうさま」
「しばらく外出禁止だ。人に会うことも許さない」
「おとうさま!」
「自分の姉となる人をそのように蔑む人間はこの侯爵家にはいない。ヘンリー! サーシャを部屋に連れていけ!」
背後で控えていた家令は静かにサーシャ様の席へ移動すると椅子を引き、立ち上がるように促した。サーシャ様は青い顔のまま、のろのろと立ち上がり食堂を促されるまま出ていった。
サーシャ様がいなくなり静まり返った食堂で、閣下がはあっと深く息を吐き出した。
「ユフィール、不快な思いをさせて大変申し訳ない」
「閣下! どうか顔をお上げになってください」
項垂れるように頭を下げる閣下に、慌てて顔をあげるようお願いをする。
「私は大丈夫です。サーシャ様のお気持ちもわかりますから」
「だが」
「まだ年端もいかないお嬢様です。大好きな兄上を取られることを悔しく思う気持ちはよくわかります。どうか、許して差し上げてください」
そう言うと、閣下はやっと顔を上げ悲しげに眉根を寄せて私を見た。
「だとしても、貴女に言ってはいけない暴言を吐いた。感情のままに相手を罵り攻撃するなど、侯爵家の人間としてあまりにも下品だ」
閣下の言いたいことは確かに分かる。
けれど、おそらくサーシャ様にとっての世界は、あの貴族社会の縮図のような令嬢たちとともにあるのだ。その中でまだ幼い自分が虚勢を張るのに、大切で自慢な兄の相手が私では不十分だったのだろう。
「ユフィール」
それまで黙っていた夫人が静かに私を呼んだ。
「はい」
「サーシャの貴女に対する態度は度を越しているわ。そのことについては私たちの考えで対処します」
「はい」
「でも」
夫人はふっと瞳を細めた。それは、初めて見る夫人の優しい笑顔、のように見えた。
「サーシャのことを許してくれてありがとう」
「……いいえ」
夫人は静かに、「今夜はこれでお開きにしましょう」と閣下を促し部屋へ戻ろうと立ち上がった。
「ユフィール。今夜はもう遅いから、明日、ドレスルームにあるドレスを確認するといいわ」
「はい。ありがとうございます」
「あのドレスを見たら……、いえ、何でもないわ」
「……?」
「おやすみ、ユフィール」
「おやすみなさいませ」
夫妻は静かに食堂を後にした。