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第27話


 ふわりと口端に触れた唇は、少しだけ押し当てられ、ちゅ、と小さく音を立てて柔らかく跳ね返るように離れた。

 その唇の感触に、恥ずかしさよりもパニックになってぎゅうっと瞑ったままの瞳を開けられない。

 全力疾走した後のような心臓の音も、熱くなっている顔も、アレク様に知られるのが恥ずかしくてたまらない。


「……ユフィール」


 かすかに唇を触れさせたまま、名前を呼ばれる。


「……嫌ですか?」


 唇にかかる吐息に促され、小さく首を横に振るとまた唇が押し当てられる。

 今度は口端ではなく、唇に。

 柔らかく弾力のあるそれは、そっと押し当てられほんの少し吸い付いて、また音を立てて離れる。けれど完全に離れることはなくて、柔らかく優しく、啄むように小さな音を立て何度も口付けを繰り返した。


「……ん」


 思わず小さく声を出すと、ふっとアレク様が小さく笑った。


「唇が甘い」


 そうしてぺろりと唇を舐められる。

 もう絶対に顔が真っ赤だ。耳まで熱いし、頬に触れるアレク様の鼻先がひんやりと冷たく感じる。


「……っ、だ、だって」

「僕にも食べさせてもらえますか?」

「え?」


 額をコツンと合わせ、唇が離れる。

 そっと目を開けると翠玉の瞳が私をじっと見つめていて、それはこれまで見たどのアレク様よりも強い光を放っていた。


「あのっ」

「ん、あーん」


 アレク様は私の目の前で口を開ける。


(待って……待って、えっ!?)


 口を開けてそのまま待つの!? 待ったなし!?

 いつまでもそのまま待たせることに酷い焦りを覚えて、何かを考える隙もないままお皿の上の桃をフォークに刺し、その開いた口に差し出した。

 私に考える余地を与えない作戦……!?

 とんでもない戦略だとか余計なことばかり考えながら、目の前でもぐもぐと咀嚼するアレク様のお顔をじっと見つめる。

 少しだけ視線を伏せて咀嚼するアレク様の長いまつ毛をじっと見つめ、その美しい顔をぼんやりと観察した。ぼんやり見ないと、恥ずかしさにどうにかなってしまいそうだから。

 見つめる視界はじわりと滲んでいて、きっと今、私は泣きそうな、みっともない顔をしているのだろう。

 アレク様はそんな私と額を合わせたままこくりと桃を飲み込むと、伏せていた瞳を私に向けた。

 その強さに、一瞬怯む。


(あ、……食べられる)


 大きな手が私の首を捉えた。

 身体がアレク様に引き寄せられたのか、アレク様が身を乗り出したのか。

 先程よりも強く、唇が合わされる。


(恥ずかしい、けど)


 もっと、もっとと全身が彼を求めている。

 縋るように、けれど恥ずかしさで必死になれなくて、震える手でアレク様のベストをきゅっと掴むと、彼は私の腕を引き腰を持ち上げた。


「きゃ……っ」


 逞しい身体に引き寄せられて、その膝の上に横抱きにされる。彼の腕が逃すまいと腰に回され、見た目よりもしっかりと厚みのあるその身体に密着した。


「ユフィール」


 アレク様の手が私の頬を撫でる。いつもは見上げるアレク様のお顔が少しだけ下から私を窺うように見上げた。


 ――そう、嫌ではない。

 ふわふわと心が浮き立ち、唇を合わせる気持ちよさに思考が溺れる。

 アレク様の、言葉にしていない私に対する想いと、なぜ私にしたのかという気持ちが、彼の仕草や振る舞い、私に向ける視線で痛いほど伝わってくる。


(アレク様は、私のことが、好き……?)


 家格の釣り合わない婚約も、七年もの間厳しい学園での生活に耐えたのも、すべて私のため?


 鼻先をすり、と擦り合わせアレク様が目を閉じた。

 そっとその頬に手を添えて、ちゅ、と小さく口付けをする。

 もっと、と強請るように目を閉じたまま顎を上げるアレク様の唇に、もう一度唇を寄せる。腰に回されていた腕の力が強くなり、さらに身体を密着させて私たちは唇を合わせた。


(甘い……)


 熱を持つ吐息の甘さ、触れる唇の甘さ、桃の香り。

 大きな手のひらが私の首を撫で髪に差し込まれ、縋りつく肩の逞しさを感じながら、必死に、けれど溺れるように口付けを交わした。


「……っ! ん……っ」


 口付けに溺れて、息が苦しい。

 なのに、気持ちいい。

 身体を隙間なく密着させて、快感を探るように口付けを繰り返す。時折聞こえるアレク様の荒い呼吸に煽られ、羞恥も冷静さも何もない。

 やがて、ぷっと音を立てて唇が離れた。

 はあっと吐き出した呼気の熱さと、甘い香りに頭がくらくらする。

 力が入らなくて逞しい肩にこてん、と額を乗せた。

 息が上がり、はあはあと呼吸を整えていると、アレク様の手が背中をゆったりと撫で、私の髪を梳いて、ちゅっとこめかみに口付けを落とした。


「……好きです、ユフィール」


 囁くように、唇を髪に触れさせたまま溢れたその言葉は、じわりと私に染みていく。


「ずっと、好きでした」


 鼻の奥がツンとする。

 こんなふうに誰かに好意を寄せられるのは初めてで、どう受け止めたらいいのかわからない。どう、返せばいいのかわからない。


「いつか僕のことを好きだと言ってもらえるように、あなたに相応しい人間になります。だから」


 そっと顔を上げてその顔を見ると、柔らかく愛おしさに溢れた眼差しで私を見つめ、肌を確かめるように指が私の頬を撫でた。


「どうか僕のそばにいて……僕を見ていて」


 ずっと、あなたのそばにいます。 

 そう言葉にしたかったのに


『前世で果たせなかった約束を今世で果たしましょう 親愛なる、ゆふ先生へ』


 浮かんだのは、その言葉だった。


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